大阪

 大阪の町…キタの梅田やミナミの難波・心斎橋周辺に出掛けることはありますが、それ以外の大阪の町を歩き回ったことがないので、昨日と今日の2日で大阪観光をしました。

 阪神梅田駅です。ちょうど春の選抜・高校野球の時期で、甲子園往復チケット専用券売機が稼働していました。

 難波宮跡です。大阪城の南側にあります。古代の宮殿跡です。孝徳天皇の時代と天武天皇の時代に都となった場所とされています。結構広い難波宮史跡公園として整備されていました。

 大阪は、縄文時代の縄文海進の時代には、上町台地だけが陸地で、それ以外は河内湾、その後は河内湖となり、葦の繁っげる湿地帯だったようです。

 上町台地は、概ね谷町筋から東側に広がり、北端が大阪城の辺りになります。現在の谷町筋と松屋町筋の間に上町台地の西の端となり、多くの坂があります。天王寺七坂と呼ばれる坂を巡りました。

 生國魂神社の北にある真言坂(しんごんざか)から巡りはじめて、源聖寺坂(げんしょうじざか)、口縄坂(くちなわざか)、愛染坂(あいぜんざか)、清水坂(きよみずざか)、天神坂(てんじんざか)、そして南の端が一心寺の前にある大きな逢坂(おうさか)です。

 写真は、源聖寺坂です。この辺りはお寺が多く下寺(しもでら)という地名です。

 落語の舞台にもなっている高津宮(高津さん)や生國魂神社(いくだまさん)も、上町台地にあり、初めて訪れました。生國魂の境内には、上方落語の始祖とも言われている米沢彦八の記念碑があります。

 上町台地の西の端からの眺めです。この辺りには、夕陽丘という地名もあり、仁徳天皇が上町台地の高津宮から、町の家々のかまどから煙が出ていないのを憂い3年間免税にした逸話が残っています。

 そして天王寺七坂の南端の逢坂です。

 新世界のジャンジャン横丁です。往時の賑わいはものすごかったようですが、今も賑やかです。

大阪天満宮に隣接する寄席の繁盛亭です。大阪天満宮も初めて訪れました。

 浪花三大橋も巡りました。大川に架かる橋で上流から、天満橋、天神橋、難波橋です。

 天満橋の近くには、京との水路を結ぶ三十石の船着き場である八軒家の船着き場があります。

 浪曲の石松金比羅代参・石松三十石船での名フレーズ「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」「寿司を食いねぇ」が有名です。上方落語にも「三十石」という演目があります。

 この写真は天神橋です。

鶴見緑地公園も訪れました。ここも初めてです。

園内は花盛りでした。

そして赤川鉄橋です。貨物の単線と歩道の珍しい鉄橋です、この秋には供用が終わるそうです。

千林…千林の商店街です。新世界のジャンジャン横丁とは違った雰囲気の賑やかさです。

久し振りにニュートラムにも乗りました。

神戸から大阪の街は近いですが、京都や奈良と違って、観光で訪れるというよりも買い物や用事で出掛けることはあっても、観光で大阪の街を巡ることはあまりなく、今回初めて訪れた処も多かったです。

大原、平福

 昨日は大原と平福の古い町並みを訪れました。

 元々は平福の町を久し振りに訪れるのが目的だったのですが、地図では1週間前に全線開通した鳥取道に佐用平福インターチェンジがあるのを目にして、鳥取道経由で…

 ただ、走れども平福ICが出てきません。そのうち岡山県に入って大原IC…どうも見落としたのか通り過ぎてしまったようですが、天気も良く、そのまま鳥取道のドライブを続けて、鳥取県に入って、鳥取市の用瀬PAで一息。ここでUターンして、平福に向かいましたが、せっかくなので古い宿場町が残る大原に立ち寄ることにしました。

 駐車場のある大原公民館に来て、古い記憶が甦ってきました。初めて訪れる町だと思っていましたが、かなり前に、ここに車を停めて観光したことを思い出しました。光景を目にして、忘れていた記憶を思い出しました。

 古町の町並みです。

 宮本武蔵の生誕地のも立ち寄りました。此処は、大河ドラマ「武蔵」が放映されていた頃に来ています。特設の会場があり、ものすごい人出だった記憶があります。どうもその折に大原にも立ち寄ったようです。

 智頭急行の宮本武蔵駅です。

 平福ICは、中国道から鳥取方面へ向かった場合には降りることが出来なかったようで、私が見落としたわけではなかったようです。リサーチ不足でした。そのお陰で、鳥取までのドライブと、大原の古い町並みを散策することができました。

 平福駅です。

 そして平福の町並み…

 平福の宿場町を見下ろす山の頂に、山城の利神城(りかんじょう)址がありました。播磨の豪族・赤松氏一族の別所氏が築城したそうです。

 昨日は鳥取市の用瀬PAまでの往復で310キロのドライブでした。広島市まで片道で約300キロなので、鳥取って結構近いなあ~と実感した1日でもありました。

若者たち

 朝の連続テレビ小説「純と愛」、これまでの朝ドラでは最終回になるとハッピーエンドのエンディングで思い出話や回顧シーンが多くなっていたように思いますが、今回の「純と愛」では最終週にも緊張感のあるストーリーが続いています。

 新生サザンアイランドの一階にみんなが集まったシーンで、オオサキプラザホテルの先輩だった桐野富士子が、里やで人間ジュークボックスをしていた宮里羽純に「若者たち…」とリクエスト。

♪君の行く道は 果てしなく遠い…

 宮里羽純の唄声に、一同が聴き入ります。

♪君のあの人は…

 ここまで唱って宮里羽純は戸惑いを感じて唄うのをやめますが、リクエストした桐野富士子は、そのまま歌い続けるようにと促すような素振りを見せます。

♪今はもういない だのに何故 何を探して

 純にとって、この唄のメッセージは衝撃以上のものを意味するかもしれません。

♪君の行く道は 希望へと続く…

 聞き慣れた唄でしたが、これほどこの唄を聴き入ったことはなかったかもしれません。

♪空にまた 日が昇るとき 若者はまた 歩き始める…

就職&入学のWお祝い

 この4月に甥の就職と姪の入学が重なります。今日は「Wお祝い」です。

 お祝いの食事会の前に写真館で記念写真を撮りました。幾つかのポーズで何度もフラッシュを浴びて…。出来上がった写真を液晶画面上で確認・選択して1時間半ぐらいの時間が掛かりました。仕上がるのは半月後だそうです。

 そして食事会…神戸吉兆の和室での会席料理。6時過ぎから10時半頃までゆったりしたお祝いの会です。

 詳細は…
http://itsumi.citykobe.jp/201303kiccho/
 

花冷え

 冬の終わりのこの時期、寒さが緩んで春めいた穏やかな日がしばらく続いていましたが、昨日の夕方から曇り空が広がり、今朝は寒さが戻って冷え込みました。花冷え…という言葉は、本格的な春になってからの冷え込みを指し示す言葉ですが、しばらく麗らかな日が続いたので、少し先走った「花冷え」という言葉もそれほど不自然ではないような気がします。

 昨日は入試の合格発表の日、少し早引けして三宮から元町の旧居留地を歩きました。神戸の繁華街・三宮は、元々は神戸村があった処で、地名として「神戸」がもっともふさわしいはずなのですが、明治時代に兵庫の町と神戸村との中間付近に鉄道の神戸駅ができたため、市内で「神戸」と言えば、楠公さん(湊川神社)やハーバーランドがある神戸駅周辺を指し示す地名というニュアンスが強いです。

 これは横浜も同じで、神奈川の町と横浜村との中間付近に横浜駅ができたため(横浜駅は、現・桜木町駅にあったのが、神奈川寄りに移転しています)元々の横浜村とは違う処である現・横浜駅周辺を「横浜」と呼んでいます。

 三宮神社…実際には三宮駅よりも元町駅に近い処にあります。今まで写真を撮ったことがないかもしれません。

 

 元町のスクランブル交差点です。元町の商店街と大丸神戸店との間にある人と車がスクランブルな動きをする地点です。この南に南京町や栄町があり、旧・メリケン波止場があり、大丸神戸店の南東には旧居留地が広がっています。

 花冷えのする快晴の夕方前のひととき、古き良き時代の港町・神戸の香りが漂う旧居留地辺りをフラッと立ち寄りました。

小野町

 古都・奈良の中心地に「ならまち」があります。また神戸の中心地(旧居留地)には、浪花町、江戸町、京町、明石町、播磨町という地名があります。居留地(租界)が日本に返還された時に、それぞれ著名な地名が由来です。

 小野町…福島県には小野小町に由来する小野町がありますが、小野市にある小野町駅は…小野市の中心にあるわけではなく、逆に、小野市の中心地が加古川左岸の神戸電鉄小野駅周辺にあるのに対して、加古川の右岸にある小野町駅周辺は、小野市のはずれになります。

 小野町駅の誕生は、加古川線(当時播州鉄道)が開通した大正12年(1913年)になります。その時の小野町駅は加東郡来住村となり、加東郡小野村が町制施行で小野町になるのが2年後の大正14年(1915年)、そして小野町と来住村など周辺の町村が合併して小野市となるのが昭和29年(1954年)です。小野町駅は、40年あまりの間は小野になかったことになります。似たようなことは山陽線の龍野駅にも該当します。

 小野町駅です。下りの西脇方面の列車が出た後に、上りの加古川行が数分後という時間帯で、駅には結構賑やかでした。交わされる会話を聞いていると、息子が大学に合格したので、これから下宿を探しに行くという家族連れもありました。

 西脇方面から加古川行の列車が到着

 春分の日の休日の朝で、2両の車内も結構混雑していました。

 小野町駅の近くの加古川に掛かる「おおすみはし」にはそろばんの町・小野の玄関駅へ至る橋という意味なのか、橋にそろばんが埋め込まれています。そろばんには”1986″が入っています。

 おおすみ橋から上流の眺めです。

 下り方面に一駅北に行くと粟生駅があります。粟生町の中心街近くに掛かる県道の橋の上からの上流の眺めです。

 自宅の近くに舞子墓園があり、墓園周辺の道路は大変混雑していました。かすかに線香の香りが漂ってきました。

らんぷミュージアム

 神戸・元町の旧居留地の一角に「らんぷミュージアム」があります。十数年前にオープンした関西電力の灯りの博物館です。東北の震災・原発の停止の余波の合理化の影響で4月から当面休館になります。久し振りに訪れました。

 三宮駅から南へ…

 日銀神戸支店の北に位置して、ルミナリエのシーズンには、らんぷミュージアムの南側の通りが、光の渦で輝きます。2階のらんぷミュージアムの入口です。

展示は、時系列に…最少は松明(たいまつ)が使われた古代の灯りです。

中世以降の植物油を灯油として使った時代の灯り…照明器具です。

そして蝋燭(ロウソク)を用いた灯り…

植物油を使った行燈から鉱油を用いたランプ…

 明治に入ってガス灯…

そして明治12年にエジソンが発明した電球…

最後の展示が電球を用いた照明器具になっています。

残念ながら、蛍光灯もLEDも、らんぷミュージアムにはありませんでした。

東山と茶屋町

 この週末は土日とも快晴で、今日は京都・東山に向かいました。下鴨神社の高野川との合流点までが賀茂川で、それから下流が加茂川で、一般には鴨川…でしょうか?

 阪急電車の河原町は、四条河原町の交差点の地下にあり、駅を出て四条通りを東山方面に向かうと、先斗町のすぐ向こうに東に鴨川を渡る四条大橋があります。その橋の上から、先斗町沿いと三条大橋を撮った写真です。

 南座の前を通り過ぎて祇園の花見小路です。祇園の茶屋・一力です。この暖簾をくぐることは…おそらくないでしょう。

 良天気で、花見小路は結構賑やかでしたが、一歩路地に入ると静かな佇まいの京らしい町並みが…

 八坂神社を通り過ぎて円山公園、まだ桜のシーズンではないので、公園の中は麗らかな静かな雰囲気が漂っています。

 知恩院…巨大な三門です。

 急勾配の石段を上ると、そこには徳川家光によって建立された御影(みえい)堂を目にすることができるのですが…改修工事中のようで、すっぽりと覆いに囲まれていました。

 御影堂の前の自動販売機では、「知恩院のお茶」が売っていました。

 急勾配の石段の上から三門を見下ろすと…絶景です。

 夏目漱石には明治43年に伊豆で吐血した「修善寺の大患」と言われる体験がありますが、この日、知恩院の急勾配の階段を下りている時に、横を小学生ぐらいの姉妹が競い合って早足で下りて行きました。私も、ちょっと下りるペースを上げると…膝に痛みが走りました。平成25年の「知恩院の災難」です。漱石の「修善寺の大患」と違って、後に痛みを引きずることもなく、その場限りの「災難」で済みました。

 この日は、「阪急・阪神1dayパス」でしたので、大阪・梅田に立ち寄りました。茶屋町辺りを立ち寄ることが最近なかったので、久し振りに茶屋町へ。茶屋町に綱敷天神社の御旅社本殿があります。

 元々は梅塚天満宮があり、御祭神として梅塚天神を祀っていたそうですが、明治初期に梅塚天満宮の土地が神仏分離令や上知令により国に没収されたのに伴い、茶屋町の氏神として迎えたいと土地の寄進があって御旅社ができたそうです。

 古本のまち・かっぱ横丁にも久し振りに…

 神田の神保町やかっぱ横丁に足繁く通っていた頃もありましたが、久し振りの古本屋の巡回です。

 鏡花全集に目が留まりました。欲しいなあ~とも思うのですが、置くスペースがありません。