社説

 野田首相が11月14日の党首討論で、自民党安倍総裁とのやりとりの中で衆議院解散の意向を表明して約半月、政局は過渡期のような様相を帯びているようにも捉えられます。その中で、新聞の論調の基底とも言える社説が、普段とは違って各紙の立場や意見が如実に顕れているように思えて、興味深く読んでいます。

 スマートフォン用に“社説リーダ”というアプリがあり、朝の5時頃には、その日の全国紙の社説を読むことができ、朝の通勤電車の中で、全国紙の社説を読み比べています。地方紙は、帰りの電車に乗る頃には、その日の社説を読むことが出来るので、地元紙の神戸新聞と東京新聞に目を通しています。もう十数年前から新聞の宅配サービスを受けていませんが、この社説リーダのお陰で、各紙のエッセンスに触れることができます。特にこの半月は、各紙の論調が結構ストレートに社説に顕れるので“社説リーダ”は重宝しています。

 11月16日の衆議院解散以降、複数の新党の発足や、各党のマニフェスト、原発やTPPに対する表明等々に関しての各紙の社説を比較すると…

 第三極といわれる政党に関しては、産経は『維新と太陽合併 国家や憲法でも合意必要』(11/18)、読売は『「第3極」 政策のあいまいさ放置するな』(11/19)、日経は『維新は民主の失敗を繰り返すのか』(11/20)、朝日は『維新と太陽ー腑に落ちない合流だ』(11/18)、そして東京は『第三極の合流 小異などと見過ごせぬ』(11/21)と、衆議院解散後数日の時期には、各紙とも第三極に対して、あまり好意的ではありませんでした。

 自民党の安倍総裁が表明した一連の政策の中の、例えば“国防軍”に関しては、朝日は『国防軍構想ー自衛隊ではなぜ悪い』(11/29)、毎日は『自民の「国防軍」 名称変更の意図を疑う』(11/27)と否定的なのに対して産経は『「国防軍」 平和と安全守るに必要だ 民主党は見解を明確にせよ』(11/27)と対峙しており、一方読売は『「国防軍」 本質的な憲法議論に踏み込め』(11/28)と各紙の旗色が鮮明です。

 TPPに関しては、日経は『東アジア経済統合に原動力TPPが要る』(11/23)、読売は『アジア経済連携 TPPテコに日本が主導せよ』(11/24)、朝日は『東アジア外交ー繁栄にいざなう力を』(11/26)、毎日は『衆院選・TPP アジア戦略に不可欠だ』(11/24)と各紙肯定的です。

 民主党のマニフェストに関して読売は『民主党政権公約 「現実化」と具体策を聞きたい』(11/28)、毎日は『民主党の公約 「野田色」がぼやけている』(11/28)、日経は『あいまいで国の針路みえぬ民主の公約』(11/28)、産経は『民主党公約 これでは政権を託せない』(11/28)、東京は『民主衆院選公約 政治変える熱意どこへ』(11/28)、これらの意見に対して朝日は『民主党マニフェストー政権党が逃げてどうする』(11/28)です。

 一方自民党のマニフェストに関して日経は『「古い自民」が見え隠れしていないか』(11/22)、読売は『自民党政権公約 国論二分の政策でも方向示せ』(11/23)、朝日は『自民党の公約ー3年間、何をしてきた』(11/22)、東京は『自民衆院選公約 「改憲」は喫緊の課題か』(11/22)、て産経は『自民党公約 「強い日本」実現策を競え』(11/22)、これらの意見に対して毎日は『自民党の公約 安倍外交に注目したい』(11/22)です。

 そして維新の会のマニフェストに対して、読売は『維新の会公約 二枚看板だけの戦いにするな』(11/30)、朝日は『維新の公約ーこれではわからない』(11/30)、毎日は『維新の会の公約 中身が大ざっぱ過ぎる』(11/30)、産経は『維新の会公約 「大衆迎合」が気がかりだ』(11/30)と辛口な意見が多い中で東京は『日本維新公約 脱原発の議論深めたい』(11/30)です。

今回の各党の政策の中で注目されている原発に関して、日経は『エネルギー政策 「脱原発」の大衆迎合を排せ』(11/25)、産経は『原発ゼロと衆院選 現実見ぬ選択では国滅ぶ』(11/20)、産経は続いて『原発安全新組織 民間力で世界最高水準へ』(11/25)、更に産経は『エネルギー政策 電力の安定供給に道示せ』(11/26)と取り上げています。

 その原発を政策の中核に位置づけているとも捉えられる未来の党に関しては読売は『日本未来の党 「卒原発」には国家を託せない』(11/29)、朝日は『未来の党ー脱原発の工程を示せ』(11/29)、産経は『「卒原発」新党 国の未来に責任持てるか』(11/28)と批判的なのに対して毎日は『日本未来の党結成 原発をとことん論じろ』(11/29)、そして東京は『「脱原発」新党 民意のよき受け皿に』(11/28)と好意的です。

 全国紙5紙と東京新聞の併せて6紙を見比べても、「保守 vs 革新」「右派 vs 左派」とも一概に言えず、この半月ほどの政局の大きな変化を捉える6紙の「個性」が顕れているように感じて、大変興味深いです。各紙の「個性」が顕れているように感じた社説を更に拾っていくと…

 日経は『外交の「負の連鎖」を絶つときだ』(11/29)、自民党安倍総裁の政策には『日銀の独立を侵すのは政治の行き過ぎだ』(11/21)、そして近隣外交に関しては『対中外交で米と強く連携を』(11/21)。

 読売は『鳩山氏不出馬 政権迷走の「第一走者」が退場』(11/22)、そして衆議院解散直後には『民主党政権総括 政治の劣化を招いた「脱官僚」』(11/18)。

 朝日は総選挙に関して『総選挙・政治とカネーどの政党が正せるか』(11/26)、同じく総選挙に関して『世襲と人材ー政治は実業じゃない』(11/23)、、そして自民党安倍総裁の政策には『金融緩和ー安部発言の危うさ』(11/20)です。

 毎日は『衆院選・外交 海洋国家の戦略を語れ』(11/20)、先日の党首討論会に関しては『党首討論会 政権の形を明確に示せ』(12/1)です。

 産経は自民党安倍総裁の政策には『安倍氏発言 脱デフレ具体化の議論を』(11/21)、そして党首討論会に関しては『党首討論会 国家観をもっと前面に 原発再稼働をなぜ語らぬか』(12/1)

 テレビは放送法の規定『放送の不偏不党(放送法第1条第2項)』によって放送局としての社説は禁じられており、解説委員個々人の意見のような形で放送されています。ただ報道番組…というよりもニュース・ショーという表現の方が妥当かもしれませんが、それほど政治に造詣が深くない芸能人による自論の展開を耳にすると…チャンネルを変えてしまいます。「わかりやすさ」「素人視線」それに「面白さ」も求められているように感じますが、でも本質的な部分が欠落したようなニュースに対する姿勢に「?」を感じてしまいます。

秋から〜冬景色

 平日は、自宅と職場の間を電車で通勤の毎日です。毎日見慣れた光景を目にしていますが、でも、晩秋から初冬へと季節が移ろいゆく今は、日々、目にする光景が刻々と変わるようで、新鮮に感じます。今週、通勤途上で目にして、レンズを向けた写真…

 今週のはじめは、雨模様でした。雨で、紅葉や黄葉が落ち葉となった光景です。

 通勤途上で東の空に見える明けの明星が、日に日に輝きを増しているように感じます。写真の中央上端です。

 職場近くから見た、神戸の市街地に迫る六甲山系の紅葉が朝日に赤く輝いて、この季節は綺麗です。

 そして、上ったばかりの朝日が、ほぼ水平から射し込んで、市街地のビルの隙間から街路樹を点々と照らし始めています。

神戸らしい景色…背後の六甲山系の裾野まで街並みが…

 次の日曜日は…アドベント(待降節)の第一週、クリスマスの季節、初冬です。そして12月…

 クリスマスソングのCDを聴く季節でもあります。今は…バロックのリュートのCDをBGMで聴いています。

ちょっとした贅沢

 垂水駅ショッピングセンター・ビエント垂水に、ちょっと高級な品揃えのスーパーマーケット「北野エース」があります。普段は、あまり寄り付かないのですが、今日、仕事帰りに北野エースに…

 学生時代、珈琲の豆は「マンデリン」ばかりでした。あの香りに魅せられて…。でも最近は、イオンの安いオリジナルブレンドばかりです。秋も深まり、珈琲の香りに安らぎとぬくもりを感じるようになって、ふと…マンデリンが恋しくなりました。残念ながら、身近のイオンやマックスバリューにはマンデリンを置いていません。そこで北野エースに…、ありました。

 ついでに、職場の先輩がお薦めの美しい缶詰「天の橋立 わかさぎ」も、開けると感動する美しさだそうですが、又の機会のお楽しみに…

 北野エースの近くに森谷商店があります。神戸最古の日本人経営の牛肉店です。神戸元町の大丸百貨店前の店では、いつも森谷のコロッケを求めて行列ができている人気店で、垂水店でも行列ができることが多いですが、今日は並んでいたのが一人だけでしたので、思わず買ってしまいました。

 森谷のコロッケ、美味しかったです。そして、食後にはマンデリンの香りを久し振りに満喫しました。

鉄道の写真

 今朝、天気も良いし、近所にある日帰り温泉の垂水温泉・太平の湯の朝湯を愉しもうと車に乗って、国道2号線に入ると…やたらと警備員が目立ちます。3連休でアウトレットパークのマリンピア神戸の来客数が多くて、警備員も大幅に動員されているのかなあ~と思っていると、2号線に白バイが目立ち、マリンピア神戸に入ると…様子が変です。

 ここでやっと、今日は神戸マラソンでこの国道2号線がマラソンコースになっていることを思い出しました。沿道には次々に交通規制のテープが張られて…立札を見ると、8時50分から交通規制とのこと、あと数分です。このまま太平の湯に入ってしまうと、マラソンが終わるまで車で帰ることができません。慌ててUターンして自宅に戻り、シャワーを浴びました。

 なんだか一日の出鼻を挫かれてしまったようで…。シャワーを浴びた後に、昨日ちょっと整理しかけていたパソコンに保存している古いデジカメの写真を…。

 10年ぐらい前に、結構、鉄道の写真を撮っていました。鉄道マニアというわけでもなく、出掛けた先で撮ったものばかりです。

 撮った時の記憶がなくて「北条鉄道だったかなあ~」と思っていたのですが、その前の写真が「三木駅」の駅舎です。改めてよく見ると「厄神ー三木」となっています。


2002年8月15日 三木市・三木鉄道三木駅にて

 もう廃線になった三木鉄道の写真、三木駅で撮ったものでした。前後の写真をもう一度見直していくと…その撮った時の記憶が甦ってきました。この写真を撮った今から10年前の2002年は、まだブログを書いておらず、写真だけがハードディスクのフォルダーに残っているだけです。10年前には、撮影した日毎に写真データをフォルダーに入れていたので、一連の写真を元に、その日は三木市街を訪れたことを思い出しました。

 加古川を渡る加古川線の鉄橋です。上荘橋の数百メートル上流で、この鉄橋の上流近辺ではボートを漕ぐ光景を見ることができます。


2002年8月26日 加古川市・加古川線の加古川鉄橋右岸にて

 今は電化されて線路の上に架線がありますが、10年前はディーゼルの列車が走っていた頃です。

 同じ加古川線です。前の写真から2年後です。場所は…これも前後の写真を元に記憶を辿ると…おそらく粟生駅の近く、万願寺川を渡る鉄橋ではないかと思います。電化の架線がありますが、走っているのはディーゼル車です。


2004年4月29日 小野市・加古川線の万願寺川鉄橋辺り

 この列車は…上の写真の鉄橋の西側を、北条町に向かう北条鉄道だったと思います。同じ日の数分後、万願寺川に沿って播磨の田園風景を走る列車…


2004年4月29日 小野市・西脇町辺りの万願寺川沿い

 同じ播磨路、そして同じ粟生駅の近くで撮った神戸電鉄の粟生線の電車です。加古川の鉄橋を渡る光景を右岸の田んぼの中から撮った写真です。


2004年8月8日 小野市・ 粟生町辺りの加古川沿い

 これまでの5枚の写真は、播磨路を走る(走っていた)列車で、加古川市と三木市と小野市とが隣接する辺りで、私のお気に入りの処で、10年ほど前には、よく写真を撮りに出掛けていた場所です。そして、JR加古川線と三木鉄道、北条鉄道、神戸電鉄粟生線が田園風景を走り抜ける場所でもあり、列車の写真も何枚か残っていました。

 播磨路とは違って、南国土佐の高知の路面電車です。

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2004年10月3日 高知市・はりまや橋付近

 早朝の高知市を撮った写真です。この日はじめて、名前だけは知っていた「土佐の高知のはりまや橋」をこの目で見たので、この写真を撮った時の記憶は鮮明に残っています。

セピアとモノクロ

 写真の先輩でもある職場の先輩から、滝の茶屋の写真をモノクロやセピアにすれば良い感じになるとのアドバイスをいただいて、パソコンのデジカメ画像の処理ソフトで加工してみました。私が愛用しているのは、IBMの「デジカメの達人」古いバージョンから使い続けています。

 滝の茶屋駅前商店街の、新聞屋さんと喫茶店の写真をセピア調に…

 私の通っていたそろばん塾のアパートの写真もセピア調に…

 そして滝の市場の写真もセピア調に…

 ついでに、古いデジカメの写真も、ちょっと処理してみました。場面にあわせて、モノクロームにしたりセピア調にしたり…


2000年8月22日 明石浦漁港


2001年7月15日 京都・東山 清水坂


2001年7月15日 京都・東山 産寧坂辺り


2001年8月5日 北播磨・北条町 五百羅漢


2001年8月7日 丹波・篠山の町並み


2001年8月14日 但馬・出石 古い町並み


2001年8月19日 丹後・伊根 舟屋の光景

 それまでのフィルムカメラから、デジカメを使い始めたのが2000年の夏頃です。彼方此方にお出掛けした折に、今までのフィルムカメラだと気軽にシャッターを押せなかったのが、デジカメになって「良いなあ~」と感じた光景も気軽に撮るようになった最初の頃の写真です。久し振りに目にして、ちょっと懐かしいなあ~と思いながら、加工処理しました。

滝の茶屋

 滝の茶屋…垂水と塩屋との間にある、明石海峡を臨む高台の上にある住宅地です。古代には此処に、現在名谷にある転法輪寺があったと言われています。今も地名には「王居殿」や「城が山」といった地名が残っています。

 山陽電車 滝の茶屋駅の下りホームからは、明石海峡、大阪湾、淡路の島影、そして大阪湾越しに紀伊半島の北西部の山々を眺めることができます。

 滝の茶屋駅のホームからは、鉢伏山の稜線を目の当りにすることが出来ます。この稜線の向こう側が五畿内・摂津国八部郡須磨郷~須磨の地になります。

 須磨で生まれて、十代まで此処・滝の茶屋に住んでいました。この滝の茶屋駅の下りホームからの眺めは、私にとって、子ども時代から通学時に見慣れた光景で、懐かしいような~落ち着く光景です。

 滝の茶屋の駅前には駅前商店街があります。その南端には、神戸新聞の販売所と喫茶店がありましたが、今も隣り合ってそのままの光景がありました。

 もうかなり前に閉店しているようですが、ここにテラオ書店がありました。文庫本や月刊誌等々、子ども時代に読んだ本は、ここで買っていました。 手元にある漱石全集も、この当時、ここで買ったものです。

 テラオ書店の向かい側には土井書店がありました。朝の通学時に既に店が開いていました。タンノイの「アーデン」というスピーカから、いつもクラシック音楽が鳴っていた記憶があります。此処も、かなり前に閉店してしまったようです。ゆったりした音に魅せられて、私もタンノイのスピーカのユーザになり、今も愛用しています。

 テラオ書店の西側の路地にあるアパートの一階の一室にあったそろばん塾、何年か通っていました。

 トーホ―滝の茶屋店、此処がトーホーの本店だった時期がありました。トーホーは神戸を中心に兵庫県内に店舗を展開しているスーパーマーケットです。私が居た頃に比べると、店舗面積が2倍以上に拡大されていました。

 駅前商店街からこの坂を上れば…私の母校である東垂水小学校があります。その坂の右手にかつては「てらしょう」と言う文具店がありました。今は少なくなりましたが、小学校の近くには、文具店が必ずのようにあった記憶があります。ちょっとした玩具のようなモノも置いていた処です。坂道を挟んで左手には、大阪ガス(ハマダガスセンター)がありました。

 東垂水小学校の西側の道です。今は駐車場になっていますが、以前は空き地で、下校時にこの空き地で、おじさんが針金細工のような輪ゴム式の鉄砲や簡単な玩具を売っていました。

 私が居た頃の校舎も講堂も建て替えられています。北側の校舎は、少子化の影響でしょうか?地域センター・市民図書館となっていました。以前は3階建てで、この校舎の西の端には大きな教室があり、一階は理科室、2階は図書室、そして3階は音楽室でした。音楽室の窓からは、明石海峡越しに、淡路の島影を眺めることができました。

 この細い坂道が、私の通学路でした。当時は大きなマンションも、明石海峡大橋もなく、明石海峡の海と島影が、もっと大きく見えていたような記憶があります。

 その坂道を下って、此処を右側に向かっていたのですが…今は行き止まりになっていました。

 当時住んでいた家の近所の公園は、そのままです。ブランコの位置が変わってしまっているような気がしますが、記憶が定かではありません。

 ここの理髪店に通っていました。もうかなり前に店をたたんでしまっているようです。

 この路地のような道で遊んだ記憶があります。

 この細い路…幼稚園への通園路でした。多分、当時のそのままの風景だと思います。

通っていた幼稚園は…かなり前に閉園となって、今は住宅が建っています。その幼稚園の南側には「滝乃市場」、この東の端には豆腐屋さんがあった記憶が鮮明に残っています。

 「滝乃市場」の南側には、川重(川崎重工)の社宅があって、その南には「丸亀市場」があり、その北側の東西の道は、ちょっとした商店街のようになって賑やかでした。でも、今は、シャッターが閉まっている店舗が目立ちます。

 滝の茶屋は、川重や三菱の社宅、国鉄の官舎があり、山陽電車で兵庫駅まで出ることが出来て、和田岬の工場への通勤の便は良かったようで、住宅地としてどんどん人口が流入していたようです。アパートや文化住宅が、所狭しと建てられて…。でも滝の茶屋は道路が狭くバスが運行していません。私が住んでいた頃に比べると、商店街等の活気が低下しているように感じられました。

安徳天皇と皇女和宮

 私が生まれたのは、摂津国八部(やたべ)郡須磨村、今の神戸市須磨区になります。在原行平に所縁のある松風村雨堂は近所だったので馴染みがありますが、須磨の関所跡、源氏寺、敦盛塚を訪れたことがなく、今日は須磨楽歩を愉しみました。

 須磨駅の南側は、すぐに須磨海岸で砂浜が広がっています。西に目を向けると、摂津国と播磨国の国境の鉢伏山の稜線が綺麗に見えます。摂津国は五畿内で播磨国は西国になるので、当時の都からすれば須磨は辺境の地ということになります。

 JR須磨駅を降りて、県道199号線の端から端まで歩きました。県道199号線は須磨停車場線で国道2号線と、旧国鉄須磨駅とを結ぶ数十メートルの県道です。

 山陽電車須磨駅から東へ2百メートルほど国道2号線沿いを歩くと「千守」の交差点があります。今は暗渠になっている千森川の流れを山陽道が横切っていたそうです。その千森川の右岸の西国街道沿いに、村上帝社があります。

 琵琶の名人・藤原師長が琵琶を究めるために唐に渡りたいと、都を出てこの地に辿りついた時に、夢に村上天皇(在位926年~967年)が現れて琵琶の奥義を伝えたので、琵琶の名器・獅子丸を埋めて都に帰ったそうです。村上帝を祀ったのが、この村上帝社だそうです。天皇を主祭神とする神社です。

 旧・千森川の右岸、村上帝社の北側は関守町という地名…

 ここは古代に須磨の関所があった処です。西国と五畿内との接点が須磨、その須磨の関所の守護神として祀られていたのが、この関守稲荷神社のようです。

 旧・千森川の右岸には源氏寺(現光寺)があります。

 現光寺…源氏物語の光源氏が須磨で侘び住まいをしていたとされる処です。

 山陽電車の須磨寺駅前にある「平重衡とらわれの松跡」へ行こうかと迷いましたが、一の谷に向かいました。

 須磨浦公園の東の端に「源平史蹟 戦の濱(いくさのはま)」の碑があります。義経が京の都を出て、三草山から一の谷に軍を進めて、寿永3年(1184年3月20日)に此処で源平一の谷の合戦が繰り広げられた…

 この碑の北側に山陽電車の高架を潜る小さいトンネルがあります。

 そのトンネルを潜ると…九十九折のような歩道が連なっています。

 この歩道を上ると…須磨の砂浜の向こうに神戸の市街地を望むことが出来ます。

 遥か遠くにポートアイランドと神戸空港とを結ぶ海上の橋を眺めることが出来ます。

 源平の古戦場を望む高台の上、一ノ谷の住宅地の中にある一ノ谷公園の中に、安徳宮と皇女和宮像が並んでいました。

 安徳宮です。安徳天皇の陵は、壇ノ浦に近い下関市の赤間神宮の中に「安徳天皇阿弥陀寺陵」がありますが、この安徳宮は、安徳天皇を主祭神として祀っている神社です。

 天皇を祀る神社は、明治神宮(明治天皇)や橿原神宮(神武天皇)、平安神宮(桓武天皇と孝明天皇)等幾つかありますが、今日は、村上天皇を祀る村上帝社と安徳天皇を祀る安徳宮の二箇所を訪れたことになります。

 その西側に皇女・和宮の像があります。幕末に公武合体の名のもとに、栖川宮熾仁親王と婚約していた孝明天皇の妹である皇女和宮が婚約を破棄して、第14代将軍・徳川家茂に降嫁するために世紀のロイヤルウエディングを行った悲劇のヒロインです。

 降嫁後は徳川家の為に働き、夫の家茂、そして兄の孝明天皇を相次いで失い、静寛院宮(せいかんいんのみや)として、天皇家と徳川家の橋渡し的な役割を担ったようです。
  
 何故、一ノ谷公園に和宮像があるのか…。和宮の婚約者であった、栖川宮熾仁親王は舞子の烏崎城址に別邸があり、何か関係があるのかなあ~とも思いましたが、あまりにも唐突です。和宮像は旧制の県立第一神戸高女(神戸高校)と県立第二神戸高女(夢野台高校)そして神戸市立第二高女(須磨翔風高校)に寄贈されていたそうで、この和宮像は、どうも、その内の一体ではないかと言う説があるようです。戦前には小学校に二宮金次郎像があったように、高等女学校には和宮像があったのかなあ~とも。

 源平の覇権争いに巻き込まれた悲劇の天皇と、幕末の公武合体によって徳川家に降嫁した悲劇の皇女が、一ノ谷公園で隣り合っているとは…。一の谷の高台には安徳天皇の内裏があったとされる伝説の地でもあります。そして一の谷の逆落としの伝説もあります。

 須磨浦公園の中は、紅葉が鮮やかでした。

 晩秋の陽光を浴びて、燃えるように赤く輝いていました。

 須磨浦公園の西の端には敦盛塚があります。須磨寺にあるのが首塚で、一の谷にあるのは胴塚だそうです。敦盛の首をとった熊谷直実は、その後、敦盛の笛(敦盛は笛の名手)を屋島に居た敦盛の父・経盛の元に送ったそうです。

 山陽電車須磨浦公園駅、久し振りに、この駅を利用しました。

晩秋&播州

 黄葉・紅葉の光景を愛でに出掛けようと…、神戸市内では、須磨離宮公園や有馬、森林植物園もありますが、おそらく凄い人出で、ゆったりと黄葉や黄葉を愛でることは出来ないだろうと、車で播磨路を北に向かうことにしました。

 稲美町、三木市、小野市と田園風景を車窓から眺める中で、稲刈りが終わった枯れ草色の続く田園風景や、稲株から蘖(ヒコバエ)が青々育つ光景を眺めていると、鮮やかな紅葉よりも、「晩秋(播州)の侘び風景」(バンシュウで掛けました)を車窓から眺めるドライブも快適で…途中から変更しました。

 稲美町から三木市、加古川市、小野市、加西市、そして福崎町辺りまで。加西市の中心地・北条町の辺りの街が整備されて、数年以上前の旧道の記憶しかないので、道に迷って、新しくできた巨大なショッピングモール・イオンの駐車場に入ってしまったり…。

 ドライブだけで、今日は写真撮影は止めにしていたのですが、帰路、時々車を停めて何枚か写真を撮りました。権現湖の北の端辺り、山陽道権現湖PA近くの県道79号線沿いの街路樹が綺麗で、車を道端に停めてレンズを向けました。

 権現ダムの東側で、見土呂フルーツパークに向かう道沿いで見掛けた光景です。

 昨日一日降り続いた雨で濡れた稲株が続く田んぼと、その向こうにため池、そして小高い山、なんとなく落ち着く光景に、此処でしばし、ゆったりと山あいの風景を眺めながらゆったりとした時の流れを…

 この北側には、ススキと背高泡立草が混在する野原が続いて、その向こうに竹が生茂った小高い丘が続いています。

 そして見土呂フルーツパークに向かう道沿いの光景です。落葉が綺麗でした。

 加古川を渡る上荘橋の西詰の、加古川右岸の上荘の集落の田園風景です。向こうの丘の、そのまた向こうが権現湖ダムになります。

 そして加古川を渡って、稲美町の中新田辺りは、蘖が青々と育った田んぼが多かったです。秋の陽光を受けて、蘖が輝いていました。

 中には、穂が出ている蘖もあります。

 でも「不稔」と言って、実が入ることがなく、また穂が大きくなる前に12月の寒波で枯れてしまいます。

 もう何日かすれば、北風が吹き抜けて、晩秋から初冬へと季節も移ろいでゆくんだろうなあ~と…