教職課程

 兵庫県立大学での教職課程「職業指導」の集中講義が、昨日・今日の2日間、姫路キャンパスでありました。1日4時限で、2日間で8時限、朝9時から夕方4時10分まで、休憩時間を挟みながら、合計12時間連続の授業となります。授業の進捗状況に応じて内容等の「さじ加減」を考える余裕がないので、結構、即興力が必要です。準備万端整えて・・・とはいかないまま授業の初日を迎えました。

 早朝の第二神明、加古川バイパス、姫路バイパスは車が少なく、順調に姫路まで

 姫路バイパスの中地ランプで降りて、市内を通って県立大まで行くルートもありますが、時間的にかなり早いので、姫路バイパスの姫路SAで時間調整することにしました。

 此処からは、夢前川の右岸沿いの県道を遡ることになります。姫新線が夢前川を跨ぐ辺りで、夢前川に菅生川が合流し、その菅生川の右岸を県道411号線沿いに上流に向かって・・・

 山陽自動車道が菅生川を跨ぐ辺りの新六角橋で菅生川を渡ってしばらく走ると県立大の姫路キャンパスです。

 夏季休業中は生協も食堂も休みです。お弁当持参でした。

 キャンパスの西端の丘の上に書写会館があります。セミの声につられて上ってみました。山帰来という喫茶店がありました。

 此処には、かつての姫路工業大学時代の銘板が残されていました。

 この丘の上からは姫路キャンパスが一望できます。背後は書写山に連なる山並みです。

買ったばかりのICレコーダで、セミの鳴き声をバックに、草叢の虫の啼き声にマイクを向けました。7年前のICレコーダに比べて鮮明に録音できるように思います。デジカメが進化しているように、ICレコーダも進化していたようです。

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 この2日間、この総合・教育館で授業をすることになります。

 昨年はコンピュータの実習室でしたが、今年度は大講義室での授業です。

 今年は、県立大の学生の履修登録者の実際の履修はなくて、科目履修生の方々ばかりでした。学部4年生を対象にした教材と授業展開を準備していたので、社会人ばかりの履修生の顔ぶれを見て、授業展開の修正が必要かなあ~と思いながら、あれこれ模索しながら授業を始めました。

 午後からは、若干授業展開を変えて、教育関係のテレビ番組を見させて考えさせたり、実際の求人票の例を説明しながら・・・本来2日目の内容を前倒しにして・・・

 1日目は、履修生の顔ぶれや様子を鑑みて、あれこれその場その場で反応を見ながら修正していたので、午前と午後の6時間、そして昼休みも含めて、結構ストレスが高い状態が続いていたようです。腕につけていた活動量計の心拍数を基にしたストレスの度合いは、

 朝6時から8時までは、車の運転で、良い意味での緊張状態、8時から9時前はキャンパス内を散策して、9時前から夕方4時までストレスによりエキサイト状態が続きます。4時から6時までは帰路・・・渋滞を避けて山陽道で帰ったのですが良い意味での緊張状態、そして布施畑ICを降りてから渋滞に巻き込まれてストレスです。

 2日目は授業の展開を練り直して、新たに教材も準備して授業を立て直して、良い状態で授業を終わることができました。

 朝4時に起きて6時前まで授業の準備、あれこれ授業の展開を考えながら、良い意味でのエキサイト状態、授業が始まる9時から授業が終わる9時まで、ストレスというよりも、良い意味での緊張感が続いていたように思います。帰路は、2日目も山陽道を帰ったのですが、三木・小野ICを降りて国道175号線を使ったのですが、こちらの方がスムーズでした。

 職業指導・キャリア教育・進路指導、キャリア教育におけるキャリアとは? 学力とは? 明治以降の近代教育の流れの中における工「業高校の歴史的な位置付けの意味」や、「工業高校としての使命の変遷」とともに、実質的な意味での工業高校の変容等、職業指導を取り巻く状況を考えながら、工業高校に求められているキャリア、学力について履修生に考えさせました。

 工業高校の職業指導だけではなくて、大卒の就活、中卒の就職、ポストドクターの問題を授業の中で扱って、工業高校生に求められているキャリアや学力とは?という2つのテーマを通奏低音としていろいろな教材を提示するような授業展開に2日目は大きく修正しました。

 昨日・1日目の最後にキャリアシートを渡して書くように指示して、そして2日目の今日、最後の試験の前に、キャリアシートを元にプレゼンテーションを行いました。学校側、生徒の立場だけではなくて採用する企業の事情や、進学先の大学の話などをして、いろいろな教材や資料をを提示・説明した後に、「魅力ある職業指導ができる自分のキャリア」というような注文をしたのですが、なかなかいい感じのプレゼンテーションばかりでした。

 フォーマルなキャリアの紹介にとどまらず、自由に自分の経験談、失敗のエピソードを織り交ぜての破天荒な内容が満載でした。学生だと時間が余るのですが、社会経験のある科目履修生の方々は、想定していた時間をはるかに超えてしまいました。そして最後の試験、学生だと時間内に提出して帰るケースがほとんどですが、科目履修生の方々は結構、結局4時10分まで・・・昼休みを短めにして早く終わる予定が、規定の時間まで。

姫路キャンパスには、昔ながらの実験棟がキャンパスの北側に残っています。

 明石高専にも、このような実験棟が残っていて、最近は見掛けることがあまりなくなった古いタイプの実習棟の光景に、懐かしいなあ~と感じました。

 

I Have a Dream

 今日、8月28日はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師によるワシントン大行進があった日です。今から52年前・・・逆に言えばアメリカでは半世紀前まで根強い人種差別が残っていたことになります。

 モンゴメリー・バス・ボイコット事件が1955年で、ワシントン大行進の8年前。このモンゴメリーの事件が公民権運動のきっかけとなって、ワシントン大行進につながったと言えるかもしれません。

 モンゴメリーの事件の前年の1954年に連邦最高裁判所でブラウン判決が下ります。その内容は、『 黒人と白人の学生を分離した公立学校の設立を定めたカンザス州の州法は、黒人の子供の平等な教育の機会を否定していると宣言し、単刀直入に「人種分離した教育機関は本来不平等である」と述べたもの 』です。

*

 人種差別や人種隔離の撤廃を求める20万人以上の人々がワシントン記念塔広場に集まったワシントン大行進において、大群衆を前にキング牧師が行った演説が「I Have a Dream」です。

… I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood. …

… I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. …

過去の自分の文章を探すと・・・

2007年4月25日
http://2006.citykobe.jp/article/3839152.html

 公民権という言葉で指し示す人権を、普段はあまり意識することがありませんが、今ヨーロッパで問題になっている難民の問題、そしてアメリカからのニュースとして時折耳にする人種差別に根差した事件に接すると、日本で日常生活を営んでいる中で、「公民」「市民」であるという権利の大切さを意識しない状況というのは、ものすごく平和なことなのかもしれません。

アメノオシホミミ

天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)・・・古事記ではアマテラスとスサノオの誓約の時に、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男となり、ニニギの父になります。

 先週、伊予・松山行きの帰路に、しまなみ海道の島々を巡りましたが、大三島の大山祇神社の祭神がオオヤマツミです。オオヤマツミはコノハナノサクヤヒメの父です。

 そしてニニギは、コノハナノサクヤヒメと出逢って、父であるオオヤマツミに求婚することになります。神戸の二宮神社の祭神・アメノオシホミミと、大山祇神社の祭神がオオヤマツミとは、互いの息子・娘が結ばれる・・・という仲になるわけです。

 二宮神社の境内に、「葺屋荘総鎮守」と刻まれた石がありました。芦屋に対して葺屋と呼ばれていたそうで、江戸中期の「摂津誌」には、葺屋荘には生田村、熊内村、中尾村、脇浜村、筒井村、小野新田の6村があったそうです。

Birthday

 8月になると、チキンラーメンの新製品が販売されます。半月前に東京を訪れた時には、東京駅でチキンラーメンの宣伝が大々的に・・・

 新製品ではなくてチキンラーメンの広告が、ずらりと東京駅構内の柱に・・・

次の柱にも・・・

 今日・8月25日は、世界最初のインスタントラーメンとして、チキンラーメンが発売された日、チキンラーメンのbirthdayです。毎年、8月25日にはチキンラーメンを買っています。今年も・・・

 8月25日は、私の誕生日でもあります。バースデイ・フードとして今日もチキンラーメンを美味しく召し上がりました。

 誕生プレゼント・・・という名目で、自分へのご褒美として、ICレコーダ、そしてステレオマイク、集音マイクを買って・・・昨日ネットで届いていました。学生時代には写真を撮る趣味はなかったのですが、当時はデンスケというテープレコーダとマイクで生録を愉しんでいました。当時は10万円ぐらいしていましたが、今回は、ICレコーダとマイク2つでの3点で2万円もしません。コンパクトで長時間録音もできます。

 砂浜での静かな波音、夏のけたたましいセミの鳴き声、秋の虫の音、山間での鳥の啼き声、街中の喧騒・・・数年前にサンヨーのICレコーダを購入して愛用していたのですが、数か月前から調子が悪く、最近はそれほど録音を愉しまないので、新しいICレコーダを買い替えずにそのままでした。

 このICレコーダとマイクをカバンに入れて生録を愉しみたい・・・と、心から思います。

伊予松山行き・4日目

 松山・大街道のホテルに3泊して、松山市内、道後、そして西予を巡りましたが、今日は4日目です。神戸に戻る途中で、しまなみ海道の島々を訪れることに絞って
朝6時にホテルをチェックアウトして、国道196号線を北上して今治に向かいました。

 松山の町ともお別れ・・・南堀端辺りで路面電車の線路と停留所、その向こうにお堀端という松山独特の光景にレンズを向けて・・・

 JR予讃線を右手に、そして瀬戸内海を左手に国道196号線を走りました。2年前は、同じようにこの道を今治まで走りましたが、その時は2人連れのお遍路さんが、この道を歩いているのを目にしました。

 昨日の朝に走った、松山から海岸線沿いに南下する国道378号線沿いからは、なだらかな稜線が続く光景でしたが、今朝目にするのは、海岸線まで切り立った屏風岩のような光景です。

 海岸線を走っていくと、斎灘(いつきなだ)となって、遠くの島影が、まるで連なっているように見えます。あれが・・・しまなみ海道です。

 今治市に入って、いよいよ、しまなみ海道です。2年前は今治ICから入って、まず今治市内の「来島海峡SA」で、しまなみ海道のを鳥瞰したのですが、今日は今治北ICから入って、そのまま来島海峡大橋へ・・・、

 最初の島・大島で高速を降りて亀老山に向かいました。標高300mですが、来島海峡大橋を一望できます。山上の駐車場への途中に、道路脇に展望台が設置されて、此処からの眺めが良いです。

この道路脇の展望台からの眺め、来島海峡大橋です。左側が四国・今治市です。

 そして山上駐車場に車を停めて山頂へ。山頂からは360度の眺めを愉しめます。山頂からの来島海峡大橋です。

 山頂の展望デッキの柵には、南京錠が・・・

 東側の眺め・・・朝の陽光が燧灘(ひうちなだ)の海面を照り輝かせる光景は、息を呑んで見惚れてしまいました。

 高速に入って、伯方・大島大橋を渡って伯方島。伯方島は通過しただけで大三島橋を渡って大三島(おおみしま)で高速を降りました。そして島の西側の宮浦港の近くある大山祇(おおやまづみ)神社に向かいました。大山祇神社は、古代・中世から秀吉の全国統一まで道後の湯築城の城主で、伊予の有力者だった河野氏の守り神、そして村上水軍の守り神でもあり、伊予国一の宮ということを湯築城資料館で説明を受けて立ち寄ることにしました。

 大山祇神社に来て、初めてわかったのですが、大山祇は、古事記のオオヤマツミのことだということがわかって・・・大山祇神社を訪れて良かったと改めて感じました。

 オオヤマツミは、神産み(かみうみ)において伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)との間に生まれた神様です。またオオヤマツミは、コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメをニニギに差し出した話は、古事記の中でお気に入りのストーリです。ニニギは、容姿の醜いイワナガヒメをオオヤマツミに送り返したのですが、これをオオヤマツミは怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたから」とニニギに告げたそうです。

 ニニギとコノハナノサクヤヒメの間に生まれたのが、ホデリ(海幸彦)とホオリ(山幸彦)です。もう一人の兄弟であるホスセリも生まれますが、古事記にはホスセリに関して出生の記述しかでてきません。

コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメを祀っているのが、島根県の松江市の北側にある佐太神社の摂社・田中神社です。佐太神社の本殿に向かって西社でコノハナサクヤヒメノミコトを祀り、東社はイワナガヒメノミコトを祀っており、2年前に訪れています。その父親にあたるオオヤマツミを祀る大山祇神社です。

 大きな楠が境内にあり、境内の中央にあるのが乎知命(おちのみこと)御手植の楠です。

樹齢2600年と言われ、幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6mです。2600年前に、オチノミコトが此処にオオヤマヅミを祀った時に植えた・・・という伝承があります。

 大山祇神社の拝殿です。ちょうど、海上自衛隊の幹部の方が、お祓いを受けていました。大山祇神社は「戦の神」で、多くの武将が武具を奉納し、国宝・重文の日本の甲冑の約4割がこの神社にあるそうです。また朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜された神社でもあります。

境内の端には、能因(のういん)法師雨乞いの樟があります。

樹齢3000年とも言われて「日本最古の楠」だそうです。

 島の東側に戻って・・・多々羅公園から見た、生口島へ渡る多々羅大橋です。

多々羅公園には「サイクリストの聖地」があり、写真のような大島石の石碑がありました。しまなみ海道の島々には、サイクリング用のブルーラインが道路に描かれて走りやすそうです。

 再び高速に入って、多々羅大橋を渡って生口島・・・生口島では瀬戸田PAで昼食を摂っただけで高速を降りずに生口を渡って因島へ。高速を降りて白滝山へ向かいました。

 山上の駐車場に車を停めて、そこから石段と坂道を歩いて・・・白滝山の山頂に到着した時には汗だくになってしまいました。

 白滝山の山頂の五百羅漢は、因島の柏原伝六が江戸・文政年間に興した 「一観教」という新興宗教の名残だそうです。

 柏原伝六の「一観教」は、神道・仏教・キリスト教・儒教の教えを一つに融合したようなもので、当時の因島には数千人の信者が居たようです。

柏原伝六は尾道の石工などに石像作りを依頼し、3年余りの歳月をかけて五百羅漢が完成したそうです。

 山頂からは、しまなみ海道を360度見渡すことが出来ます。因島から北を向くと、石仏越しに因島大橋、その向こうに向島、そして尾道を眺めることが出来ます。

 歌人の吉井勇は

  “白滝の山に登れば眼路広し 島あれば海 海あれば島”

と詠んでいます。此処からの眺めが、しまなみ海道の中で最もお気に入りです。

 お昼のひととき、強い夏の陽射しの中で、五百羅漢をいろいろなアングルで写真を撮り続けました。山を登る時とは違って、島々を見渡しながら山を下ることになります。

 山路の途中に、鉄製のレールが敷かれています。愛媛では、みかん畑の山肌にこのレールをよく見掛けます。運搬用です。

 白滝屋の駐車場の片隅に、農業用モノレールの運搬機がありました。これを試行錯誤の末に考案・開発したのが米山工業の米山徹朗だそうです。急傾斜のみかん畑畑の農作業は肥料堆肥を担ぎ上げ、そして収穫したみかんを担ぎ下ろすのは、天秤棒を使った過酷な重労働だったようです。

 最初は傾斜地に2本のレールを敷いて、その上を山頂に設置したウインチでトロッコのような運搬車を引き上げるようなものだったそうですが、これではカーブが曲がりきれず、試行錯誤の末にモノレール式の自走式に至ったようです。

 昭和40年~昭和50年にはレール総延長が2,000キロに達したそうで、米山工業の独占状態だったようです。地元松山ゆかりの坊ちゃん列車を自費で復元したのも米山工業のようです。

 白滝山を後にして、村上水軍城に向かいました。「水軍城」というネーミングで、海岸沿いにあって、船が直接接岸できるような構造のお城を勝手にイメージしていましたので、ちょっと迷ってしまいました。海岸沿いではなくて山側にあり、山腹にそびえていました

 村上水軍のルーツは、源氏の庶流・信濃村上氏という説があり、また、村上天皇の皇子・具平親王の子であった源師房を祖とする村上源氏を起源とする説もあるそうです。

 村上水軍の活躍は、南北朝時代に寺社領の海上警護を請け負っていた記録がもっとも古いそうです。南北朝時代には、因島や弓削島などを中心に、瀬戸内海の制海権を握っていたようで、海上に関を設けて通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や海上警護請負などを行っていたようです。写真は資料館となっている建物です。

 数年前の朝の連続テレビ小説「てっぱん」で、尾道と向島を結ぶ渡し船で自動車も乗っていたのを目にして、数年前には、この渡し船で向島に渡ったことがありますが、車で渡ってみたいと思っていました。今回、向島で高速を降りて、渡し船経由で尾道へ・・・と予定していたのですが、台風が近づいていることもあり、早々に神戸に戻りたい気持ちもあって、結局は因島で高速に入って、因島大橋を渡って向島、そのまま高速で尾道大橋を渡って、福山西ICから山陽道に入りました。

 松山行き・4日目の活動量は、

活動カロリー  1196Kcal
総消費カロリー 2857Kcal
燃焼脂肪    51.3g
歩数      11916歩
歩行距離    8.8Km
階段      820歩
早歩き     3552歩

伊予松山行き・3日目

昨日は、午後から路面電車と徒歩で、漱石、子規、虚子、碧梧桐の足跡を巡りましたが、今日は早朝から車で西伊予へ・・・

 国道378号線を瀬戸内海を右手に、JR予讃線を左手に、なだらかな稜線を目にしながら、窓を全開にして潮風を浴びて・・・長閑でした。

瀬戸内海を隔てて小島越しに山口県の海岸線がうっすらと眺めることが出来ます。四国を走っているんだなあ~と実感します。大州方面へ向かって、しばらくは瀬戸内海沿いの光景を愉しみながらのドライブです。

長浜からは肱川沿いを上流に・・・。左手に予讃線を右手に肱川の流れを見ながらのドライブです。此処の景色も神秘的でお気に入りです。2年前は、反対に肱川沿いを下りました。

蛇行する肱川は、いろいろな貌を見せてくれます。何度も車を停めて、さまざまな光景に見惚れてそして写真に収めました。伊予の風景を満喫して、大州へ・・・

大州の旧市街地、此処は昔の朝ドラ「おはなはん」の舞台、ロケ地です。そして寅さんの「寅次郎と殿様」、マドンナは真野響子でした。殿様は嵐寛寿郎、執事が三木のり平という顔ぶれでした。早朝の大洲の長閑な町並み、写真は「おはなはん通り」です。

臥龍(がりゅう)山荘近くの肱川の流れです。超広角で撮ったので、太陽の光がかぶります。フード代わりに手をかざしたら・・上端に手も写ってしまいました。

臥龍山荘付近に引き込まれた肱川の流れ沿いです。この辺りは、何処を眺めても絵になる光景です。

旧市街地の散策・・・土蔵の白壁に電線の影がくっきり、背後は真っ青な空・・・絵になる光景・・・

 ポコペン横丁です。

 大洲の町おこしとして、昭和30年代の薬屋、雑貨屋などの横丁を再現しています。

「ポコペン」とは、大洲の昭和時代に「かくれんぼ」や「缶けり」の時使っていた遊び言葉だそうです。

大洲城の石垣、寅さんでは、この石垣の上で、財布のお金を数えていたら、風で500円札が舞って、石垣の下を散歩していた嵐寛が演じる殿様の前に・・・それが殿様と寅さんとの出会いでした。

忠実に木造で復元された天守閣です。寅さんのロケの頃はなかったものです。コンクリート製の観光用の模造天守閣が多いですが、このお城は復元天守閣です。外から見る分には同じといえば同じですが・・・

本丸から眺めた肱川、川向うにJR伊予大洲駅があり、住宅や商業施設があります。

三の丸跡にある屋敷、寅さんの映画では、殿様の邸宅としてロケで使われました。

 大洲から、国道197号線を走って宇和海に面した八幡浜へ。これから向かう佐田岬の付け根です。この辺りの山間の道路から、山肌の高い処に住宅が見えます。この近くに平家谷という地名があり、平家の落人の棲家の名残なのか、それともミカン畑の関係なのか、思い描きながら・・・

 佐田岬の根元は伊方・・・此処に伊方原子力発電所があります。ちょっと立ち寄りました。

原子力発電に関する展示がたくさんあります。美浜、東海村の展示を見たことがありますが、原発の展示の見学は久し振りで3か所目です。

 伊方原発は、伊予灘に面して、その向こうには本州・周防辺りです。

 そして、これから向かう佐田岬・・・九州とのフェリー乗り場がある三崎までは国道197号線が走って、佐田岬メロディーラインと呼ばれています。走ると「みかんの花が咲く頃」がタイヤ音で鳴る個所もあります。

 三崎港です。此処までは、眺めの良いドライブが愉しめました。

 フェリー乗り場、此処までが国道197号線です。此処から先は県道256号線が佐田岬灯台の駐車場まで続きます。

フェリー乗り場のある三崎港から、串の集落の近くにある三崎漁港までは、それなりに道幅がありました。此処が三崎漁港です。

 漁港の周辺の串の集落には小学校もあったのですが、現在は廃校となって、三崎港の近くにある三崎小学校に統合されています。三崎漁港から西・・・佐田岬灯台までは隘路となって離合(りごう)が困難な個所が多かったです。

 一度、大きな車と離合困難な個所で鉢合わせ・・・。相手の車が後退してくれました。

 そして佐田岬灯台の駐車場・・・此処から1.8キロの山路を歩いて灯台です。灯台方面・・・岬の横幅が、もう数十メートルぐらいのようです。

 木漏れ日の陰が絵になる山路を汗だくになって・・・

 佐田岬灯台の途中の高台に、椿山展望台があります。此処から灯台越しの九州・佐賀関の展望が素晴らしかったです。

 岬の先端・灯台の下に行くと・・・「灯台の向こうに海を隔てて九州」という構図の写真が、当然のことながら撮れません。此処からの写真が、結構、絵になります。何枚も写真を撮ってしまいました。

そして灯台に到着です。四国最西端、この向こうは、海を隔てて九州です。

 今回、春先から数か月ぶりに一眼レフのカメラを持ってきました。コンパクトタイプのデジカメでも結構、移りが良いですし気軽に撮れるので・・・。でも一眼レフで撮った写真は色合いや解像感等々、絵が違います。今回もコンパクトタイプのデジカメでも撮って更にはスマートホンでも撮りましたが、ホテルに帰ってパソコンの液晶画面で見ると、歴然と画質が異なります。

 超広角ズームの広角端・換算16mmの画角で撮った、四国最先端からの光景・・・

 佐田岬には風力発電のプロペラが立ち並んでいました。

 八幡浜から大洲への国道197号線、大洲方面は渋滞で・・・日曜の夕方近く、西伊予への行楽帰りの渋滞かと思ったら、反対方向の車が時折、群れになって・・・。工事の片側規制なのかとも思いましたが、休日の混雑が予想される時間帯にそれはないなあ~とも・・・

 事故の交通整理でした。八幡浜から大洲方面を走っていた車がカーブで車線をはみ出して、反対側の車と正面衝突・・・のようです。

 ホテルの駐車場が満車で、大街道の契約駐車場に留めていたのが、今日はホテルの地下に車を入れることが出来ました。

 松山行き・3日目の活動量は、

活動カロリー  1237Kcal
総消費カロリー 2898Kcal
燃焼脂肪    63.2g
歩数      16710歩
歩行距離    12.3Km
階段      740歩
早歩き     8325歩

 昨日は街歩き、歩数は昨日が多かったのですが、活動カロリーは今日が多いです。佐田岬灯台の往復で山道の上り下りが階段と換算されて昨日の4倍近い値。でも早歩きの歩数は、街歩きの昨日の方が多いです。活動量計の数字を見て「なるほど」と感心します。

伊予松山行き 2日目

 今日は愛媛大学で開催される日本産業技術教育学会でのオーラルセッションでの発表があり、それが今回の松山行きの目的です。

 ホテルから愛媛大学は、松山城の麓を歩いて…途中で「一等三角点」を目にしました。松山城へのロープウェイ乗り場の少し東側です。松山城、初代城主である加藤嘉明の騎馬像も近くにありました。

 愛媛大学の正門です。

 愛媛大学の前身である旧制松山高等学校は、官立の高等学校として1919年(大正8年)に設立されています。四国で最初の旧制高等学校であり、四国で最初の高等教育機関です。でも、漱石の時代の後であり、坊ちゃんの舞台では、練兵場の辺り・・・になります。確か練兵場での喧嘩というのも小説「坊ちゃん」にあったような気がします。今になって、松山行きの直前に「坊ちゃん」を読むべきだったと後悔しています。

 教育学部のホールで受付をしていました。

 かなり以前・・・照明の研究をしていた頃、北海道大学での照明学会の発表の折り、札幌観光に気持ちが入って、事前にプレゼンテーションの準備をしていたのですが、発表当日の早朝に発表時間に収まるようにホテルの部屋で発表練習を繰り返した記憶があるのですが・・・今回も「歴史は繰り返す」で、早朝に起き出して、発表練習をしました。12分の発表時間ですが15分ぐらい掛かってしまいます。内容を刈り込んだり、プレゼンテーションの順番を入れ替えたり・・・何度も練習をしてしまいました。

 昨年は、もう7~8年使っているWindowsXPのパソコンの調子が悪くて、2つの学会発表で、会場でプロジェクターにちゃんと映らなかったので、Windows8.1のパソコンを新しく買って、プロジェクターにちゃんとつながりました。

写真は・・・私の後の発表者です。

 2つの発表に質問をして・・・午前中で会場を後にしてホテルに戻って、松山市内観光・・・昨日のうちに市内を走る伊予電鉄の1Dayチケットを買っていました。

 最初に向かったのは、愚陀仏庵跡、駐車場になっています。漱石が松山中学校に赴任していた時の下宿先であり、正岡子規が居候した時期もあったそうです。「坊ちゃん」では、旅館「山城屋」滞在から、最初の下宿先だった処です。松山三越の南すぐの処です。

 大街道は・・・賑やかでした。俳句甲子園の熱戦が行われていました。兵庫県代表の神戸の灘高校です。

 対戦相手は、地元の松山東高校です。漱石の赴任先、坊ちゃんが先生となった中学校です。

 お題は「日焼け」で、それぞれの句を巡って激しいバトルがマイクを通して・・・

 熱戦を見届けたい気持ちもありましたが、今日巡りたい箇所が多いので途中で・・・

 次に訪れたのは俳誌「ほととぎす」創刊の地、第20号までの「ほととぎす」の発行場所があった処です。「ほととぎす」正岡子規の発刊だと思っていたのですが、子規の友人の柳原極堂が発刊したことをはじめて知りました。中の川通りの井出神社の近くでした。かなり迷って探し回りました。最後は、新しく買ったスマートホンのGPS機能も活用しました。

 子規から「ほととぎす」を引き継いだ高浜虚子の住居跡です。此処も・・・かなり迷ってスマートホンのGPS機能に頼って辿り着きました。2番町一丁目、電車通りの少し南になります。

 勝山町の電車の停留所の近くまで来たので、電車で道後温泉まで乗って、道後温泉周辺を散策して、そして湯築城三の丸にある子規記念博物館へ。今はちょうど河東碧梧桐の特別展が開催されていました。

エントランスです。

常設展は、四国の歴史、伊予の歴史に関する展示から始まり、子規の誕生からの歩みの展示、結構膨大です。愚陀仏庵の復元・再現された展示もあり、此処だけは撮影OKでした。

 そして特別展の河東碧梧桐・・・句だけではなくて書の達人でもあり、歌も詠んでいることを展示で知りました。書の展示をじっくり見たことはなかったですが、碧梧桐の書は、じっくり見ました。図録も購入しました。

 1Dayチケットを買ったので、本町行き以外の路線に乗ってみました。その後、大街道で降りて、愛松亭跡・・・「坊ちゃん」では2つ目の下宿先であり、漱石の書簡碑がありました。この辺りには、県庁、市役所があり、旧制松山中学校もこの一角にありました。県庁前を電車が通り過ぎる光景・・・・

その次に訪れたのは、お堀端にあった旧制松山中学校跡地、現在はNTTの建物が立っています。漱石の赴任先、坊ちゃんの舞台の学校、子規の母校です。今は松山城の東に松山東高校として・・・

 「坊ちゃん」では、船で三津浜に着き、はしけで浜に上がって電車に乗って今の松山市駅に着いて、そこから人力車で向かった旅館、小説では「山城屋」ですが、実際には「城戸屋」という旅館だったそうです。2年前には工事中・・・城戸屋の建物の解体をしていたようです。今は城戸屋跡の案内板があるのみです。番町小学校の近くです。

 城戸屋跡から南に向かって、碧梧桐生誕地へ。

松山市駅から乗った電車が床も壁も木製でした。かなり古い車両のようです。油引きされた床は、なんとなく懐かしい暖か味を感じます。

 今日の最後は花園町の電車通り沿いにある正岡子規生誕邸址です。今は町の真ん中ですが、江戸時代の武家屋敷のはずれだった処のようです。この近くに石原新太郎・裕次郎の先祖にあたる石原家の邸宅があったようです。

 松山行き・2日目の活動量は、

活動カロリー  967Kcal
総消費カロリー 2628Kcal
燃焼脂肪    49.3g
歩数      19038歩
歩行距離    14.1Km
階段      190歩
早歩き     9691歩

伊予松山行き 1日目

 愛媛大学での学会発表のため、今朝早く伊予・松山に向かいました。

 8月も下旬になると、朝の5時が薄暗い感じがします。特に今朝は曇り空だったこともあって、ヘッドライトをつけて自宅を出発しました。垂水ジャンクションから淡路鳴門道に入って、行きは淡路島経由のルートです。明石海峡大橋と鳴門大橋を渡って四国に入って、早朝で道路は空いており、ずっと順調でスイスイと高松道を西へ。高松道の山間部分では霧が立ち込めて、その光景も楽しみながら・・・

 徳島県から香川県に入って津田の松原SAで休憩、まだ6時半過ぎです。此処のSAは、すき家とファミリーマートが24時間営業でした。

 高松道を西へ向かって・・・あまりにも順調で、そして朝早く出たので、このままでは松山にかなり早く着いてしまいます。10年前に金比羅さんを訪れた時に、階段の途中で大雨となって本宮まで行かずに引き返したことがあり、その前に金比羅さんを訪れた時も本宮まで行っていません。

・・・ということで、急遽、金比羅さんに立ち寄ることにして善通寺ICで降りて国道319号線を南下して琴平へ。琴平駅前の公営駐車場に行くと・・・広い駐車場に車が1台も停まっていません。どうも8時からで、到着したのが数分間だったためです。係りの人が、「金比羅さんですか?」と尋ねてきて、地図や道順を教えてくれました。
 
 金比羅さんへの長い石段・・・まだ早朝で閉まっている店も少なくなかったですが、階段を降りてくる人もいました。

 旭社の手前で団体に追いつきました。

 旭社を過ぎて・・・念願の金比羅さん本宮です。3度目で、やっと到達しました。広沢虎造の名調子、「清水次郎長伝 石松の代参」は私のお気に入りで、また松坂慶子がマドンナだった寅さんの46作、『男はつらいよ 寅次郎の縁談』もお気に入りの作品だったので、一度金比羅さんに行ってみたいと思っていました。

 往復1時間半余り、汗だくになって、麦茶を1リットル飲んで、車で再び高松道を西へ、伊予・愛媛県に入って松山道・松山南ICで降りて、国道33号線を北上して・・・2年ぶりの松山です。松山は大きな町で、地理感覚に自信がないのでカーナビを久し振りに活用して、松山市内を通ってターナー島に向かいました。あまり観光地化されておらず、案内もない狭い道を進んで・・・

 ターナー島です。漱石の小説「坊ちゃん」で登場します。

 再び松山市内を通って道後温泉に向かいました。古くからの温泉で、ここも「坊ちゃん」で登場します。今回の松山行きは、「坊ちゃん」の足跡を訪ねることも大きな目的です。

 「坊ちゃん」と同じように、余分にお金を払って、個室で浴衣とタオルを借りて、2階の「霊の湯」へ。坊ちゃんが泳いだ湯船で「泳ぐべからず」と書かれた湯船です。お湯から上がると係りの人がお茶を持ってきてくれます。これも小説「坊ちゃん」と同じです。それに加えて小説では温泉の近くの店で買う設定だったと思いますが
「坊ちゃん団子」も・・・。

 これが個室です。

 一番奥の個室が「坊ちゃんの間」で漱石関連の展示・見学専用の部屋になっています。

 そしてホテルにチェックイン。2年前に泊まった東急インが、松山の繁華街・大街道を見下ろす部屋で、道を隔てて松山三越があり、路面電車の停留所も真ん前、気に入って3か月前から予約していました。

 荷物を置いて市内観光、ホテルを出ると、目の前の大街道の停留所で、ちょうど坊ちゃん汽車が・・・

 松山の市街地は、伊予鉄道の路面電車が走っており便利です。古いタイプの電車も多く、独特の音を出して走っています。観光客としては、風情がある乗り物です。

 松山城の東、道後温泉の近くに位置する「湯築城(ゆずきじょう)」です。日本百名城のひとつで、中世のお城がそのまま残っています。職場の先輩から勧められて最初に訪れました。現在は道後公園となっています。

 湯築城は中世のこの地で勢力を持っていた河野氏の拠点だったそうで、弓矢の幾歳だった中世の城のため、石垣も天守閣もありません。

戦国時代の終焉に秀吉からこの地を与えられた加藤嘉明が湯築城の西の勝山の山上に鉄砲での戦に対応した石垣と天守閣を持つ近世の城・松山城を築城後は、湯築城は廃城となったそうで・・・そのお蔭で中世の城郭跡がそのまま残っていたそうです。

搦手門の近くに湯築城資料館があり、すごく丁寧に説明して下さり、いろいろな資料までいただきました。詳しい説明を受けた後に二の丸跡に・・・

そして此処が本丸跡・・・此処に動物園があった時期があり、その名残で本丸跡には展望台が残っていました。

三の丸跡には、明日訪れる予定の子規記念博物館があります。

 湯築城資料館で思わぬ丁寧な説明を長時間受けていたので、今日は、そのままホテルに戻りました。帰りは終点の道後温泉駅まで歩いて・・・

 夜、静かになると・・・路面電車独特の音がかすかに聴こえてきます。窓から見下ろすと、路面電車の行き来を眺めることができました。

 松山行き・1日目の活動量は、

活動カロリー  1365Kcal
総消費カロリー 3026Kcal
燃焼脂肪    67.4g
歩数      18249歩
歩行距離    13.5Km
階段      1010歩
早歩き     8089歩