江戸の面影

 横浜行き4日目です。山手のドルフィンが今回の横浜行きのトリガーでしたが、4日間晴天続きで、予定を繰り上げたり、予定していなかった処にも結構足を運んで彼方此方廻ったために、「横浜行き」という割には、横浜市内は半日余りだけで、あとは蕨、横須賀、鎌倉、そして東京の堀の内、雑司ヶ谷を巡ってきました。予定を繰り上げて心積もりしていた処はもう行ったので、今日は新幹線の時間まで、コインロッカーに大きな荷物は預けて、東京が江戸と言われていた頃の名所旧跡を巡ることにしました。

 朝一番に向かったのは佃島です。落語に「佃島」という演題があり、当時は渡し船で佃島に渡っていました。5年前のNHKの朝ドラ「瞳」の舞台となったのも、ここ佃島でした。

 佃島の発祥は、豊臣秀吉によって徳川家康が関八州(武蔵、伊豆、相模、上野、上総、下総、下野、常陸)に移封された折に、摂津国の西成郡佃村(現・大阪市西淀川区)の漁師を江戸に連れて、その後、隅田川の河口の中州のような処を築島して、そこに移り住んだのが佃島の発祥です。佃島の北にも島がありましたが、石川八左衛門重次が徳川家光から拝領したため石川島と呼ばれるようなり、その後島の間は埋め立てられて地続きになり、江戸中期以降は併せて佃島と呼ばれていたようです。現在の佃1丁目、2丁目辺りになります。ちなみに幕末の石川島の造船所が石川島重工業となって、現在のIHI・石川島播磨工業の発祥の地です。

 昔ながらの下町の情緒を残す町並みが残る一方、周りは、大川端リバーシティ21の超高層マンション群が隣接しています。山田洋次監督の映画「息子」では、岩手から上京した父が、長男が住む大川端リバーシティ21と思われるマンションに寝泊まりしていました。

 古い佃島の町並みの路地の奥に高層マンションが見える独特の景観…

 次に向かったのは両国界隈です。今日が大相撲の初日で、本来ならば両国界隈は賑わうのですが、大阪場所なので、おそらくいつもより静かなのかもしれません。

 両国…、現在はJR総武線の両国駅や両国国技館周辺を指し示す地名ですが、元々は隅田川に架かる両国橋が由来です。隅田川が下総国と武蔵国の国境であったために、その両方の国を跨ぐ橋とし両国橋と呼ばれるようになったそうです。その後、隅田川の左岸・南葛飾郡が武蔵国へ編入されますが、そのまま両国橋の名前は残って、現在は地名になっています。

 この辺りに旗本・吉良邸がありました。2500坪あまり(8000平方m以上)とかなり広大な敷地だったようですが、今は地元の有志らが旧邸内の「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入して整備されたのが本所松坂町公園です。元禄14年3月14日の深夜(西暦1701年4月21日の未明)に赤穂義士の討ち入りがあった処です。

 旧・本所松坂町のすぐ近く、旧・本所亀沢町で文政6年(1823年)に勝海舟が生まれています。歩いて数分の処でした。

 回向院…、振袖火事と呼ばれる明暦の大火((明暦3年・1657年)の焼死者10万人余を葬った万人塚が始まりで、その後の安政大地震をはじめ、災害や事故の無縁仏も埋葬されるようになりました。

 回向院の境内で勧進相撲が興行されたのが、現在の大相撲の起源であり、回向院の北2~300mの処に両国国技館があります。回向院の境内には、物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」があります。

 そして無縁仏が数多く葬られている回向院に、鼠小僧…文化文政年間に大名屋敷を専門に荒らした義賊の墓があります。

 本所から両国橋を渡って、柳橋へ…。

 柳橋は、神田川に架かる橋の名前です。神田川が隅田川に注ぐ最も下流に架かる橋です。この橋から隅田川との合流部分までは数十mです。この辺りは、江戸時代には浅草旅籠町だった処で、両国橋を渡って奥州街道に至る江戸の玄関口として旅館や料亭が並び、隅田川の船遊び客の船宿も多く、唄や踊りが自慢の洗練された芸を持ったチャキチャキの柳橋芸者が有名でした。柳橋から神田川の上流方面を見た光景です。船宿と舟が…

 そして隅田川に架かる両国橋から見た柳橋です。

 柳橋を後にして、隅田川の下流方面、日本橋蛎殻(かきがら)町にある「情け有馬の水天宮」に行く予定が、新幹線の時間を考えると、ちょっと厳しいかなあ~と諦めて、「恐れ入りやの鬼子母神」を優先しました。
 
 江戸の後期には、江戸の町で朝顔を育てるのが流行ったそうで、明治に入ってから朝顔市で賑わったようです。
 
 蜀山人…、江戸後期の狂歌ブームの火付け役と言われ、19歳で著した狂詩集「寝惚先生文集」の序文は平賀源内が書いたそうです。松平定信の寛政の改革に対しての政治批判の狂歌「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといひて 夜もねられず」の作者と言われ、辞世の歌は「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」だそうです。

 この蜀山人の作と言われているフレーズが「恐れ入りやの鬼子母神」です。

 現在の住居表示では「入谷」ではなくて「下谷」となっています。

 帰りの新幹線は、折り返し東京発の「のぞみ」でした。ホームに入ってくる「のぞみ」を「新幹線お掃除の天使たち」と呼ばれる方々がお迎えをして、到着して出発するまで十数分しかない時間の中で、車内を清掃します。

 帰りは16号車、最後部の車両でした。

座席は4Eで窓側、でも春霞なのか、富士山を望むことは出来ませんでした。

 車内のテロップで流れるニュースを見ていると、午後1時過ぎに東京の気温が25.3℃となって夏日だったようです。朝から、佃島、本所、柳橋、入谷と新幹線の時間まで足早で駆け巡ったので汗だくになったと思っていたのですが、気温も初夏なみだったこともあったようです。

 新大阪駅に着いてホームに降り立って…寒さに震えてしまいました。上着やマフラーは荷物の一番下です。新幹線に乗る前に東京では半袖姿の人もチラホラ見掛けて、春モードでしたが、新大阪駅の在来線ホームで周りを見渡すと厚い上着にマフラーと手袋、傘を持っているも結構いました。帰宅するまで、冷たい風が身に沁みました。

 今日の活動両計は、21573歩、13.6km、消費カロリーは2736kcal、燃焼脂肪量は64.4gでした。