黎明

 いつもより少し早い時間帯に自宅を出ると…

 黎明(れいめい),彼誰時(かわたれどき),暁(あかつき),曙(あけぼの),東雲(しののめ)…とも言われる薄明の夜明け時でした。

 10月最後の日の朝,明日から11月で,なんとなく年末や晩秋という物悲しい時節へと移ろい行く時の流れを,東の空全体がグラデュエーションで美しく映えている様子に足を留めて眺めながら実感しました。

 駅前では人工の光源と空のグラデュエーションとのコントラストも面白く感じました。

 近代以前には,このような人工光源が町や道を照り輝かせる光景を想像することもなかったように思います。その頃の黎明は,もっと美しかったんだろうなあ~と…

 明日,11月1日は灯台記念日です。今日の新聞に,日本の灯台の8割ぐらいがLED光源になっているという記事を目にしました。街灯は町や道を照り輝かせる「照明」となりますが,灯台は闇の中の海上を航行する船にとっての「標」であり「導」の「信号」としての光源です。

『人と人とのあいだ』

 昨晩,本を探して書棚を彼方此方掻き回していると,本と本との隙間から以前勤務していた高校の「図書館報」が出てきました。確か,その年に赴任した教師が投稿する決まりとのことで,私が寄稿した文章も載っていました。

 当時住んでいた埼玉県の三郷市と勤務校のあった川口市との間の電車通勤での光景と,教室での光景をオーバーラップさせて,当時の私の思いを綴ったものです。柄谷行人や河合隼人の本を好んで読んでいた頃で,でも吉本隆明は難解で『共同幻想論』は途中で投げ出してしまった記憶があります。

 この当時の「思い」に久し振りに触れて,懐かしく読み返しました。今の私の教育に関する問題意識は,遡れば…この当時にルーツがあるのかと,今更ながら,いろいろ思い返しました。

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 『人と人とのあいだ』

 朝の武蔵野線、東浦和から南浦和までの一駅の区間では息苦しいほど混雑することがある。南浦和で扉が開き、京浜東北線への乗り換えの人たちを吐き出すまでの数分間は、狭い車内に人と人とが密着するような状態。しかし、誰もが無表情で互いに目をあわせることもなく、それぞれの視線は宙を彷徨っている。たくさんの人が密集しているのに、そこにいるひとりひとりの間には、互いに何の関係もなく、そして何の関係をも持とうとはしない。ばらばらな「個(孤)」の集合体である。

 増田みず子の『シングル・セル』、私にとって心に残る作品である。題名の「シングル・セル」は単細胞のことであるが、作者は弧細胞という言葉を用いている。梗概は省略するが、作品の中から印象的な幾つかの言葉を紹介する。

…弧細胞です。孤独の弧。植物や動物をね、ばらばらにほぐして、一個ずつの細胞状態にしてしまう。余分なものを除いてしまった純粋な細胞にしてやると、いろいろと命のしくみが見えてくる。

…化学処理によってシングル化した細胞も、そのまま放置しておくと、二個三個と再び寄り添い、集合して、やがて固まってしまう。だからそうさせないためには、攪拌し続けねばならない。

…シングルセル化した細胞は、条件さえ整っていれば、確かにそれ一個で活き続けるから、独立した生物とも言えるが、しばらく生きてるうちに、細胞壁が異常に肥大して、つまり身を守るカラが厚くなり過ぎて、やがて窒息死してしまう。外から栄養分を取り入れることができなくなってしまうのだ。細胞壁が厚くなるのは、もろい中身を守るための、過剰防衛である。

 最近、いろいろな場面でシングル・セルを連想する。満員電車の中、繁華街の人混みの中、教室の中…。人がたくさん集まれば集まるほど、ひとりひとりの貌がぼやけ、集合体としての貌が浮かび上がってくる。シングル・セルの寄せ集めでは明確な集合体の貌を持たず、無表情な貌にしかならない。逆に、ひとりひとりが互いに良好な人間関係を持っている場合、その集合体は活き活きとした貌を持つ。集合体の貌が活き活きしているか、無表情かは、集合体を構成するひとりひとりの人間関係によって決まるのではないだろうか。

 友達とのあいだ、家族とのあいだ、クラスメートとのあいだ…一度じっくり考えてみたらどうだろうか。「あいだ」を考えることは、自分自身を見つめることでもある。

  平成6年3月

台風

 今週半ばに台風が接近するとの予報が,沖縄本島と南大東島の間の海域で停滞して…結局週末に台風の影響がでるとのこと。しかし,当初の予想よりも東寄りのコースとなったので,日本列島のかなり南側の太平洋の洋上を東に向かうようです。

 神戸は,昨夜から雨が降り続いていました。今朝は,街灯の光が濡れたアスファルトを輝かせるぐらいに薄暗い中の出勤となりました。

 JR神戸線・灘駅の西側に,歩行者用の小さなトンネルがあります。このトンネルの場所は,中央区と灘区の区境となっていますが,遡れば明治22年から昭和4年までの40年間,此処が神戸の東の市境でした。この東側は武庫郡(旧・莵原郡)で,長く阪神電車は脇浜町が終点で,そこから神戸市電で市内に向かっていましたし,阪急電車も旧・西灘駅(現・王子公園駅)から王子動物園方面に上筒井駅という終点があり,そこから市電に乗り換えて神戸市内に向かっていたようです。

 今日は,雨の金曜日でした。

科学

 「科学」という言葉には、一般的に物理(physics)や化学(chemistry)、生物学(biology)や医学(medicine),天文学(astronomy)や宇宙工学(cosmology),工学(engineering)や技術(technology)の各分野…いわゆる「理系」を指し示す語彙でありますが、「科学」の語源は中国の官僚登用試験である科挙で試される学問「科挙之学」の略語だそうです。科目ごとの試験によって官吏を選ぶという意味であったそうで、幕末から明治にかけての「科學」には「個別学科」を意味していたそうです。

 科学を’science’の訳語として用いたのは西周だそうです。その後、「近代自然科学」という意味で「科学」という語彙が用いられていったようです。

 ’science’「科学」は、狭義では「近代自然科学」を指し示しますが、広義では、「自然科学」、「人文科学」、および「社会科学」の総称として用いられます。理系や文系を問わず、科学的方法に基づいて学問を究めること全般とも言えます。

 科学研究費助成事業、一般に科研費と呼ばれる、文部科学省および日本学術振興会の研究者に対する研究の遂行に対する補助金のことです。「科学研究費」の対象は、人文学や社会科学を含む広義の科学になります。

 日本では「自然科学」、「人文科学」、および「社会科学」という名称で領域を分けていますが、英語では”Humanities”, “Social sciences”, “Natural sciences”, “Formal sciences”というような領域区分をするようです。

 ”Humanities”には”Visual arts”とPerforming arts”が含まれるので「人文科学」と領域が必ずしも重なるわけではなくて、 “Formal sciences”は、日本では「自然科学」に含まれる「数学」、「統計学」、「論理学」そして「コンピュータ・サイエンス」によって構成されています。日本のでは「数学」という1つの言葉で表される学問領域が英語では「数学」、「統計学」及び「論理学」の3つの領域となっています。

 日本では「社会科学」に含まれる「教育学」が英語では「社会科学」の範疇ではなくて、工学や環境学と同じ「専門・応用科学」というカテゴリーに入るようです。

 学問体系が、日本語の感覚と英語の感覚とでは異なるようです。

  …「科学」という言葉、或いは「科学的」という言葉が指し示す領域が、場合によっては想像したモノと乖離している可能性がある言葉だなあ~と改めて感じました。


The scale of the universe mapped to the branches of science and the hierarchy of science.
英語版Wikipedia の “science” の項目 Wikimedia Commons

散乱行列

 今年度のノーベル物理学賞は、前評判が高かったと言われているベルギーのF・アングレールと英国のP・ヒッグスの2人が「ヒッグス粒子による質量の起源を説明するメカニズムの理論的発見」で受賞しています。昨年、欧州合同原子核研究機構(CERN)の研究チームがヒッグス粒子の存在を明らかにしたことで、今回のノーベル賞受賞につながったようです。

 素粒子物理学に関しては、文献を見てもさっぱりわからないのですが、わからないながらも読んでいると、小さな素粒子を検索するためには大型な加速器によって高エネルギー状態を作り出してヒッグス粒子を生成して、ヒッグス粒子が崩壊するときの現象の特徴を模索するようです。

 スイスのジュネーブにある欧州合同原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器は直径が8.6kmで地下100mのトンネル内に設置されており、14[兆eV]のエネルギーで光速の99.999999%まで加速することによって、ビッグバン後約100億分の1秒後の高エネルギー状態にして、ヒッグス粒子を生成するそうです。

 むつかしい理論はわからないのですが、高速で加速して衝突させる時に、衝突前後の遷移状態を散乱行列(Scattering matrix , S-Matrix)を用いるという記述に目が留まりました。

 私が初めて学会発表をした時に散乱行列を用いました。私の場合は回路システムの分野で、多端子対増幅器回路の構成に関して、散乱行列の1列を実現する回路ブロックを提案して、この回路ブロックを複数個組み合わせることによって多端子対増幅器回路の設計が容易になるという内容でした。簡単な例として双方向増幅器…インターフォンや電話に相当します。一対のケーブルで同時に双方向の通話をする場合に、相手への伝達波と、自分に戻る反射派波あるわけで、これを表現するのに散乱行列が最も適していました。

 学術論文にはなりませんでしたが、電子通信学会の論文誌に技術速報の形で掲載されました。

 想像でしかないのですか、大型加速器で加速して衝突させることによって、衝突前後の遷移(生成と崩壊)の状態を散乱行列で表現して解析・分析してヒッグス粒子を模索したようです。

 今・現在は、回路システムの研究から遠ざかっていますが、今年度ノーベル賞を受賞したヒッグス粒子の研究において、散乱行列(S-Matrix)が用いられたことに興味を持ち、いろいろ調べました。もし散乱行列という切り口を見逃していたら、素粒子物理学に関して、もっと浅い理解で留まったままだったように思います。

直哉忌

 地元の神戸新聞の今朝のコラム「正平調」は直哉忌を取り上げていました。文学全集を持っているのは夏目漱石と志賀直哉ですが,直哉忌のことは知りませんでした。

 10月21日が直哉忌…昭和46年10月21日に志賀直哉は亡くなっていますので,三島由紀夫(昭和45年11月25日・憂国忌)と川端康成(昭和47年4月16日・康成忌)の間になります。

 3年前の春に,奈良時代に住んでいた志賀直哉旧居を訪れたことがあります。奈良町にある閑静な処…


2010年3月22日 奈良・志賀直哉旧居

 4年前には尾道時代の志賀直哉旧居を訪れました。尾道の坂の上にある眺めが良いロケーションです。


2009年9月20日 尾道・志賀直哉旧居

 小説の神様と言われている志賀直哉の短編は,何度読み返しても飽きません。全集と共に文庫本も愛読しています。今晩は,蒲団の中で短編を読みながら眠りに入ろうかなあ~と思います。

谷崎潤一郎記念館

 1ヶ月ほど前に芦屋の虚子記念文学館を訪れた折に,芦屋川を挟んだ左岸にある谷崎潤一郎記念館に立ち寄りつもりが,9月下旬になっても残暑が厳しくて…結局,立ち寄りませんでした。心残りだったのですが,今日,午後からお休みをとって芦屋に向かいました。

 阪神芦屋駅を降りて,旧・精道村の名残が至る所にある芦屋川左岸を南側に下ると広い自転車道がありました。我が家の近くには,こんなに走りやすい自転車道がないので,羨ましいです。

 谷崎潤一郎記念館…左側の巨石は,旧・谷崎邸にあった石だそうです。

 谷崎の作品の中では,細雪が好きです。もう何年も読んでいません。市川崑監督の映画は,封切り直後に見た記憶があります。蒔岡家の四人姉妹,「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」を岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子がそれぞれ演じていました。

 秋の特別展で「狐と谷崎、そして歌舞伎」というテーマでの展示で,お芝居に関する展示が多かったです。残念ながら展示の撮影禁止…

 記念館の庭が綺麗でした。

 秋の陽射しに庭園全体が輝いていました。

 芦屋神社にも立ち寄りつもりだったのですが,展示だけではなくて庭園でもゆっくりしてしまったので,阪神芦屋駅に戻った時には夕方近くになってしまって,そこから芦屋神社の向かうのは断念しました。また改めて…

 阪神芦屋駅の北側にある芦屋警察署の建物です。車で通った折に目にした記憶はあるのですが,芦屋警察署の前に立ってゆっくりと眺めたことはありませんでした。

 手元に谷崎の作品は残っていません。レーザーディスクで映画「細雪」を持っていたのですが,それもレーザーディスクのプレーヤと共に手放してしまったようです。久し振りに「細雪」の映画をDVDで観たいなあ~と思いました。

台風

 先週末…朝の通勤途中に駅前で信号待ちをしている時に,真正面の東の空が綺麗で,カバンからカメラを取り出して撮った写真です。

 そして今朝,大きな台風で朝の通勤時間帯には関西圏は「激しい雨に備えて下さい。」との予報でした。しかし夜中には雨が降り続いていたようですが,朝には低く垂れ込めた雲が空を覆っていましたが雨は降っていませんでした。

 昨日から「関東に接近する台風では、この10年程度で最も勢力が強い」という台風に対して厳戒態勢だった首都圏では,前日から休校を決めた学校や予備校もあったようですが,伊豆大島に甚大な被害が出たとのこと。1時間当たり122.5ミリの猛烈な雨,そして1日の雨量が800ミリ以上とのことで,どちらも観測史上最多だそうです。

 帰路,新しく販売されたインスタント袋めんの「うどん」を買いました。