近代ゴム産業発祥の地

 神戸を発祥とする会社…西国街道沿いの寒村にすぎなかった神戸村が,江戸末期に国際港として開港して以降,神戸村から神戸区そして市制を敷いて神戸市となり,港町として大きく発展する中で,近代産業を担う会社として誕生して巨大企業となった会社として,神戸製鋼(鈴木商店の神戸製鋼所から独立),川崎重工(築地造船所が官営兵庫造船所の払い下げを受けて川崎造船所を設立),三菱電機(三菱造船神戸工場の電機部門が三菱電機として独立),そして住友ゴムがあります。

 今日は,生徒の会社見学会の引率として住友ゴムへ行きました。神戸には住友ゴムの設立以来の工場があったのですが阪神大震災で工場は壊滅的な打撃を受けて,今は開発部門と本社機能だけになっています。

 元々は,イギリスの獣医であったJ.B.ダンロツプが1888年に息子のために空気入り自転車タイヤを作成し,その後ダンロップを設立したのが発端だそうです。

 その頃は南米のアマゾン等に自生する野生ゴムから採取された天然ゴムを使っていたそうですが,その後イギリスは東南アジアで天然ゴムを栽培することに成功し,当時の神戸は欧州航路の終着点であったことより,シンガポールで船積みされたゴムを運ぶのに最も便利だったこともあり,明治42年(1909)ダンロップ社の極東地域の拠点として神戸の地にダンロップ護護極東株式会社が設立されたのが住友ゴムの発祥だそうです。

 住友ゴムの敷地内に「近代ゴム産業発祥の地」の碑がありました。会社の私有地の中なので,一般に立ち入ることが出来ませんので,発祥の地の石碑があることを知りませんでした。隣接する敷地は,鈴木商店の神戸製鋼所だった処で,その跡地にある神鋼病院の前には「神戸製鋼所発祥の地」の碑があります。今は住宅地となっていますが,阪神大震災までは,住友ゴムと神戸製鋼の牙城だった処です。

 工場見学は午後1時から午後4時までの3時間のたっぷりメニューでした。原材料からゴムを練って試作品を作り出す部門から,ゴムを加硫(高温と高圧力を加える)する部門,出来上がったゴムの試験片を引っ張り試験等の各種検査や試験,データ取りをする部門,世界各地のタイヤ工場で試作・生産されたタイヤの各種試験をする部門…無響室と水上や氷上走行テストをする実験室,そして電力設備等の保安部門も含めて,盛り沢山の見学でした。

 セキュリティーが掛かった区域ばかりなので,一般の見学は出来ない部門ばかりでした。でも後で訊くと,外部の人には全く公開していない部門も多いそうです。

 私が3年余り勤めていたのも,電気系の製造業で全国に製造拠点の工場があるなかで,研究・開発部門だけが独立していた事業所でした。同じような雰囲気だなあ~と思いながら見学しました。

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 帰路,JR神戸線・灘駅の改札横にあるコーヒーショップの入り口に目が留まりました。

 今日で7月も終わりです。

ビッグデータ

ビッグデータという言葉があります。

総務省の情報通信白書における定義は,「事業に役立つ知見を導出するためのデータ」とあります。さまざまな局面で得られた『構造化されていない巨大データの集まり』を分析することで,役立つ知見を導くことがビッグデータの活用ということになります。

 今年度から勤務校では観点別評価が導入されて,1学期は,これまでと違って観点別評価のことを念頭において教材作成をする必要があり,とにかく大変でした。

 実際に1学期の評定(通知表の5段階)を算出したのですが,観点別評価に基づいて客観的に得られたその結果が,どうも私の感覚からすれば,ちょっとズレでいるのではないかと感じるケースが少なくないです。私の主観的な体感と客観的な観点別評価の算出値との間のズレがなんなのか…?

 夏季休暇に入って,各種のデータを分析しています。「成績とは?」,「評価とは?」,「成績が上がる…とは?」と考えると,何をモノサシにすればいいか,ちょっと悩みます。

 「教育の効果」,「教育の価値」,「教えと学び」…あれこれ考えながら,今日はコンピュータの実習室にこもってデータ処理を行いました。

 今朝はサイクリングで汗をかかなかったので,帰宅後に大蔵海岸まで往復10キロ走りました。舞子海岸の立つと,夕照が海面をオレンジ色に耀かせていました。

大蔵海岸まで走って帰路,再び舞子海岸…神戸の海岸線は,和田岬から須磨,垂水そして舞子と西に向かうほど海岸線が南に緩やかに傾いており,舞子の烏崎辺りを頂点として,海岸線は明石方面の西に向かうほど北に傾いています。

 舞子海岸から西を見ると,播磨灘に沈もうとしている夕日が,海一面を輝かせて…夕照が綺麗でした。

 本州と淡路を結ぶ架け橋が約5キロの海峡を結んでいます。巨大な建造物だなあ~と近くから見上げると実感します。

 今日は,頭と身体を使った一日でした。

配活

 「配活」という言葉を目にして,しばらく理解できませんでした。「就活」・大学等の高等教育機関の卒業・修了見込み者の就職活動がほぼ収まった時期ですが,高校生の就職活動はこれからですし,公務員試験も,スタートした状況です。

 就活の結果として民間企業に内定した者は,今,配活をしているそうです。配属先に関する活動だそうです。ある程度規模の大きな事業所では,所属される部や課,あるいは本部制を敷いている会社では所属される本部によって,かなり仕事内容が異なります。また勤務場所も大きく異なることがあります。その最初の配属を巡って,入社前から活動をする動きが近年あるそうです。

 私の場合は,関西系の企業の入社試験を受けましたが,在籍していた大学の場所から近かった東京支社で入社試験を受けました。8月上旬の暑い時期でした。千葉の松戸にある寮に前泊したのですが,常磐線に乗るのも,新京成という電車に乗るのも初めてでした。冷房のない2人部屋で,暑くて眠れなかったことを今でも鮮明に記憶しています。そして入社後の本社研修が終わって知らされた配属先は東京研究所でした。場所は千葉県柏市で常磐線沿線でした。

 遣り甲斐のある仕事を求めての「配活」って,どんな感じの活動をするのか興味深いです。「就活」が会社への入社を志向するのに対して,「配活」は職種や仕事内容にこだわった活動となるので,本意の就職活動とも言えるように思います。

播磨

 私は神戸生まれで神戸育ち,そして現在は神戸で働いています。

 でも古代や中世,近世まででしたら,五畿内摂津国 八部(やたべ)郡 須磨郷で生まれて西国播磨国 明石郡 垂水郷で育ち,現在は,播磨国明石郡垂水郷に住み,五畿内摂津国 莵原(うはら)郡 葺屋郷の職場まで通っていることになります。国境を越えて,そして畿外から畿内へ通勤していることになります。

 播磨国は,かなり広大な大国で,大化の改新の時に,それまでの針間国(西播磨・加古川が東端)、明石国(東播磨・加古川が西端)そして針間鴨国(北播磨・加古川中流以北)の3国が一緒になった大国のようです。

 播磨国は12郡98郷を有し,国府は飾磨郡にあったそうで,現在の姫路市本町辺りのようです。

 播磨の東の端は…垂水郷の塩屋村です。隣国の摂津国との国境が,鉢伏山で境川が国境となったのは,太閤検地の時だったと思います。播磨国の最東端の塩屋も,五畿内摂津の最果ての地・須磨も,いずれも現在では神戸市内です。

 播磨の西の端は…赤穂郡です。さかのぼれば赤穂は吉備国に属していたようですが,その強大な勢力を削ぐためにヤマト政権が吉備国を備前・備中・備後・美作に分割して,赤穂郡は播磨国に移されたそうです。JR赤穂線に備前福河と言う駅がありますが,ここは昭和中期まで岡山県和気郡日生町だった地域で,赤穂市に編入された地域で備前に国になります。

 話を戻しますと国境は,山陽本線や国道2号線では船坂峠で,海辺ではJR赤穂線天和駅辺りの入り江(現赤穂湾の西域)のようです。

 播磨国の北の端は…播但道(国道312号線)やJR播但線では生野峠が但馬国との国境です。加古川の支流・杉原川沿いでは,国道427号線に播州峠があり,丹波国との国境となります。

 私の住んでいる明石郡垂水郷は,播磨国の南東端になりますが,最も遠い北西端は…佐用郡となります。ヒマワリ畑がある佐用郡南光町辺りです。播磨国内で,もっとも距離がある対角線の端と端,それが明石郡垂水郷と佐用郡南光町ということになるようです。先週訪れた佐用ヒマワリ畑の帰路に,隣接する三日月町を通りました。

 現在は佐用町ですが,平成の大合併前には三日月町(みかづきちょう)がありました。この辺りは姫路城主の領地だったのが平福藩立藩後はその領地となり、その後山崎藩領、天領等を経て、元禄10年に三日月藩が立藩したそうです。お城はなくて陣屋が今も残っています。明治4年の廃藩置県で三日月県となり,姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入されて現在に至っています。JR姫新線に三日月駅があり,そこから陣屋跡方面を見ると,山肌に三日月のマークがあります。

 ちょうど神戸港から六甲山系を見上げると,神戸の市章とイカリのマークが山肌に望むことが出来るような感じでした。

スーパー・こまち

神戸の川崎重工・兵庫工場で製造された秋田新幹線・スーパーこまちが牽引されて,今日も勤務校の北側のJR神戸線を甲種輸送されるという情報を生徒から聞いて…,待ち構えました。

 数分間待っていると…牽引された新幹線がやってきました。

 近づいてから,デジカメを動画モードに切り替えて…

秋田新幹線動画ファイル

※上の「秋田新幹線動画ファイル」にカーソルを移動させて,マウスの右クリックで,一番上の「open(オープン)」を選ぶ(左クリック)と,動画が再生されます。

明石・舞子

今朝も,朝食前に1時間ほど自転車で,明石海峡沿いを西に向かって,明石川左岸の明石浦魚港まで…。明石浦漁港に,日本における現存最古級の明石港旧灯台があります。明石港の西の防波堤にあり,約350年前の1657年(明暦3年)、第5代明石藩主松平忠国の命によって建築され、日本で15番目、近畿では4番目に造られた古い灯台だそうです。1963年(昭和38年)に防波堤の拡充により沖合に新灯台が建設されたために,この明石港旧灯台は役目を終えました。

 朝6時に,一斉に釣り客を乗せた船が港を出て行きました。

 明石の町の中には,海面から何メートルになるのかの表示があります。港の近くの街角では海抜2.2mです。

舞子公園から見上げた明石海峡大橋です。

海峡沿いの海岸には国道2号線が走っています。写真の左側の丘の上に立つのは舞子ヴィラです。明治期には,有栖川宮(ありすがわのみや)家の舞子別邸があった場所です。

「宮さん宮さん お馬の前に ひらひらするのは何じゃいな 」というトコトンヤレ節の宮さんとは有栖川宮 熾仁(たるひと)親王のことで,将軍・徳川家茂と結婚した皇女・和宮の婚約者だった人です。 熾仁親王は,この舞子別邸にて静養中に亡くなりました。

 それ以前には,この丘に烏崎城がありました。播磨の守護だった赤松満祐が室町幕府の6代将軍足利義教を暗殺した嘉吉の乱(かきつのらん)では,烏崎城を巡って垂水一帯が戦場となったそうです。今から五百数十年前のことです。

播磨灘

 夏休み3日目,一昨日が10キロで大蔵海岸の往復,昨日が20キロで林崎海岸の往復と,朝のサイクリングの距離を伸ばして,今朝は30キロで江井ヶ島海岸の往復を予定していたのですが,早朝の雨音に目が覚めて…今朝のサイクリングは中止しました。

 戻り梅雨とのことで,しばらくは雨模様なのかなあ~と思っていると,午後から空は晴れ渡って快晴の夏の空。2時間休暇をとって,久し振りに夕方のサイクリングを…

 早朝は東からの日の出に照らされた光景を愉しんでいたのですが,今日は西の空の陽光に煌めく播磨灘を背景とした光景です。水平線近くに黄色の帯が見えるのは…黄砂でしょうか?林崎海岸から見た西の播磨灘の海面が眩しく照り輝いていました。

 林崎海岸から江井ヶ島海岸の間の砂浜沿いのサイクリングロード(県道554号・明石浜の散歩道)です。この辺りは屏風海岸だった処で,砂浜とは十数メートル以上段差のある右手の小高い部分の上は平らな住宅地です。

 塩屋川と福田川の間の滝の茶屋辺りも,そして福田川と山田川の間の五色塚古墳のある霞ヶ丘辺りも,そして山田川と朝霧川の間の狩口台辺りも,海岸線からかなりの段差のある高台の上に住宅地が広がっており,海岸線沿いを走るJRの電車の山手側(北)の車窓からは,其処に広がる住宅地を見ることができません。

 そして林崎海岸と江井ヶ島海岸の間の県道554号(明石・浜の散歩道)からは,此処の山手側に広がる住宅地を見ることができません。

 自宅から往復30キロとなる江井ヶ島海岸まで往復する予定でしたが,自宅から13キロの地点で折り返しました。無理をせずに…。折り返した地点から東の方を見ると,砂浜の向こうに明石海峡を望むことができます。

結局,今日は往復26キロでした。 

大暑

太陽黄経が120度となる「大暑」,二十四節気のひとつで,大暑から立秋までの期間のことでもあります。1年で最も暑く,太平洋高気圧が張り出して,天候が安定する時期でもあります。

 今日が大暑です。早朝に自転車で舞子公園付近まで行くと,朝靄で海峡は霞んでおり,淡路側の主塔の天辺は見えませんでした。

 明石の街の西側を流れる明石川河口の右岸(西側)からの,明石海峡方面(東側)の眺めです。手前が播磨灘(瀬戸内海の東端の海域)そして明石海峡,その向こうが大阪湾です。淡路島と明石海峡は,雲の流れ道でもあるようです。もやっとした大暑の日の朝の海峡の風景です。

 林崎海岸から江井ヶ島海岸を経て東二見までの県道554号(明石・浜の散歩道)は,砂浜沿いに整備された自転車道です。サイクリングだけではなくてウォーキングを愉しむ方々も多く,浜風と磯の香り,海辺の風景を愉しめるコースです。

 今日は往復20キロの予定で,林崎海岸にある明石市営駐車場がある高台でUターンしました。帰路の大蔵海岸からの明石海峡大橋の淡路側の主塔は,朝靄の中で霞んでいる感じです。

 山陽電車の踏切です。踏切は電車の通過までストップを掛けられるので不便ですが,でも遮断機の独特の警笛が鳴り響き,遮断機の竿が降りて通行を遮断して,そして電車の通過…このプロセスが無人の踏切で自動に行われるのを見るのも愉しいです。

 昨日が10キロ,今朝が20キロ…自転車での10キロ走行の負荷は大きくないのですが,それでも暑い時期では汗だくになります。今朝の20キロ走行だと汗だくに併せて,運動量も増加するので疲労感も大きいです。心地良い筋肉痛を伴う程度の運動を夏の期間は続けたいと…