中学校進路説明会

 今日は中学校訪問,神戸市内の垂水区にある塩屋中学校へ向かいました。

 塩屋は,垂水区でもっとも東に位置し,須磨浦公園にある鉢伏山の西側の麓を南北に流れる塩屋川沿いの町です。塩屋川の河口には塩屋漁港がありますが,中世以前には,この浜で塩を焼いていたと言われており,それが「塩屋」の地名の由来だそうです。

 塩屋小学校は,塩屋川沿いにあり,塩屋の町の中にありますが,塩屋中学校は,塩屋の町の西側の丘・ジェームス山の東の端に位置しています。塩屋中学校からは塩屋川沿いの塩屋の町を見下ろすことができ,また須磨浦公園の鉢伏山を間近に望むことができます。

 この鉢伏山の向こうは須磨になります。鉢伏山が摂津国と播磨国の国境となり,この山の向こう側が摂津国八部(やたべ)郡であった処で,須磨(スマ)の地名の由来は,五畿内の西の端であった摂津国の西の端のに位置し,鉢伏山と海に囲まれたスミ(スミ)が転じたとも言われています。中世期には,貴族は五畿内(山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国)の外に出るには朝廷の許可が必要という律令の定めがありました。

 摂津国と播磨国の国境は,五畿内と西国との境界でもありました。中世・古代の感覚では,須磨から塩屋に向かうことは,五畿内を超えて辺境の地である西国に入ることを意味し,その最初の集落が塩屋だったようです。大化元年(645年)の乙巳の変で蘇我氏を倒して即位した孝徳天皇の「改新の詔」には五畿内の西の端として「赤石(明石)の櫛淵」とあり,これが現在の塩屋と言われています。播磨国明石郡垂水郷の東の端・・・

 現在は,塩屋中学校があるジェームス山に住宅が立ち並び,近郊型の大きなショッピングモールを中心としてホームセンターや大型電器店がある賑やかな場所です。

 兵庫県は,来年度から高校の学区が大きく変わります。現在は神戸市内には高校の学区が3つありますが,現在の中学3年生が高校を受験する時には,神戸市と芦屋市,それと淡路島がひとつの学区となります。進路説明会の冒頭で,校長は生徒に向けて,受験の制度が大きく変わることにも触れていました。

 生徒は会場となった体育館に集まると,着席して目を瞑っていました。

 昨年も幾つかの中学校で見掛けました。

 午後からの2時間に6校の高校が説明します。冒頭の校長の話に続いて私が最初でした。20分の時間を守って欲しいと言われていたので,時間を気にしながら,あらかじめ用意したプレゼンテーション資料をプロジェクターに映しながらの説明を・・・

 時間をうっかり間違えて,15分を経過した時に,制限時間の20分を超えてしまったと勘違いしてしまって,結局18分ぐらいで説明を終えてしまいました。時間オーバーをしたわけではないので,簡素に説明できて,かえって良かったのかもしれません。

あゆ

 毎朝利用している最寄駅のJR神戸線・垂水駅は,通路一本隔てて山陽電車の垂水駅が併設されています。通路の山陽電車側にチケットショップの甲南があります。山陽電車側の敷地にあるので,山陽電車に関わる格安チケットは取り扱っていませんが,JRの格安チケットは扱っており,ちょうど改札口の傍にあるので,JRの券売機よりも位置的に便利で,そして値段もやすくなります。

 早朝は店が閉まっていますが,店頭の自動販売機で格安チケット絵を購入することができます。ちょっと「?」な光景です。

 仕事帰りに立ち寄ったスーパ・イオンで鮎が値引き価格で並んでいたので,思わず買ってしまいました。

 夕食は鮎を美味しく召し上がりました。

入梅

 今朝は,低い雲が垂れ下がり,ラジオの予報では今日は,夕方以降強い雨が降るかもしれないとのことで,傘を持って出掛けました。

 昨日ほど気温は上昇しませんでしたが,湿気が高く,今日の実習室での授業は弱くエアコンを入れました。午前中がCADの実習で,午後は,C言語を用いたプログラムの実習でした。今日の午後に近畿地方は梅雨入りをしたそうです。

 職場を出る時には,もう雨が降っていました。今日は三宮で途中下車して,豆富料理の八かく庵で食事。今年,此処を訪れるのは初めてになるかもしれません。

 6時過ぎから10時前までの3時間半ほど,ゆったりとアルコールと食事とお喋りを堪能しました。
 

色のない花

 古い唄で,結構気に入っている曲があります。

岸部修三 作詞,井上堯之 作曲の「花・太陽・雨」という曲です。

  よろこびの時 笑えない人
  色のない花 この世界
  
  春の訪れのない
  私のこの青春に問いかける

 この唄を歌っていたのは,PYGというグループです。1960年代に活躍したグループサウンズのザ・タイガースの沢田研二と岸部一徳(岸部修三),テンプターズの萩原健一と大口広司,スパイダースの井上堯之と大野克夫がメンバーとなったグループで1970年代の前半に活躍していたようです。ちなみに井上堯之は神戸市垂水区出身で,以前住んでいた家の近くに「井上」という表札の家があり,其処が井上堯之の実家という噂でしたが,真相はわからないままです。

 夏になると,ラジオで時々かかるグループサウンズの曲に魅せられてグループサウンズ全集という3枚組のCDを購入したのですが,その中にPYGの曲が何曲か入っていました。

 6月に入って,我が家の狭い庭先に紫陽花の花がひらき始めました。ここ数年,色のない花ばかり続いて咲いています。そして今年も・・・

 銅板を土に刺したり,「花を鮮やかに咲かせる」と銘打った液体肥料を使ったりしているのですが,効果なしです。

 ・・・色のない花,でも結構この紫陽花の花が気に入っています。

* *

 最寄駅・JR神戸線の垂水駅の駅前にある垂水商店街に「ウサギ(USAGI)」という名前のイタリア食堂があります。いつも気になりながら前を通っているのですが,残念ながら,未だ入ったことはありません。

パラオ

今日,仕事から帰宅して,ニュースに耳を傾けていると,戦後70年を迎える来年に,天皇陛下がパラオなど太平洋諸島の国々を,戦没者の慰霊のため訪れる希望を示されているとのことで,宮内庁が検討を進めているとのことです。

パラオは,太平洋戦争の舞台となった島々です。19世紀にスペインの植民地となって,その後,スペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却してドイツの植民地となり,第一次世界大戦において連合国側の日本は,ドイツに対して宣戦を布告してパラオに進軍して占領したのが1914年。パリ講和会議でパラオは日本の委任統治領となり,日本の南洋庁が置かれて,多くの日本人が移住したそようです。

パラオに海軍の重要な基地があったために,太平洋戦争では連合軍の攻撃対象となって多くの戦死者がでたようです。太平洋戦争後はアメリカの信託統治下となり,1981年に自治政府・パラオ共和国が発足し,1994年に独立国・パラオ共和国が誕生しました。今年で建国20年です。

天皇陛下の海外訪問は,相手国から招待された友好親善のためですが,太平洋戦争終戦60年であった2005年には、戦没者を慰霊するために海外訪問をした初めてのケースになったそうで,来年のパラオ訪問が実現すれば,これに続く2度目の「慰霊のための海外訪問」となります。

パラオの地名を耳にして,太平洋戦争の惨事とともに,ひとりの彫刻家・土方久功(ひじかた ひさかつ)の名が頭に浮かびました。久功は1929年にパラオに赴き,パラオの初等学校で図工教員として子どもたちに彫刻を教えながら,民俗学者としてパラオの島々を調査しています。そして1942年に小説家の中島敦とともに日本に戻っています。

私が埼玉に住んでいた時の1991年に世田谷美術館で「土方久功展: 南太平洋の光と夢」が催されましたが,残念ながら私は行くことが出来ませんでした。土方久功展の会期にあわせてNHK日曜美術館を録画したビデオテープは,私の宝物のひとつです。

ネットで調べると7年前にも世田谷美術館で「バラオーふたつの人生 鬼才中島敦と日本のゴーギャン土方久功展」があったそうで,今度,このような企画展があれば是非行きたいなあ~と思っています。

素朴な久功の南の楽園の絵は,まさに日本のゴーギャンです。