横須賀と雑司ヶ谷

 横浜行きの3日目です。昨日は鎌倉から横須賀へ向かう予定だったのですが、新川崎駅付近の横須賀線近くの火事の影響でダイヤが乱れて、下り電車がストップしたままだったので予定を変更して、今朝横須賀に向かいました。

 関西では快速電車にグリーン車が設定されていませんが、首都圏では以前から横須賀線や東海道線にグリーン車が設定されています。現在は2階建て車両です。土曜の早朝の下りは、貸し切り状態でした。2階からの車窓の眺めも良いですが、1階部分の車窓からのローアングルの眺めも面白いです。

 横須賀駅を出ると、すぐにヴェルニー公園があり、米軍と自衛隊の横須賀基地が目の前に広がっています。

 元々は、旧海軍の軍港への物資輸送のための貨物線として横須賀線が開通した経緯があり、繁華街は、京浜急行の横須賀中央駅近辺に広がっています。
 
 米軍の横須賀基地の出入り口の前には「ドブ板通り」という米軍向けの店が並んでいます。早朝だったので人通りも少なかったですが、見掛けるのは米軍関係者と思われる外国人の姿ばかりです。昨日の夕方に来ていれば、ドブ板通りは賑やかだったと思いますが、逆に観光客ばかりの雰囲気だったかもしれません。

 昨年の夏の長崎行きの折に、平戸で泊まった旗松亭の裏山に三浦安針の墓がありました。三浦安針は、日本に初めて来たイギリス人と言われています。遭難して豊後に漂着し、徳川家康が謁見してアダムスを気に入り、通訳・外交官として召し抱えることになって、三浦半島の逸見(へみ)に250石の所領を授かって旗本となり、武士としての日本での生活が始まることになったそうです。日本名・三浦安針は、領地の逸見がある三浦半島にちなんで”三浦”、そして航海士であったことより水先案内人の意である”安針”だそうです。その後、国外の貿易が平戸に限られたため、平戸の商館に移り、平戸で没しました。三浦安針の墓は、平戸にあり、そして、所領のあった逸見(横須賀市)には慰霊碑があります。

 「港の見える丘」にある三浦安針の慰霊碑に向かったのですが…横浜の「港の見える丘」と違って、かなり高い処にあり、丘というより山でした。汗ばむどころではなくて、朝から快晴の横須賀で登山をしたようなもので、汗だくになりました。

 昨年の長崎行きと、今回の横浜行きとのつながりです。

 その後、京浜急行の快速特急で横浜に向かい、蒲田から東急池上線で五反田へ。かつて五反田に半年間住んでいたことがありますが、池上線に乗ったことがありませんでした。当時の東急ストアーの4階部分にある終点の駅です。

 都電荒川線です。大阪には阪堺電車、京都には嵐電という路面電車があり、東京にも都電が残っていますが、残念ながら神戸には市電・路面電車がありません。栄町や旧居留地、北野の異人館の辺りとメリケンパーク等を市電が行き来すれば観光のリソースになるのになあ~と感じます。

 2年前に雑司が谷の墓地を訪れたときに、漱石の墓を見つけることが出来ませんでしたが、今回はリサーチして漱石の墓に辿り着けました。漱石の「こころ」では、先生に初めて出遭ったのが鎌倉の海岸で、先生がかつての親友Kの月命日に訪れていたのが雑司ヶ谷の墓地です。

 泉鏡花、永井荷風、竹久夢二、サトウハチローetcの墓にも…

 今回の横浜行きでは、繁華街を避けていましたが、今日・土曜の夕方に有楽町・銀座を訪れました。有楽町の駅前で、懐かしい光景…、この一郭だけが取り残されたような感じです。

 山野楽器、本の教文館はありましたが、お気に入りの文房具屋さんが見当たりませんでした。松屋の前で、「銀座4丁目」の標識の上でじっとしている3匹の猫をみんなが撮っていました。

 今日の活動量計は歩数が27490歩、17.2m、消費カロリーは2814kcal、燃焼脂肪量は77.3gでした。