峠と畑

 手元に福永武彦訳の現代語訳・古事記があります。

 古事記の時代には万葉仮名が用いられていました。漢字の一字一字を、漢字本来の意味に関係なく日本語の一音節を当てるのが万葉仮名です。日本古来の言葉である「ヤマトことば」を、そのまま表現していました。

 その後、漢字本来の持つ意味を訓読みで「ヤマトことば」を表すようになったようです。しかし中国にはない日本独特の文化や慣習や事象を表す時に、中国の漢字ではカバーできない「ヤマトことば」が存在する時に、仮名で表現する方法と共に、元々の中国の漢字にはない、新しい漢字を使うという道があります。それが・・・国字です。

 中国の北方の漢や呉では水田がなかったのか、「たんぼ」と「はたけ」の差異がなく「田」という漢字しゅかありません。それに対して日本では「たんぼ」と「はたけ」は明確に異なり、そのことが「田」ではない「国字」である「畑」につながったようです。古代の焼き畑農業の名残なのか、「火」と「田」を組み合わせた国字です。

 峠、この概念が元々中国になかったのか・・・職場の先輩に訊いてみました。広大な中国では、徒然「峠」のような地形も至る所にあったかもしれないが、峠を越えると他民族の地で、峠を越えて行き来することが少なかった為かなあ~というアドバイスをもらいました。ちなみに中国で「峠」のような地形を指し示す語彙として「山口」があります。日本語の「山口」は、山に入る入り口・・・というようなニュアンスの語彙ですが、中国語の「山口」は、どうも、山の頂と山の頂の間にある尾根の窪みを指し示すようです。

 英語では単に’pass’です。強いて言えば「山路」でしょうか?

 ・・・峠を超えると隣の村、或いは隣の国で、文化も慣習も違う、という峠には地理的だけではない「障壁」となっていた時代が近代に入るまで、ずっと続いていたように思います。中国には、そのような「峠を越えると・・・」というようなニュアンスや感性を表現する言葉としての「峠」という概念を必要としなかったのかもしれません。

 国字って、これまで「日本で作られた独自の漢字」としてしか捉えていませんでしたが、国字で指し示す事象や感性等々自体が中国になく日本にはあった・・・これが国字誕生の理由なのかもしれません。