赤石郡(あかいしのこおり)

昨日訪れた明石市立文化博物館の常設展示で,古代の明石の航路に関する展示がありました。


「畿内への入口・明石」,展示解説シート・テーマ3,明石市立文化博物館

 古山陽道が地図中の赤い線で描かれていますが,五畿内。摂津国須磨から山陽街道は,鉢伏山の北を廻るルートになっています,この地図からの推定では,塩屋川河口の塩屋村,福田川(旧垂水川)河口の垂水村,山田川河口の山田村(現舞子)を通らず・・・

・須磨から多井畑,(転法輪寺),多聞寺,辺りを通って,狩口台辺りから海岸線沿いの明石川の河口に至ったのか?

・それとも多聞寺辺りから西へ大蔵谷(神戸学院大辺り),伊川谷有瀬から伊川沿いに,枝吉の辺りに至ったのか?

魚住泊が現在の江井ヶ島辺りのようで,航路では魚住泊の次が大和田泊(兵庫)となっています。

古代の赤石郡(あかいしのこおり)は,現在の神戸市垂水区と西区を含んでおり,それは明治中期の明石郡まで続きますが,この辺りの赤石(明石)は陸路でも海路でも,西国から五畿内に入る「入り口」の役目をしていたようです。