村岡花子

「ごちそうさま」が先週で終わって,今日からの朝ドラは「花子とアン」というタイトルは予告や宣伝で知っていましたが,「花子とアン」の花子が村岡花子のことで,アンが赤毛のアンというのは,今日の第一回を見て初めて気付きました。

 映画「赤毛のアン」は私のお気に入りで,時々見ています。そして村岡花子の訳した子供向けの小説を,小さい頃に何度も読み返した記憶があるのですが,それが何だったか・・・思い出しません。赤毛のアンは学生時代になって手にしたので,小公女か,ジャックと豆の木,あしながおじさん,ふしぎな国のアリス,クリスマス・カロル等々,調べると村岡花子の訳した子供向けの小説はかなり多くて,どれだったか・・・どうもクリスマス・カロルのような気がするのですが定かではありません。

 Anne of Green Gables (グリーンゲイブルズのアン)は,カナダのセントローレンス湾に浮かぶプリンス・エドワード島・・・L・M・モンゴメリが住んでいた島がモデルで,赤毛のアンを見る限り,かなり保守的なプロテスタント教会の信仰が根付いていた村だったようです。

 花岡花子・・・ドラマでは安東はな・・・は,甲府で生まれ,子どもの頃には本や勉強が好きという設定でした。ドラマの冒頭が,戦時中,空襲で逃げる時に,モンゴメリのAnne of Green Gables を「生命から2番目に大事なモノ」だと取りに戻って防空壕に向かうシーンがありました。1回目の最後は,はなの父がミッションスクールの前に立っているシーンでした。どういうドラマが展開するか,これから半年間愉しみです。

葬送

 演奏会のご招待をいただいたので,昨日からの激しい雨がようやく止んだお昼前に梅田に向かいました。

 ザ・フェニックスホール・・・初めてです。あいおいニッセイ同和損保ビルにあるのですが,梅田から中之島に向かう道で,何度も前を行き来して見上げているのですが,やっとこのビルに入ることができました。

国道1号線の終点であり国道2号線の始点。そして新御堂筋(国道423号線)の南端であり,御堂筋が南北に貫通している交通の要所です。ちなみに御堂筋は,梅田新道交差点の北側が国道175号線で,南側が国道25号線となります。

 「梅田新道」,「梅新東」,「梅新南」の3つの交差点に囲まれたデルタ地帯にザ・フェニックスホールのある,あいおいニッセイ同和損保ビルが聳え立っています。

 入場時間の十分ほど前に到着したのですが,すでに一階ホールには行列ができていました。

1階席にしようか2階席にしようか・・・迷いましたが1階席にしました。

 2~3日前から喉の調子が良くなかったので,途中でマツモトキヨシに立ち寄って,鼻スプレーを購入して吸引すると・・・大丈夫でした。

 プログラムは5組で,最初は金管五重奏,その後にピアノ独奏が4組続きます。

 賑やかなブラスの演奏の後は,ショパンのヘ短調のバラード,そしてリストのオーベルマンの谷・・・これは初めて耳にした曲でした。

 休憩を挟んでリストのハンガリー狂詩曲,最後はショパンのソナタ・葬送でした。

 自宅では,音量を控えめにBGM風にCDを聴くことがほとんどですが,演奏会では,もちろん,迫力ある演奏を目の当たりにすることが出来るので,演奏者によって,音の響きや艶が異なることがよくわかります。


 
 演奏会場を後にして・・・梅田新道の南側には,アメリカ領事館があり,いつも警察車両が停まって,警備の制服の姿があります。

 その反対側,西側には北新地・・・日曜の夕刻の為か,静かでした。

 そして梅田新道の北側には,お初天神と,梅田まで続くお初天神商店街があります。お初天神商店街で呑むことは少なくないですが,お初天神には,酔っ払っていたり,真夜中だったりで,まともに境内を見渡したことがなかったように思います。今日訪れて・・・見慣れたようで,でも初めて見る光景ばかりのようで,シゲシゲと境内の様子を目にしました。

 阪急百貨店,新装されて何年か経ちますが,新装後にちゃんと通るのは初めてのような気がします。

 三ノ宮で乗り換える時に,夕闇迫る三ノ宮をぶらっとしました。ちょうど国際会館ホールから,どんどんと人が出ている光景を目にしました。

 調べると・・・ディズニー・ライブ!「ミッキーのザ・マジックショー」が終わった時刻でした。

 内田光子のショパン葬送をCDで聴きながらパソコンに向かっています。残念ながら大音量で聴くことも出来ないので,今日の一階席の真正面で聴いたのとは違って,大ホールの天井桟敷の片隅で聴いているような感じです。これはこれでBGMとしては良いのですが・・・

ごちそうさん

 朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」が今日で終わりました。ドラマの舞台が東京から大阪に移り,時代も明治末期から戦争を挟んで終戦後まで・・・

 最終週となる今週は,ストーリーも集大成となって・・・

 一昨日の木曜は,次男の活男(かつお)を戦争で亡くしてアメリカ嫌いになっため以子が,長男の泰介(たいすけ)が甲子園の復活に関してGHQと交渉するなかで,進駐軍のモリス大尉に自宅の蔵を改装して始めた「蔵座敷」で日本食をふるまうことになった場面,

 

 これまでのいろいろな「ごちそうさん」が,蔵の中で今日結びついたような気がしました。

 そして最終回の今日,夫の悠太郎が復員して戻ってきて,アメリカ嫌いで口にしなかったチョコレートを悠太郎から差し出されて,め以子が「ごちそうさん」を言うシーンが最後にありました。

 与える喜びも大切ですが,それは喜び自体の素晴らしさを知ってる故に出来ることなのかもしれないなあ~と,この最後のシーンを観て感じました。しっかりと喜びを受け取ることが基本なんだなあ~と思わされました。

 JR舞子駅の窓口に行列が出来ていました。3月に卒業して,4月から高校に入学する生徒が,消費税アップ前に定期券の購入のために並んでいるようです。あと5日で消費税がアップしますが,私は駆け込みショッピングも,買い溜めも何もしていません。週末には車のガソリンを満タンにするぐらいで終わりそうです。 
 

再び木下邸へ・・・

 先週訪れた,舞子の旧・木下邸を再び訪れました。広角のレンズのついたカメラで,違った視点や視野で捉えたいという思い,そして「早来迎」を目にして,いろいろ考えさせられたので,再び「早来迎」の前に立ちたい,という思いからです。

 前庭から旧・木下邸の全景です。今回は広角レンズなので全景が入りました。真ん中が表座敷で,右手が洋室の応接間,そして左手が書院です。

 茶室の「月の光」,広角レンズなので,前回とは違った雰囲気の写真が撮れました。

 「早来迎」・・・いろいろ撮りましたが,前庭からのガラス越しの「早来迎」が良いなあ~と感じます。

旧・木下邸再訪問のページを作成しました。
http://itsumi.citykobe.jp/201403art2/

早来迎(Rapid descent)

 先週,地元の舞子で開催されている現代アートの展覧会・±ART2014(於・旧木下邸)で目にした『早来迎』の彫刻に接してから,浄土信仰について,あれこれと思いを馳せていました。

 来迎とは、浄土信仰において、臨終に際した往生者を極楽浄土に迎える為に、阿弥陀如来が雲に乗って、菩薩や天人を引き連れてやってくることだそうです。この様子を描いたのが来迎図です。

 浄土宗の総本山、京都・東山にある知恩院所蔵の来迎図として「早来迎」(はやらいごう)[Rapid descent]があります。正式名称は阿弥陀二十五菩薩来迎図です。本意の来迎は、穢土(現世)を厭離して浄土(極楽)へ入ることを願い求める浄土信仰の世界観において、隔離された極楽と娑婆とを結ぶ道(path)という意味があります。それに対して、早来迎が描く来迎は、浄土と穢土とを結ぶ雲がひじょうに急角度であり、この急な角度故にスピード感があることが,早来迎と呼ばれるようになった所以だそうです。

 早来迎を所蔵する知恩院は,浄土宗の開祖・法然が開基した総本山ですが、この早来迎は、法然の弟子である証空の影響を受けて描かれたものではないかという説があります。

 証空は、西山派と言って天台本覚寺思想の影響を受けているといわれています。浄土(極楽)と穢土(現世)とを対立的に捉える法然の浄土信仰に対して、法然の高弟で浄土信仰を継承する立場にありながら、証空は浄土と穢土に関して絶対的一元論の立場をとる本覚思想の往生観に近い信仰を持っていたようです。西山派は、「信の一念によって往生は決まる」という立場で、信の一念を得れば成仏するという「須臾(しゅゆ)の間」,つまり瞬間に此岸(娑婆)が浄土と化すことを表す・・・,まさに早来迎(Rapid descent)の雲が急角度となってスピード感を表していることそのものです。

 「穢土即浄土」・・・この世を浄土とする「常寂光土」という考え方は、彼岸と此岸という対立的な捉え方を超えて、今・この瞬間に、此処が浄土であるという本覚思想の世界観のことです。目の前に広がって山河などの自然そのものが、そのまま仏の悟りの姿であるという立場であり、すべての衆生、木や草に至るまで仏性の存在を認める『一切成仏悉有仏性』です。早来迎の描く現世は,春夏秋冬の四季すべてが描かれており,四季の移ろいがない極楽浄土そのもの・・・穢土即浄土を背景に込めているそうです。

Wikimedia Commons

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Rapid_descent.jpg

 早来迎(Rapid descent)の急角度な雲が醸し出すスピード感は、本覚思想の「穢土即浄土」や「常寂光土」、そして「一切成仏悉有仏性」の影響を受た西山派の証空が、阿弥陀・衆生一体論の立場で描かせたという説に頷けるものを感じます。

 そして早来迎が描いているのは,信の一念を得て雲に乗って彼岸での成仏を「須臾の間」に果たした後に,再び此岸(現世)に帰還して衆生に信仰を行き渡らせる・・・大乗仏教の目的そのものを描いているとも言えます。

 大学時代に過ごした越後・長岡に隣接する三島郡・越路町の中心部は来迎寺と呼ばれ、JR信越線の来迎寺駅があり、越路町役場がありました。駅前のスーパーマーケットに1年の間、家庭教師のアルバイトで通ったことがあり、雪が降り積もった冬場は、街灯もない田んぼの中の道路を、轍(わだち)を頼りに、家庭教師が終わった後に下宿に戻る帰路は、間違って田んぼに入り込んで身動きできなくならないように、慎重に運転した記憶が今でも鮮明に残っています。

 越路町の発足前には来迎寺村があったのですが、来迎寺という名前のお寺は現在は残っていません。かつては・・・存在したのかもしれません。来迎寺というお寺は残っていませんが,此処には久保田で有名な朝日酒造の酒蔵があります。私が学生時代に下宿していた農家のご主人は,冬場は朝日酒造で杜氏をされておられて,年に一度,大家さんの座敷で持たれた食事会で秘蔵のお酒をふるまってくれました。

知恩院所蔵の「早来迎」は,京都の国立博物館に預けられているようで,早速,訪れようかと思ったのですが,今,常設館をリニューアルしているそうで,4月下旬までは閉館だそうです。「早来迎」は特別展で,彼方此方で公開されているようですが,今現在は,どこかの美術館や博物館で目にすることができるか・・・ちょっとわかりませんでした。京都の博物館がリニューアルしたら,早速訪れたいなあ~と思っています。

 

電灯

電灯・・・電気を用いた照明器具を指し示す語彙ですが,白熱電灯をイメージします。

今日,3月25日は電灯の日,日本で初めて電気を用いた電灯の光が灯った日です。それまでの日本の照明は,行燈ぐらいしかなく,明治維新になってガス灯が入ってきました。そして電灯の光が日本で初めて灯ったのが,1878年(明治11年)になってからです。

 銀座木挽町に設置された中央電信局の開局祝賀会が,工部大学校で開かれ,そこで初めて電灯の光が灯ったそうです。そして1887年(明治20年)3月25日から,日本で家庭用の配電が始まりました。3月25日は,電灯の日であるととに,電気記念日でもあります。

 電灯が日本で初めて灯った工部大学校は,1871年(明治4年)に設置された工部省の工学寮がルーツです。工部省は、明治初期の太政官制度の下で殖産興業を支えた中央官庁であり,1870年(明治3年)に民部省から分離する形で設置されました。鉄道や造船、鉱山や製鉄、そして電信など,近代国家として必要なインフラを官主導で日本に導入することが目的の官庁で,工部省の教育機関が工学寮です。

 ちなみに,工学寮よりも早く,明治2年(1869年)に洋学(科学)の教育や研究のための舎密局(せいみきょく)が大阪に設置されています。本来は,東京や京都の設置を模索したそうですが,幕末・維新の混乱で治安が悪く,大阪に設置されたそうです。舎密局は第三高等学校のルーツであり,現在の京都大学のルーツでもあります。

 工学寮は,1872年(明治5年)に公布された学制で制定された大学校の制度に則り,1877年(明治10年)に工部大学校に改称し,その翌年の3月25日に日本で初めて電気を用いた電灯の光が灯った・・・という経緯を辿ります。

 電灯は,白熱電灯の時代が長く続きますが,その後,蛍光灯や水銀灯が現れ,発光効率が良く発熱の少ない蛍光灯が家庭用の照明器具の主流への移り変わります。電球型の蛍光灯も現れ,白熱電球のソケットに差し込むだけで蛍光灯が使えるようにもなりました。蛍光灯が普及しても自動車のヘッドランプは電球系の電灯が続いていましたが,点灯回路が改善されて,メタルハライドランプを用いたヘッドライトも現れ,高級車を中心に導入されています。

 最近は,更に発光効率が高く,発熱の少ないLEDが主流になりつつあります。電球型のLEDも現れ,発光効率が悪い白熱電球は,国内メーカが製造がの縮小・中止へと向かっています。ただ,光のスペクトルが連続となる白熱電球は,演色性が良く,目に優しく,また色温度が低いので落ち着く感じがします。

 今月の照明学会誌の特集は,照明シミュレーションです。長く,照明は「明るさ」を求めてきましたが,今の照明は「雰囲気」を醸し出すことも求められます。光と影のコントラストの演出も,照明デザイナーの腕の見せ所です。

独鈷の滝 & 早春の畦道

 丹波の国・氷上の,旧・香良(こうら)村の集落の奥の五色台山の麓に独鈷(どっこ)の滝があり,10年振りぐらいに訪れました。

 落差18mで,それほど大きな滝ではありませんが,滝音を耳にしながら,滝壺の前で滝を見上げて佇んでいました。山間の渓谷は,まだ鳥の啼き声も聞こえず,滝音だけが谷間に響いていました。

 帰路,国道175号線を経て自宅に向かいましたが,小野市のひまわりの丘公園の菜の花畑は4月に満開になるようですが,畦道には,一足先に早春が訪れていました。 

 畦道には,一斉に背の低い草花が,早春らしい淡い色の花をさかせていました。3月になっても雪が舞うことが多かった今年の冬ですが,畦道でオオイヌノフグリ,ホトケノザ,タンポポなど,背の低い草花が可憐な淡い花を咲かせている光景を目にすると,もう春なんだなあ~と実感しました。

 独鈷の滝と早春の畦道の光景は,新しくページを作成しました。
http://itsumi.citykobe.jp/201403dokko/

黒いパネル ~ 景観

 最近,郊外を車で走っていると,空き地が黒いパネルで覆われている光景や,黒いパネルの工事をしている光景を目にすることが少なくないです。これは太陽光パネルで,太陽光のエネルギーを電力に変換する小規模な太陽光発電所です。

 全量固定価格買い取り制度があって,太陽光発電や風力発電,地熱発電等の自然エネルギーを利用して発電した電力の全量を政府が決定した価格で買い取ることを電力会社のに義務付けた制度です。この制度によって,再生可能エネルギーの普及拡大が目的なのですが,市場価格を大幅に上回る価格での逆ザヤ長期買い取り保証に対しては,批判の声も高まっています。「濡れ手で粟」の太陽光ビジネスにあらゆる業者が殺到して,結局は高い買取価格は消費者に転嫁されるわけです。

 今,新たな問題として,黒いパネルによる景観への影響が問題になったり,規制の対象とする動きがあります。『景観むしばむ黒いパネル群』という見出しまで現れています。特に観光地においては規制に対して陳情する動きが出ているようです。

 これまで再生エネルギーの旗手として,太陽光パネルは「規制」ではなくて,むしろ「推進」や「歓迎」の雰囲気で受け入れられてきましたが,いざ普及すると・・・空き地や耕作放棄地等々,広いスペースが黒いパネルで覆われる光景が各地で見られるようになると,「歓迎」から「規制」へと雰囲気が大きく変わったようです。

 私も,この一か月ほどの間に,空き地が黒いパネルで覆われる光景を目にすると,ちょっと異様な感じを受けます。ただ,太陽光パネルは騒音や排気ガスが出るわけでもなく,規制するルールがないそうです。

 工事の風景を見ていると,しっかりとコンクリートで固定して,台風や竜巻で舞い上がることはないようで,原子力発電や火力発電と違って,通常も,そして異常事態でも,公害や脅威となることはないのですが,景観という問題,そして耕作放棄地における太陽光パネルの導入は,農業離れのトリガーになるのではないかという危惧も問題視されています。