朝の神戸

昨日の朝、職場の3駅前のJR神戸駅で降りて、高架沿いの北側を東に向かいました。

JR神戸駅の構内です。天井が高くレトロな感じがします。

JR神戸駅は、ほぼ南北に線路が走っています。そこに西から国道28号線がJRの高架に突き刺さるように・・・写真の左側が国道28号線です。そして、この高架が国道28号線の東端となります。明治時代に、この向こう側(写真の右側)に宇治川があって、其処に架かる元・相生橋の西詰に兵庫県里程元標があります。実際には相生橋の位置は100mぐらい西でしたが、JRの高架化によって移設・保存されています。旧西国街道が、現在の元町商店街を通っていました。昔はその跡に国道2号線があり、相生橋を渡って阿波路(国道28号線)という位置関係だったようです。

 宇治川の流れは暗渠となって、その川筋は商店街となっています。

 元町駅の北側に「県立第四中学校発祥の地」の石のパネルがあります。現在の星陵高校です。

 県庁周辺は、小山のようになっており、その東側は、道路が下り坂、阪急は三宮までの高架から神戸高速の地下へと、上下方向に交差します。その南はJRの高架です。

 車が右から左へ下り、そして阪急電車は左から右へ下ります

 此処に県立神戸商業学校跡の石碑があります。現在の神戸商業高校です。

 現在、星陵高校と神戸商業高校は、垂水の星陵台に、同じような距離で隣接しています。戦後は両校が垂水高校という一つの学校だった時期もありました。

里見美禰子 ・ 平塚らいてう

今日の朝ドラ「あさが来た」では、大阪の加野銀行に、東京の日の出女子大学校の女子学生3人が主人公・白岡あさを訪ねて、あさと話をするシーンがありました。

 女子学生のリーダーが平塚 明、のちの平塚らいてう(らいちょう)です。

 ドラマでは2回目の登場で、1回目は、日の出女子大学校の設立者で校長の成澤泉の授業において、白岡あさが時間をもらって喋った時に、舌打ちをしていた学生です。その時は「この女優、見たことあるけど誰?」程度でしたが、今日、再び目にして、やっとわかりました。元AKB48の大島優子でした。平塚らいてう役がピッタリのような気がして観ていました。

 平塚らいてうは、日の出女子大学校卒業後に、帝大を卒業した夏目漱石の弟子・森田草平と心中事件を起こします。帝大卒と女子大学卒の2人の心中は当時の世間を騒がしたようです。

 先週の放送では、白岡あさが「最近は、心中をしたり滝で投身自殺をしたり・・・」と当時の話題のニュースに触れるシーンがありましたが、華厳の滝で遺書「巌頭之感」を残して投身自殺をしたのは一高の学生・藤村操です。漱石が英語で受け持っていた学生で、漱石が授業中に藤村を叱咤した後に投身自殺をしたことが、漱石の「うつ病」の原因だとも言われています。

 そして漱石は、自分の弟子・森田草平と心中事件を起こした平塚らいてうを、小説「三四郎」の中で、里見美禰子のモデルとして描きます。自由奔放な「新しい女性」として三四郎の心をかき乱して・・・。Stray Sheep(迷える子羊)、三四郎池の、池の畔に立つ姿を絵に描いてもらって展覧会に出展・・・

 日の出女子大学校は日本女子大学がモデルです。創設者の校長・成澤泉は、元々は大阪の梅花女学校の教師でした。梅花から本女(日本女子大)というのは、私の大好きな白百合の君・山川登美子も同じです。もちろん登美子は生徒・学生として。梅花から本女でした。

 山川登美子は日本女子大学校で、与謝野晶子と増田雅子と出逢い、そして3人で「恋衣」という歌集を刊行しますが、それが元で学校から処分を受けています。

 「恋衣」の冒頭を飾った山川登美子の歌は,

 髪ながき
少女とうまれ
しろ百合に

 額は伏せつつ
君をこそ思へ

 与謝野晶子の夫である与謝野鉄幹が発刊した「明星」第6号の表紙を飾った一条成美の長い髪の半裸身の少女像…うつむき加減に一輪の百合の花を手にして香りをかぐ絵のイメージは、まさに「白百合の君」です。漱石は明星を愛読していたようで、短編集「夢十夜」の第一夜のイメージは、「白百合の君」のイメージだという論説があります。

 平塚らいてうも、森田草平との心中事件で、同窓会 から処分を受けたようです。平塚らいてうは、その後「青鞜」という文芸誌を創刊しますが、創刊号に与謝野晶子が寄稿しています。そして創刊号の表紙を担当したのは高村智恵子・・・高村幸太郎の「智恵子抄」の智恵子でした。高村智恵子はその後も「青鞜」に関わっていたようです。

 このように平塚らいてうを巡っては、同時代の漱石は、平塚らいてうから直接・間接的に影響を受けて作品に反映されたように思います。

 平塚らいてうは、大正時代に、市川房江の協力で新婦人協会を設立しています。

 平塚らいてうを演じた大島優子、録画していた4年前の紅白歌合戦での突然の引退宣言の映像をブルーレイレコーダから探して・・・

 小説「三四郎」で描かれた美禰子は、この大島優子のような女性を漱石はイメージしたのかなあ~と、ふと感じました。

淡路

「物の始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路の島、泥棒の始まりが石川の五右衛門ならば、博打打ちの始まりが熊坂の長範・・・」

 山田洋次監督、渥美清主演の映画「男はつらいよ」の中で、寅さんの啖呵売(たんかばい)の口上です。

 島の始まりは淡路島・・・今日、久し振りに淡路一周をしました。

 垂水ICから、明石海峡大橋を渡って淡路ICから、県道31号線で、淡路の西海岸沿いをひたすら南下・・・

 江崎、平林、富島、浅野、室津、尾崎、郡家と海岸沿いを走って、郡家から小川沿いも県道88号線を川上に向かって伊弉諾(いざなぎ)神社です。

 久し振りに訪れました。拝殿の奥の本殿です。

 郡家に戻って県道31号線を海岸沿いに南下、江井、明神、都志、鳥飼を経て慶野松原です。

 そして湊から県道31号線は松帆志知川沿いに川上に上りますが、海岸沿いを南下するには県道31号線を離れて県道25号線を走ることになります。県道25号線は時々隘路の区間があります。

 津井、丸山・・・この辺りは離合が困難な処もあり、大型車は入れません。丸山の集落の南から鳴門大橋を見ることが出来ます。その向こうの山並みは四国です。

阿那賀の集落から山道を走ると、淡路島の最南端となります。大鳴門橋記念館から鳴門海峡、鳴門大橋を見下ろした光景です。

 そして県道237号線で、鳴門海峡に伸びた鳴門岬を走って、道の駅うずしお に到着。ちょうどうず潮の時間帯だったようで、太平洋から瀬戸内海に潮が流れていました。うず潮の周囲に小舟が集まって、うずの潮力で舟が回転する様子が見えました。

県道25号線に戻って、福良の町、南淡路市の中心で市役所があります。県道25号線沿いに山越えをして、畑が広がる中を阿万吹上の集落です。、国立淡路青少年交流の家で1週間の新入研修があって、その中でオリエンテーリングがあり、吹上浜まで地図を頼りに行ったことがあるのですが、淡路特産の玉ねぎを収穫後に風通しをよくして干す「玉ねぎ小屋」が並ぶ集落を歩いたことが印象に残っており、ちょっと寄り道をして「玉ねぎ小屋」が並ぶ阿万吹上へ・・・21年前の夏、激しい陽射しの中を「玉ねぎ小屋」の前を歩いた記憶が鮮明に呼び戻されました。

 県道25号線は阿万までで、此処からは県道76号線で山越えをして・・・淡路の東海岸に出ました。此処からは北上となります。

 この辺りは灘と呼ばれています。海岸の向こう側に小さな沼島(ぬしま)が浮かんでいます。黒岩水仙郷までは2車線のアスファルト舗装された道路ですが、その先は山が海岸線まで迫る道を走っています。

 紀伊水道で、友が島を挟んで紀伊半島の和歌山が近い辺りで、山道に入ります。

 由良を通って、淡路温泉の旅館が並ぶ辺りで山道を上って洲本城に向かいました。まだ洲本城の行ったことがなく初訪問です。

 石垣がたくさん残っていました。

 天守閣跡からの洲本の風景です

 洲本の町からは国道28号(阿波路)を北上です。北上して津名、ちょっと「たこせんべいの里」の立ち寄りました。

 国道28号線に戻って佐野、自転車では此処・佐野まで来たことがあります。国道は佐野の町をバイパスする道が出来ていますが、佐野の町を通る旧道を走りました。自転車で来たときは、佐野の町を写真で撮りましたが、車だと気軽に路上駐車できません。でも一か所、綺麗な花畑があったので、路肩に車を停めて・・・

 佐野から釜口、巨大な廃墟となった観音像がそびえています。久留麻から国道を離れて自転車で時々走る町中の道を走って県道460号線から県道157号線を経て「あわじ花さじき」へ、一面が菜の花でした。

今日は一眼レフなので、絞りを調整したり、ズームアップをしたり・・・

 向こうの山際まで菜の花畑が続いています。

 朝は快晴でしたが、午後からは時折曇り空になったり、雲の合間から陽射しが射し込んだりして、菜の花の表情が変わります。

 一面が黄色い光景、絵にならない構図も多く、何枚も写真を撮ってしまいました。

 そのまま157号線で淡路の真ん中の山間部を北上して、県立淡路公園を通って、淡路ICから明石海峡大橋を通って本州へ。

 淡路の福良に近くにある「南あわじリフレッシュ交流ハウスゆーぷる」の温泉に入るつもりでしたが、そのまま通り過ぎて、明石海峡大橋を渡る前に、明石海峡を見下ろす絶景が楽しめる「美湯松帆の郷」に立ち寄ろうかと思いましたが、これもやめて、結局、自宅近くの「垂水温泉 太平のゆ 」に入りました。平日は入浴料が650円なのですが、今日は450円でした。いつもよりゆっくりと・・・

 車で出掛けると、あまり歩かないのですが、今日は、鳴門海峡の辺り、洲本城、そして花さじきで歩き回ったので歩数計は、

歩数  12373歩
距離   9.1km

早歩き      3839歩
活動カロリー  993kcal
総消費カロリー 2400kcal
燃焼脂肪量    45.4g

 昨日の京都行きよりも歩数は少ないですが、鳴門のうず潮を撮るために階段を上ったり下ったり、そして洲本城の石段を上ったり下ったり、最後は花さじきの斜面をかなり歩き回ったので、消費・活動カロリは今日の方が高かったです。昨日今日と歩くことが多く、ちょっと足が疲れて、最後の温泉で、かなり長くお湯につかっていました。

 今日は、感覚をつないでひらく芸術教育を考える会で京都に向かいました。

 今回は10回目で、第一部の研究発表会が北大路の京都北文化会館、続いて第二部がワークショップ「能の身体表現」が室町の河村能舞台で行われました。

 行き・・・平日の通勤通学時間帯になるのでJRだと着席が絶望だと思い、元町から阪神電車に乗りました。でも、残念ながら終点の梅田まで着席できませんでした。

 阪神・梅田から徒歩で京阪・淀屋橋に向かって・・・京阪特急は座れました。終点の出町柳は、高野川と賀茂川の合流点です。

 出町柳から第一部の会場「京都北文化会館」がある北大路まで徒歩で向かいましたが、40分以上掛かりました。会場に着くと汗が流れてきました。

 午前は、研究発表があって、午後は能の身体表現のワークショップ、同志社大の北側・室町の河村能舞台に向かいました。

 御所の北側、室町は、室町幕府の将軍邸があった処のようです。烏丸通を隔てて足利3代将軍義満が建てた相国寺があります。

 室町幕府の将軍邸跡は、同志社大学のキャンパス・寒梅館です。

 寒梅館の数十メートル北に河村能楽堂があります。

 外見はコンクリート造りですが、中には立派な能舞台があります。

  能楽師観世流シテ方の河村晴久さんから、能の歴史から始まって、実演も含めた丁寧な話がありました。

 その後、実際に参加者が能舞台に上がってワークショップです。

 所作、型のレクチャーの後に、参加者の実演です。

 その後、シテの指導等があり、最後の質問の時間で、回答する中で、実際に舞台に上がって実演しながら丁寧な説明が続きました。

 帰り際、玄関の脇に「初心忘れるべからず」と刻まれた石碑がありました。風姿花伝に書かれている世阿弥の言葉です。

 帰りは地下鉄で京都駅、JR新快速で三宮まで、そして普通に乗り換えて・・・行きは、JR・阪神・京阪で3時間以上掛かりましたが、帰りはJRだけで2時間足らずでした。

 梅田ー淀屋橋、出町柳ー北大路、そして北大路ー室町と歩いたので、今日の活動計の記録を確認すると、

歩数  18461歩
距離  13.7km

早歩き     12794歩
活動カロリー  884kcal
総消費カロリー 2334kcal
燃焼脂肪量    46.8g

夕張

今朝、ラジオを聴いていると「今日は何の日」のコーナで、平成2年(1990年)3月27日に三菱南大夕張炭鉱が閉山して、最後の夕張炭鉱が閉山した日になるそうです。

 今、朝ドラの「あさが来た」で、主人公の白岡あさが、九州・筑前の炭鉱を経営して両替屋・加野屋を持ち応えたり、大阪恐慌の折には、大きく育った炭鉱経営を売り払って加野銀行の経営危機を脱したり、炭鉱が大きく大きくかかわっています。

 北海道の炭鉱は、函館開港に際して、船舶への燃料供給のために1857(安政4)年に釧路の白糠炭山を開発したのが最初のようです。その後明治政府はお雇い外国人の地質学者ライマンの調査によって、北海道には豊富に石炭が埋蔵されていることが明らかになったようです。

 近代炭鉱のスタートは、1879(明治12)年開鉱の官営幌内炭鉱で、石炭運搬のための幌内鉄道が新橋ー横浜、梅田ー神戸に続いて、全国3番目の鉄道として1882(明治15)年に開通したそうです。

 夕張炭鉱は、地質学者ライマンが1874年(明治7年)に夕張川上流に石炭層があることを調査して、1890(明治23)年から開発が始まったようです。

 夕張を訪れたことはありませんが、夕張が舞台となった映画は幾つも見たように思います。特に山田洋次監督の映画では、「同胞」、「幸福の黄色いハンカチ」・・・

 今は移転していますが、昔の夕張駅があった辺り、夕張市福住周辺で、石炭の運び出しのための線路がたくさん並んでいます。そして炭住がたくさん並んでいます。

 国土交通省のサイトに空中写真閲覧サービスがあり、解像度の低い写真は一般に公開されています。

 昭和22年の夕張・福住周辺です。石炭の運び出しのための線路を挟んで炭住が並んでいるのがわかります。

 昭和44年の同じ場所です。この後、相次いで閉山が続くので、もっとも夕張が栄えていた時なのかもしれません。映画「同胞」が、昭和50年ですので、この航空写真の景色の街が、「同胞」の舞台とも言えます。

 昭和61年の同じ場所です。線路の北側の炭住がなくなっています。昭和50年前後に相次いで廃坑となって昭和60年には夕張駅も移転(写真左下)して、石炭の運び出しのための線路がなくなっています。そして緑化が進んでいるようです。映画「幸福の黄色いハンカチ」はこの9年前・昭和52年に公開です。

 そして今から10年前の平成16年の同じ場所です。線路が並んでいた場所は「石炭の歴史村」となっています。炭住が、まったくなくなっています。

 石炭や鰊(にしん)で賑わっていた処が、今は、その面影もなく自然に帰っている場所が北海道には多いようです。

奥須磨公園

 多井畑の厄神さん(多井畑厄除八幡宮)は、平安時代の初期・文徳天皇のときに、五畿内の西の端に位置した須磨に蟄居を余儀なくされた在原行平や、一の谷の合戦の際には源義経が祈願したといわれており、日本最古の厄除けの霊地とも言われている八幡宮です。

 五畿内・摂津国の西の端「須磨」と、西国・播磨国の東の端「塩屋」の間にある国境の山・鉢伏山の北に位置して、古代には須磨・塩屋間の海岸に鉢伏山の稜線がそのまま海岸線まで連なって、山陽道の此の部分は、北陸の「親不知」のような屏風岩が連なる難所だったようです。鉢伏山の北側を廻って須磨から塩屋に至るルートがあったようで、鉢伏山、旗振山、高倉山を迂回して、多井畑辺りから下畑を通って塩屋へ至っていたようです。

 須磨・塩屋間の海岸沿いの山陽道のルートが整備されると、多井畑辺りは脇街道のようになったようです。

多井畑の厄神さんの東側一帯に奥須磨公園が広がっています。あまりメジャーな場所ではなくて、いつ来ても静かな雰囲気に包まれた空間です。神戸にも桜前線が訪れたとのことで、久し振りに奥須磨公園へ向かいました。

 園内の桜・・・咲き始めていました。  

 園内の池、鏡面のように、背後の杜を映していました。

 園内で、結構好きなアングルです。夏場は緑が生い茂っていますが、早春の子に時期は見通しが良いです。

 小さな流れ沿いの並木・・・

木々が芽吹いて、それが陽の光を受けて、萌え出る季節

 小さな流れに架けられた石橋

 これからの時節、一斉に芽吹いて、日毎に緑で覆われてくる予感を感じます。

 園内を散策していると、彼方此方の木々が芽吹いています。この数日は、朝は結構冷え込んでいますが、確実に春が訪れているようです。

スナップ写真

スナップ写真・・・写真が発明された当時は、撮影は大仕掛けで露出時間も長く、日常的な光景をさりげなく撮影するようなものではなかったようです。記念写真や、写真スタジオの撮影と違って、良いなあ~と思って目にした光景にレンズを向けてシャッターを押すのがスナップ写真です。

 昨日、久し振りに持ち出したニコン1のカメラで今朝の通勤時にスナップ写真を撮りました。レンズは昨日と同じく換算28mmの単焦点レンズをつけました。

 職場の最寄り駅の二駅手前の元町駅で降りて、大丸と元町商店街の間の、鯉川筋のスクランブル交差点。 いつも、つい撮ってしまいます。

 旧西国街道を東に向かって「三宮神社前」の交差点です。実は、三宮神社の前ではなくて裏手になります。ちょっと交差点の名前に違和感があります。

 先日、港町神戸の良さを紹介するテレビ番組の中で取り上げていた洋菓子の「ボックサン」、三代目パティシエの福原啓祐さんは神戸マイスターで、人気のケーキ屋さん

 旧・西国街道から細い路地に入ると、雑貨屋さんのようなオシャレな店

 三宮センター街のジュンク堂、元々は、此処の地下ワンフロワーで、開店当時は大きな本屋さんだと思っていましたが、大阪堂島に巨大な書店が出来て、今は神戸を離れて本店は東京のようで、地元の本屋さんというイメージではなくなってしまいました。

 三宮駅前の交差点「三宮」

三宮駅東口は、バスターミナルが2つあり、朝は夜行バスの到着があり、遠方のバス会社のバスを見掛けます。

 西国街道沿いの炉端焼きの店は、壁一面に宣伝の文句が書かれています。

 新生田川の東の川沿いに大安亭というアーケード商店があります。関西の市場です。商品の搬入でにぎわっていました。

 阪急春日野道駅近くの工務店の店先に木っ端が置かれています。お持ち帰り自由・・・

 写真を撮りながら2駅分を50分かけて歩くと、汗ばんでしまいました。

弥生3月

 今日は、土曜出勤の振り替えのお休みです。

 手元にはレンズを交換できる大型の一眼レフタイプのデジカメと、小さなコンパクトタイプのデジカメがあり、使い分けています。そしてミラーレスのニコンの、ちょっとマニアックなカメラがあります。Nikon1というフォーマットで、もう退職された職場の先輩が買って、それを見て憧れて衝動買いしてしまいました。

 今日はズームレンズではなくて、焦点距離が換算28mmの単焦点レンズだけで撮影しました。

 神戸から北上して、三木、小野、社、滝野、そして西脇と、加古川沿いに北播磨を車で走りました。

 弥生・播磨路のページを新しく作成しました。
http://itsumi.citykobe.jp/201603yayoi/