案内人

「天災は忘れた頃にやってくる」

 これは物理学者であり随筆家でもあった寺田寅彦のことばです(『天災と国防』、1934年11月、経済往来)。寺田寅彦は熊本の五高時代に英語教師であった夏目漱石と出逢って紫溟吟社(しめいぎんしゃ)という俳句の会を起こしています。

 寅彦は多くの随筆を残しており、昨日の朝の通勤の電車の中でAmazonのKindleでダウンロードした寺田寅彦随筆集をipadで読んでいたのですが、今朝読んだのは『案内人』という随筆です。

 旅行で案内人にガイドして貰うと、自分のペースで見て廻れないので不満があるが、かといって案内人がいないと、折角の見所を見落としたり、それ以前に何を見て良いかわからず計画も立てられない・・・という内容です。

 観光ガイドブックのことも触れていました。案内ガイドは便利ですが、そればかり頼っていると、あたかも案内ガイドの内容を確認・チェックして廻っているようで、「ガイドブックに書いてある通りだ」と納得するのが観光の醍醐味と言えようか・・・というようなことも書いていました。

 この2つのことから寅彦は学問の話へと持って行きます。

『…学校教育やいわゆる参考書によって授けられる知識は、いろいろの点で旅行案内記や、名所の案内者から得る知識に似たところがある。』

『…学校教育を受けるという事が、ちょうど案内者に手を引かれて歩くとよく似ているという事をもう少し立ち入って考えてみたいだけである。案内記が詳密で正確であればあるほど、これに対する信頼の念が厚ければ厚いほど、われわれは安心して岐路に迷う事なしに最少限の時間と労力を費やして安全に目的地に到着することができる。これに増すありがたい事はない。しかしそれと同時についその案内記に誌るしてない横道に隠れた貴重なものを見のがしてしまう機会ははなはだ多いに相違ない。』

『…案内記ばかりにたよっていてはいつまでも自分の目はあかないが、そうかと言ってまるで案内記を無視していると、時々道に迷ったり、事によると滝つぼや火口に落ちる恐れがある。これはわかりきった事であるが。それにかかわらず教科書とノートばかりをたよりにする学生がかなり多数である一方には、また現代既成の科学を無視したために、せっかくいい考えはもちながら結局失敗する発明家や発見者も時々出て来る。』

 寺彦は、「旅行の案内人」と「教育における教科書・教師」とのアナロジーを書き綴るだけで終わるのではなくて、ここからが「起承転結」の「転」となります。ニュートンの例を引用した部分を少し長いですが・・・

『…ニュートンの光学が波動説の普及を妨げたとか、ラプラスの権威が熱の機械論の発達に邪魔になったとかという事はよく耳にする事である。ある意味では確かにそうかもしれない。しかしこの全責任を負わされてはこれらの大家たちはおそらく泉下に瞑する事ができまい。少なくも責任の半分以上は彼らのオーソリティに盲従した後進の学徒に帰せなければなるまい。近ごろ相対原理の発見に際してまたまたニュートンが引き合いに出され、彼の絶対論がしばしば俎の上に載せられている。これは当然の事としても、それがためにニュートンを罪人呼ばわりするのはあまりに不公平である。罪人はもっともっとほかにたくさんある。言わばニュートンは真理の殿堂の第一の扉を開いただけで逝てしまった。彼の被案内者は第一室の壮麗に酔わされてその奥に第二室のある事を考えるものはまれであった。つい、近ごろにアインシュタインが突然第二の扉を蹴開いてそこに玲瓏たる幾何学的宇宙の宮殿を発見した。しかし第一の扉を通過しないで第二の扉に達し得られたかどうかは疑問である。
 この次の第三の扉はどこにあるだろう。これはわれわれには全然予想もつかない。しかしその未知の扉にぶつかってこれを開く人があるとすれば、その人はやはり案内者などのやっかいにならない風来の田舎者でなければならない。第三の扉の事はいかに権威ある案内記にも誌るしてないのである。』

 最後に寅彦は、次の言葉で締めくくっています。

『…景色や科学的知識の案内ではこのような困難がある。もっとちがったいろいろの精神的方面ではどんなものであろうか。こっちにはさらにはなはだしい困難があるかもしれないが、あるいは事によるとかえって事がらが簡単になるかもしれない。そこには「信仰」や「愛情」のようなものが入り込んで来るからである。しかしそうなるともう私がここに言っているただの「案内者」ではなくなってそれは「師」となり「友」となる。師や友に導かれて誤って曠野の道に迷っても怨はないはずではあるまいか。』

 「教え」と「学び」ということを、「案内人」と「観光客」という関係の中では捉えきれませんが、でも、時には案内人として案内し、そして師として、take off させることも大切かなあ~と、考えさせられました。通勤で電車に乗っている時間が30分弱、ちょっと長目の随筆を一篇読む程度の時間でした。  

 勤務校の一駅手前の三宮駅で降りて、一駅分の約30分を歩こうと、三宮駅東口のスクランブル交差点で信号待ちをしていると、ビルの合間、旧西国街道の上、東の空の端が赤っぽくなっています。

1月の3~13日は、1年でもっとも夜明けが遅い時期、日の出の時刻が遅い期間です。昨日がその真ん中の碑でしたので、秒単位だと1年で最も夜明けの遅い日ではなかったかと思います。昨日の神戸の日の出の時刻は7時7分でした。