有明

 朝の通勤路…自宅から最寄り駅までは、東に向かって歩くので、東の空を見ながら歩いていますが、勤務校の最寄駅からは、西に向かって歩くので、西の空を見ながら歩いています。

 今朝、阪急電車の高架沿いを歩いていて空を見上げると、月が見えました。今の月は、臥待月(ふしまちづき)や更待月(ふけまちづき)と呼ばれていますが、これは月が昇るのが遅いことを指し示している名前で、夜明け後の西の空を仰ぎ見た時には、臥待月や更待月という名称はピンときません。黎明月(れいめいげつ)という言葉もありますが、今朝見た西の空の月のイメージに近いような気がします。でも…夜が明けてからも空に残っている月のことは「有明の月(ありあけのつき)」と言うそうです。「有明」という言葉自体が「夜が明けかけても、空に残っている月」のことを指し示しているようです。

 今日は旧暦の12月20日です。3日後が節分で4日後が立春…春です。今年は(旧暦では)閏年だったので、春が来た後に、正月を迎えます。(2月10日)この月が、細くなって「朔(さく)」になるとお正月です。

 朝の通勤路で、月が見える位置と形が日毎に変わって、太陰暦(旧暦)は、わかりやすいなあ~と感じます。ちなみに昨日の1月30日は、元禄の赤穂浪士討ち入りの日でした。新暦では1月30日の未明で、旧暦では12月14日の深夜ということになります。

ふりがな

 最近、興味を持っているのが「ふりがな」です。「ふりがな」だけではなくて、「送りがな」そして「カタカナ」と「ひらがな」についても…

 「かな」は、もちろん、漢字があって、その漢字を元にして日本で作られた文字のことです。「漢字」は表意文字ですが、「かな」は表音文字です。最初の「かな」は万葉仮名です。漢字が本来持つ意味を無視して、漢字から音だけを抽出し、日本語の音に当てるという方法で、これにより借字で表記した言葉です。 

 「ひらがな」や「カタカナ」が出来たのは、平安時代と言われています。平安期以降、漢字と併用して、「送り仮名」として、そして「ふりがな」として、漢字が用いられてきました。

 「振仮名の歴史」の著者・今野真二は、明治初期までの日本語は、ゆったりとした変化はあったものの、急激で大きな変化はなく、それぞれの時代で、柔軟に変化していった様子を描いています。明治維新で、世の中が大きく変化した時も、日本語の変化はそれほど大きくなかったそうです。

 日本語が大きく変化したのは、明治の中期以降、印刷技術が発展して、新聞等が広く浸透して、そして印刷物において「総ルビ」が一般的になったことが、日本語を大きく変化させたと言っています。今野は明治後期に、新聞で小説を次々発表した夏目漱石を取り上げて、ひとつのエポックとして「揺れる日本語」と題して取り扱っています。

 右側の「振仮名の歴史」を読了して、次に左側の「百年前の日本語」を読み始めるところですが、漱石をはじめ明治期の作家は、結構、漢字や熟語の読み方が自由でしたが、印刷出版、そして総ルビの影響で、漢字の読み方である音読みと訓読みがルール化して、また送り仮名もルール化して、それまでの豊かさが削ぎ落とされて、型にはまってしまったようなニュアンスともとれることを、これらの本で言っています。

 漢字検定試験は、まさに、ルール通りの漢字や熟語の読み方が出来るか、そしてルール通りに漢字や熟語を書くことが出来るか…これらがすべてではありませんが、音読み・訓読みのルールの知識がベースになっているように思います。

 豊かな広がりを持っていた「かな」が、ルール化されて型にはまったのは、印刷技術、教育現場のニーズ等々、それは必然的なことかもしれませんが、でも、言葉の持つ「豊かさ」や「広がり」の部分が失われてしまったことも、また心に留めておかなければならないように思います。

麦と稲の蘖(ひこばえ)

 昨晩、ふと窓の外を見るとベランダに積雪が…夕方以降に雪が降ったようです。そして今朝、ベランダの雪は、そのまま残っていました。この冬初めての積雪かもしれません。

 今日は、仕事をお休みして、午前中は机に向かっていました。午後から車で出掛けました。昨日は加古郡播磨町へ行きましたが、今日は同じ加古郡の稲美町を通過しました。
加古郡には現在、播磨町と稲美町の2つの町のみですが、以前は加古川の河口一帯が加古郡でした。その後、加古川市、高砂市が市制を施行し、二見が明石市に編入されて、隣接しない播磨町と稲美町の2つの町が加古郡に残っています。明治21年の郡区町村編制法で誕生した加古郡の加古新村、母里村、天満村の3村が昭和30年に合併して町制を施行して稲美町となった経緯があります。

 「いなみ」という地名は、万葉集に「いなみ野」と読まれており、加古川と明石川に挟まれた印南野台地一帯を「いなみ」と呼んでいたようです。ちなみに播磨国風土記では「入波」と書かれているそうです。

 稲美町は、西日本最大の六条大麦の生産地で、この時期、寒空の下で、麦畑は青々と冬の陽光に輝いています。

 田んぼでは、稲の切り株から蘖(ひこばえ)が育ち、再び実をつけて寒波で立ち枯れした光景が広がっていました。

 小野市の「白雲谷温泉・ゆぴか」で身体を温めて…温泉上がりに、小野の地元の牧場である共進牛乳を飲みました。

 「ゆぴか」には、そろばん神社がありました。今まで気付かなかったのか、それとも最近設置されたのか…わかりません。

 小野市の田んぼは、稲の切り株から蘖(ひこばえ)は育たなかったのか、切り株だけが田んぼに広がっていました。

 小野のひまわり公園で、「越乃寒梅」を買ってしまいました。越後・新潟の石本酒造のお酒です。長岡に4年間居た頃に、何度か口にした記憶がありますが、当時は、超人気のお酒でした。淡麗辛口のお酒で、当時は好みではなかったのですが、最近は淡泊な肴を淡麗のお酒で味わうのが美味しく感じ、最近は入手しやすくなった「越乃寒梅」を、つい買ってしまいました。以前はかなりプレミア価格で取引されていたようです。

 今晩は、ふろふき大根と湯豆腐で、越乃寒梅を味わいました。

冬の好日

 今日は冬型の気圧配置で、日本海側は荒れた天候のようですが、瀬戸内海・大阪湾に面した神戸は、朝から快晴の「冬の好日」です。旧暦では12月16日で、まだお正月を迎えていないので平成24年です。今年は閏年だったので、正月前に節分・立春を迎えることになります。旧暦だと12月16日で、あと半月で年末を迎える満月の日…ということになるのでしょうか?

 自宅近くの立ち寄り湯である「太平の湯」の朝湯でゆったりと身体を温めて…駐車場からふと目を向けると、五色塚古墳の正面(前方後円墳の[後円]の部分)が見えました。

 旧浜国道を西に向かって、西江井ヶ島にある茨木酒造へ。夏場は、この辺りまで自転車で往復するのですが、冬場はあまり訪れることがありません。来楽という銘柄のお酒を作っています。

 更に西へ向かって、播磨町の大中遺跡へ。数年前のこの公園内に考古博物館がオープンしたのですが、気になりながら、今まで訪れていませんでした。公園内には竪穴式の復元住宅があります。

 播磨町の郷土資料館もあり、屋外展示として、この地を走っていた別府鉄道の機関車と客車が保存されています。

県立考古博物館…此処には展望台があり、遠く、加古川中域右岸の山々を遠くに望むことができます。

 大中遺跡のある公園内については、ホームページをつくりました。
大中遺跡と県立考古博物館、および播磨町郷土資料館についてのページです。(リンク)
http://itsumi.citykobe.jp/201301ohnaka/

 茨木酒造で買った来楽の「生しぼり・純米吟醸酒」です。

 夕ご飯は、お酒にあわせて、あっさりした肴…

兵庫&恵比須

 今日は車の点検でした。車を買った時に、3年間の安心パックに加入したので、半年ごとに案内があり、メンテナンスを受けています。兵庫駅の近くに車を買った店があるので、待っている間にメンテナンスも可能なのですが1時間ほど掛かるので、車を預けて、電車で出掛けることにしました。

 兵庫駅…通勤等では、行き帰りに通過するだけで、乗り降りするのは、車のメンテナンスの時ぐらいです。

 駅舎の中は、結構レトロな雰囲気が漂っています。

 和田岬線との乗り換え口付近は、ちょっと天井が低い空間があります。

 日本橋…大阪の電器店街で、デンデンタウンと呼ばれている処に久々に出掛けました。一昨年に東京の秋葉原に出掛けた時に「最近は、地元の日本橋に立ち寄ることがないなあ~」と感じた記憶があるぐらいで、かなり久し振りです。堺筋線の恵美須町で降りたので、路面電車の阪堺電車の恵美須町駅に行きました。櫛形ホーム、終着駅の風景です。

 電子パーツ等の専門店の共立電子の店がなくなっています。結構キット等人気があったと思っていたのですが、最近は自作する人が減って、閉店したのかなあ~と、ちょっと寂しく電器店街を歩いていくと…別の場所に共立電子の店がリニューアルオープンしていました。

 中学生の頃は確か2階だったのが、いつのまにか狭いスペースに5階建てぐらいになって、所狭しとパーツや線材、コネクターやキット類が並んでいたのが、ちょっと広いスペースになっていました。

 明電工業…、ここも中学生の頃から立ち寄っていた店ですが、バラエティーグッズのショップのような様相になっており、今日は店内に入らずに、通り過ぎてしまいました。

 東京真空管商会…、ちょっと敷居が高そうな店で、買い物以外では、ちょっとぶらっと立ち寄るのが憚られます。今日も店の前を素通りしただけです。

 行きは梅田経由でしたが、帰りは難波まで歩きました。デンデンタウンの表通り(堺筋沿い)から西側は、電器店というよりも、オタクの街のような感じの店が並んでいました。

 難波から阪神なんば線で三宮まで…梅田経由よりも、乗り換えが少なく便利で楽でした。メンテナンスが終わった車で自宅に向かいました。車で通勤していた頃は、帰路によく通っていた「そうれん道」を久し振りに通りました。昔、焼き場があって、葬儀の列(関西弁では「そうれん」)が此処を通ったことから、その名がついたそうです。

鵯越の交差点から、旧西神戸有料道路を通ったのですが、渋滞で丸山大橋の上で停止…結局、鵯ランプで降りて、妙法寺、北須磨団地経由で帰りました。

世乱れて忠臣を識る

 スマートフォンのアプリに日めくりカレンダーというものがあり、今日の格言が『世乱れて忠臣を識る』とありました。今日は、旧暦では12月14日で、赤穂浪士による元禄赤穂事件の日です。

 赤穂浪士の討ち入りがあった元禄15年は閏年でした。そして今年も(旧暦だと未だお正月を迎えていないので平成24年)閏年です。時期的に、節分と立春前の寒い時期です。

 討ち入りがあった日は旧暦の元禄15年12月14日の夜です。正月前の満月を目前としたこの日に、吉良邸で茶会があり、吉良義央(上野介)が在宅していることが間違いないとのことで、この日の討ち入りが決定したようです。ですから、赤穂浪士の討ち入りの日は、旧暦の年末の満月の前の夜で、閏年で寒さも厳しく雪が舞うような夜・・・ということになります。

 現在では、旧暦の12月14日の討ち入りの日を、新暦の12月14日としていますが、確かに年末に討ち入ったという点では良いのですが、その日が満月とは限りませんし、時節からいって、小雪が舞うような、もっと寒い時期だったのが、新暦の12月14日では1ヶ月半前倒しになっています。

 太陽暦では、1703年1月30日の未明となります。年が明けて1月30日(閏年だった為に暦が遅いです。)そして12時に日付が変わりますので、翌日ということになります。旧暦と新暦では、討ち入りがあった「年」も「月」も「日」も異なることになります。旧暦では年末の茶会が新暦だと年明けで1月の晦日に討ち入りがあったことになり、これも違和感があります。

 旧暦の12月14日を、そのまま新暦で「赤穂浪士討ち入りの日」とするのも、また旧暦の12月14日を太陽暦で1月30日として「赤穂浪士討ち入りの日」とするのも、どちらも無理があります。かといってキリスト教のイースターのように移動記念日(旧暦の12月14日を、そのまま旧暦12月14日)としても、太陽暦の正月が過ぎてから討ち入りがあったことになり、これにも無理があるのかもしれません。

 暦って、日々の生活のリズムなんだなあ~と、赤穂浪士の討ち入りを巡って、アレコレと考えさせられました。近世以前の出来事に関しては、同じように暦を考慮して考えると、また違った視点が得られるのかもしれません。

夜明け&日暮れ

 一昨日の月曜は、朝の天気予報で、夕方から雨とのことでしたので、傘を持って自宅を出たのですが、乗り込んだ電車の中で傘を持っていたのは、同じ車両の中では、私ともう一人だけ…。でも帰りの電車の中では傘を持った人が結構多くて、垂水駅の着いて改札を出ると、雨が降り始めていました。雨は翌朝まで続いて、昨日の火曜はお昼過ぎまで時折雨が降る曇りがちでしたが、夕方には薄日も射し込んできました。

 昨年の12月初旬に、日の入りが16時48分で、定時に職場を出ても垂水駅に着く頃には真っ暗でしたが、今日の日の入りは17時19分、垂水駅の改札を出て西の空に目を向けると、黄昏時のグラデュエーションが綺麗な時間帯でした。

 そして今朝、玄関を出ると真っ暗な街の中に街灯の光がアスファルトを照らしていましたが、でも、もっとも日の出が遅い1月下旬の7時7分から、今日は半月が経過して、日の出の時刻が7時3分と4分だけ早くなって…それでも、東の空の端に明るさを感じるようになりました。

 寒さは、まだ厳しくなりますが、でも夜明けは日毎に速くなり、夕暮れも日毎に遅くなるのを実感します。街路樹の木々をよく見ると、堅い蕾が、少し膨らんで、春の準備が、もう始まっているようです。

天神橋筋商店街

 昨日は、西宮での演奏会の前に、長い長いアーケード商店街・天神橋筋商店街を散策して天六にある「大阪くらしの今昔館」へ立ち寄りました。

 環状線・天満駅で降りて、天神橋筋商店街を天六へ向けて北へ…

「大阪くらしの今昔館」です。大きなドームの中に近世の街並みの復元があり、実際に商家や長屋を実感できます。 

 近代に関しては、パノラマ模型での展示です。

 天神橋筋商店街の散策の模様と、大阪くらしの今昔館を見回った模様について、ホームページを制作しました。
http://itsumi.citykobe.jp/201301tenjinbashi/

時間があれば、天六から西宮へ向かう前に、千林商店街へも立ち寄りたかったですし、この春でなくなる「淀川に架かる貨物の単線と歩道の鉄橋の風景」も見たかったのですが、出掛ける時間が遅くなって、時間がありませんでした。近々…