早朝の廊下

 実習がある日は、勤務校に着いてすぐ、朝の時間に実習の準備をするようにしています。ここ数日、実習室に向かう時に通る廊下の光景が幻想的です。ちょうど朝日が射し込んでくる時間帯のようで、教室の窓からこぼれる光が廊下に溢れるような感じで、今朝はデジカメで撮りました。ちょっと手振れしてしまいましたが、雰囲気が伝わってくるような写真だったので…

授業のはじめに、「今日は何の日?」を時々話題にするのですが、先週の金曜は「良い夫婦の日」で、今日は「良い肉の日」でした。こんな話題は喰いつきがいいのですが,授業に入ると,授業内容に対する喰いつきはイマイチでした。期末試験が近づいているのですが・・・

大阪の街

 神戸で生まれのですが、20代と30代前半までは新潟、千葉、東京、埼玉と移り住んでいたので、大阪の街にはそれほどご縁がありません。京都や奈良に出掛けることはあっても大阪はキタの梅田やミナミの難波周辺以外は、ほとんど訪れたことがありません。この春に大阪を巡って…2度目の大阪探訪です。

 でも、春と同じような処を巡ってしまいました。天王寺の新世界・ジャンジャン横丁です。

 神戸には新開地や水道筋、湊川の東山商店街のようなアーケードタイプの商店街が幾つかありますが、大阪は千林や天神橋筋、お初天神のように、規模も庶民度も桁違いですし、賑やかです。

 通天閣でもそうですが、串カツを並んで待って食べるという状況は、ここ十年ほどのことでははないかと思います。十年以上以前は、通天閣はゆったりして、むしろ寂しいくらいでしたが、今は行列に並ばないと入れないです。ジャンジャン横丁も凄い人通りです。

 新世界の東に茶臼山があるのですが、春に訪れた時は茶臼山の場所の見当をつけながら、結局わからず仕舞いでしたが、今回は茶臼山に行きました。

 天王寺公園の中にあるので、入場券を買ってゲートを通らないと行けなかったのですが前回はそのことに気付かずに通り過ぎていました。天王寺公園は、明治36年に内国勧業博覧会の会場になった処だそうで、その後、住友家の邸宅が寄付されて大阪市立美術館となり、慶沢園という日本庭園も整備されています。

 天王寺公園から眺めた新世界・通天閣です。

 そして茶臼山です。

 慶沢園…広々とした庭園で、庶民的な新世界の街に隣接しながら、ゆったりと時が流れるような感じの空間でした。

 1日地下鉄乗り放題チケットを買ったので、鶴見緑地公園まで足を延ばしました。

 紅葉が綺麗でした。

 東京や大阪には、街中に広い緑地や公園がありますが、神戸は残念ながら、相楽園や会下山公園、離宮公園ぐらいで、広大な緑地や公園がありません。でも、市街地の背後にある六甲山系が緑地・公園のようなものかもしれません。

 秋が深まって,晩秋のような冷たい風が吹く時節になりました。朝,マフラーを首に巻いて出掛けるようになりました。

 今朝の東の空です。日毎に夜明けが遅くなって,早目に家を出ると,東の空は紫色です。そして雲が黒く流れて・・・

 墨絵のような朝の光景です。秋の深まりを,寒さと空の景色とで実感します。

蘖(ひこばえ)

 秋の好日、ちょっと郊外に出ると、稲刈り後の田んぼには稲の切り株からヒコバエがすくすく育っている光景を目にすることができます。

 加古川の支流・美嚢(みの)川沿いに走っていた国鉄・三木線、後に三木鉄道になって、そして今は廃線になって、線路跡に雑草が茂っていました。

 旧・別府駅の「とれとれ市場」で,街で買えば高い白菜やキャベツを買い込んで,段ボール箱で車に積みました。

 時折、寒い日が続きますが、秋の好日、車で走っていると、ガラス越しの秋の陽射しに温もりを感じました。

秋の雨

 今朝は…秋の雨でした。

 いつもの朝日の陽射しがなくて、街灯もついたままの薄暗さです。行き交う車のヘッドライトも明々とついて、濡れた路面を照り輝かせていました。

 雨の朝の雰囲気を愉しみながらの通勤でした。

「わたしの願い」

 10月1日付の産経新聞夕刊の「夕焼けエッセー」は,事故の後遺症で肢体不自由となり言葉も失った12歳の少女の「願い」でした。


 
 「神様が1日だけ魔法をかけてしゃべれるようにしてくれたら」…

 「ただいま」と言ってみたい、お兄ちゃんに電話をかけたい、そして魔法がとける前に家族に「おやすみ」と言いたい … 「それで じゅうぶん」


 
 ひらがなの文字盤を指し示すことによる担任の先生とのやりとりを重ねて,書き上げたエッセーだそうです。このエッセーを目にしてから,ずっと気になっています。

  - ー -

森琴音 「わたしの願い」

わたしはしゃべれない歩けない

口がうまくうごかない

手も足も自分の思ったとおりうごいてくれない

一番つらいのはしゃべれないこと

言いたいことは自分の中にたくさんある

でもうまく伝えることができない

先生やお母さんに文字盤を指でさしながら

ちょっとずつ文ができあがっていく感じ

自分の言いたかったことがやっと言葉になっていく

神様が1日だけ魔法をかけて

しゃべれるようにしてくれたら…

家族といっぱいおしゃべりしたい

学校から帰る車をおりてお母さんに

「ただいま!」って言う

「わたし、しゃべれるよ!」って言う

お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな

お父さんとお兄ちゃんに電話して

「琴音だよ!早く、帰ってきて♪」って言う

2人ともとんで帰ってくるかな

家族みんながそろったらみんなでゲームをしながらおしゃべりしたい

お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな

「まあ、まあ、元気出して」ってわたしが言う

魔法がとける前に

家族みんなに

「おやすみ」って言う

それでじゅうぶん

山川登美子記念館

 今日は小浜に向かいました。神戸から国道175号線を北上して,三木,小野,加東,西脇…加古川沿いの播磨路から丹波路へと国境を超えた山南町辺りまで来ると,辺りは深い霧に包まれていました。山南町の道の駅・山南仁王駅から眺めた加古川の川面です。

 加古川沿いに北上して氷上町を経て春日町,そして分水界を超えて,竹田川沿いに川を下って市島町から塩津峠を越えて福知山…ここは京都府です。

 山陰本線沿いに東に向かって綾部まで,そして舞鶴線沿いに国道27号線沿いに西舞鶴に至りました。西舞鶴の町と舞鶴港を結ぶ数百メートルの国道177号線を通って伊佐津川の河口に隣接する運河沿いの東吉原の港町の光景です。此処は舞鶴湾のもっとも奥まった処になります。

 東舞鶴から舞鶴若狭自動車道を通って小浜に辿り着きました。

 山川登美子記念館は,数年前まで山川家がお住まいだった登美子の実家だった家で,小浜市に寄贈されて山川登美子記念館の開館に至ったそうです。この家は,登美子が亡くなる2年ほど前に建て替えられた登美子の実家で,登美子の父親はこの家が建て替えられてすぐに亡くなられたことになります。およそ築百年となります。

 明星の第2号(明治33年)に初めて歌が掲載され,その後は「白百合の君」として,「白萩の君」の鳳晶子(後の与謝野晶子)と共に競い合うように明星の誌上を賑わしていたようです。登美子の生涯を,玄関を入ってすぐの一室の展示室で見ることが出来ます。他に誰も入館者がおらず,係の人がつきっきりで30分ほど展示内容の説明をしてくれました。

 2階部分を除いて実家のほとんどが公開されています。山川家の表座敷です。

 表座敷から庭越しに離れ座敷があります。この座敷が,父の葬儀のために小浜に戻った登美子が,そのまま療養した部屋で,「登美子終焉の間」となりました。

 離れ座敷から眺めた庭です。登美子が療養していた時に目にしていた光景です。

  わが息を
  芙蓉の風に 
  たとへますな 
  
  十三絃を 
  ひと息に切る

 展示室には,登美子愛用の琴も展示していました。(展示室と離れ座敷は撮影禁止でした。)

 鯖街道の始点・いずみ町商店街に立ち寄りました。十年ぶりぐらいです。

 小浜を舞台として朝ドラ「ちりとてちん」の放映があった為か,いずみ町商店街の西側の古い町並みが,綺麗に整備されていました。