播磨

 播磨路を巡りました。

 三木市の美嚢川沿い、加古川との合流点の手前付近で、かつて三木鉄道が走っていた一帯です。畦道にレンゲ草が咲いていたので、車を停めて・・・

 この時期、レンゲ草の可憐な淡い紫の花がきれいに感じます。

 もうしばらくすると、田植えが始まるのかなあ~と。

シロツメクサ・・・緩衝材として荷物に詰められていたそうで、元々はオランダからやってきようです。

 三木から小野、西脇を経て、多可町、杉原川沿いを国道427号線を走っていると一面のレンゲ畑、車を停めて・・・背後の山は妙見山のようです。

 淡い紫の花が、朝日に透けて、美しい光景でした。

 帰路、市原で県道144号線に入って、加古川線(鍛冶屋線)の市原駅跡の保存列車です。


 
市原辺りの杉原川を川下方向に・・・この山の東側に加古川が流れて、西脇の野村辺りで合流します。

 川面が、春の陽光でキラキラと輝いていました。

 神戸ワイナリーに立ち寄りました。

 静かに写真を撮ろうとしたのですが、催し物で賑やかでした。中央広場は、出店やテントで埋め尽くされていました。

EIN OPEN DEPARTMENT 、週末デパート感覚の青空マーケットだそうです。
 

神戸ワイナリーのお気に入りの木、しばし見惚れていました。 

須磨

三宮で降りて、一駅分歩くつもりが、空模様が悪いので、そのまま職場の最寄り駅・灘駅まで行くことにしたので、時間的な余裕があるので、須磨駅で途中下車しました。

 須磨駅は、須磨海岸に隣接して、線路の向こうはすぐに砂浜です。

 駅の南口を出ると・・・もう砂浜です。しばらくすると、此処に海の家が立ち並びます。

 須磨の西には、国境の山・鉢伏山の稜線が海岸線まで続いて、中世までは難所で、街道は、鉢伏山の北側を廻っていたようです。この山の手前(東)が五畿内・摂津国・八部郡(やたべぐん)須磨郷で、山の向こう側が西国・播磨国・明石郡垂水郷です。五畿内の「すみ(隅)」が転じて須磨という地名になったという説があります。

 仕事前に波音を聴いて・・・そして再び電車に乗りました。

 灘駅の北側です。

朝の光景

 朝、職場の最寄り駅から一駅前の三宮駅で降りて、30分程の歩いています。

 三宮駅から新生田川を渡って、しばらく歩くと南北に続く大安亭市場のアーケード商店街を横切ります。八雲・・・豆腐や揚げ、豆乳のメーカがあり、早朝からオカラが容器いっぱいに・・・

 更に東に歩くと、阪急と阪神のそれぞれの春日野道駅を南北にアーケードでつなぐ春日野商店街を横切ります。しばらく行くと小さな公園、朝日に長い影を落としているブランコが・・・

 公園の躑躅は朝の陽光に輝いて眩しかったです。

 工務店の店先に「どうぞご自由にお持ち帰りください」と木っ端が置かれています。

 約30分歩いて職場に入って、ロッカールームで着替えると、少し汗ばんでいました。

可楽

三笑亭 可楽(からく)・・・噺家の名跡です。現在の可楽は、寄席通いしていた頃に何度か高座を愉しんだ浮世亭写楽が9代目可楽を継いでいますが、手許にあるCDは、先代・8代目可楽です。8代目の桂文楽や、古今亭志ん生、三遊亭円生よりも前に亡くなっており録音された高座しかしりません。

 文楽、志ん生、円生、三木助等の「昭和の名人」に比べると華やかさはなく、どちらかと言えば地味な噺家ですが、でも妙に舌足らずで、渋い低音の口跡は独特で、思わず聴き入ってしまいます。

 とりわけ『反魂香』が好きで、可楽の『岸柳島』もお気に入りです。他の噺家よりも短く切り上げる『芝浜』や『子別れ』も可楽独特の語り口調に魅せられます。

 普段は、あまり聴かないのですが、急に可楽の世界に入りたくなって・・・可楽の噺に聴き入ってしまいました。

ドレス・アップ

 現在、手元にあるカメラは、(1)レンズ交換が出来る一眼レフ ,  (2) 小型のコンパクトタイプのデジカメ ,  (3) ミラーレス一眼 これ以外に古いデジカメが処分せず本棚に飾っています。

 ミラーレス一眼・ニコンのV1は、一眼レフやコンパクトタイプのデジカメよりも使用頻度はかなり低かったのですが、最近はスナップ写真の撮影に持ち出すことが多くなっていました。

 ここしばらくデジカメを買い替えていないのですが、現用のデジカメで満足している部分もあり、特に買い替える予定もありません。ただミラーレスのニコンのV1はホットシュー(外付けフラッシュの取り付け口)のカバーを落としてしまって、外観の締まりがなくなっていました。

 ニコンのV1のホットシューは専用品で、汎用のホットシューの変換アダプターがあり、これを取り付けると結構カッコいいので、ホットシューカバーの替わりに付けている人が少なくないようです。購入しました。

 更にレンズフードも買いました。ゴム製のレンズフードが便利ですが、見た目を重視して、メタル製の広角フードを買いました。

 ホットシュー変換アダプターと、メタル製広角フードが届いたので、早速ドレスアップしました。

葺合

神戸の行政区の名前として、且て「生田区」と「葺合区」がありました。現在は両区が統合して「中央区」となっています。現在の中央区の中で、旧生田川(県道30号線・現在のフラワーロード)より東側の部分が相当します。

 元々は葺屋荘と呼ばれていた地域で、熊内村、生田村、中尾村、滝寺新田村、中村、脇浜村、そして小野新田村が合わさって、葺合村となったのが葺合の始まりです。また上筒井村、下筒井村、西筒井村が合併して筒井村となり、神戸市が市制を実施した明治22年に神戸のもっとも東の部分として葺合村と筒井村が「葺合区」となった経緯があります。

 朝、一つ手前の三宮駅で降りて徒歩で職場に向かう時に、ちょうど旧・葺合村を横断することになります。

 この部分は、もともとの海岸線や旧西国街道に並行した道と、梅田ー神戸間に開通した鉄道沿いの道とが斜交するような部分が幾つかあります。その結果、写真のような微妙な三叉路が生まれています。左側がJRと並行する道路で、右側が旧・西国街道と並行する道路です。

 JR高架沿いの南側の道を通って職場に向かいました。

 しばらく歩いて、新生田川を渡った東詰めに、また三叉路・・・左側がJRと並行する道路で、右側が旧・西国街道と並行する道路です。

 こんどは旧・西国街道と並行する道路を入って・・・大安亭商店街の近くにある喫茶店、早朝からオープンしています。高齢の方々が朝から利用されておられるようです。

 約30分歩いて、三宮駅から職場に到着しました。

 美味しいと評判のヨーグルト、舌触りが良くて、美味しかったです。

龍潭譚

 鮮やかな躑躅の花が春先の陽光に映える季節となりました。躑躅が美しい時期になると泉鏡花の龍潭譚(りゅうたんだん)の冒頭に描かれた光景が思い出されます。

 行く方も躑躅なり。こし方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる。あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる一株の躑躅のなかより、羽音たかく、虫のつと立ちて頬を掠すめしが・・・

    泉鏡花「龍潭譚」冒頭より抜粋

 神隠し小説と言われる作品で、躑躅が咲き乱れる丘の上から「九ッ谺」という山奥の谷に迷い込む話です。

 鏡花が生まれた金沢の町は浅野川と犀川に挟まれて、鏡花は浅野川の近くで生まれたそうです。浅野川沿いに、鏡花の「義血侠血」に登場する滝の白糸の像があります。

 異界へ迷い込む怪奇的な「龍潭譚」の世界は、鏡花の生まれ育った金沢・浅野川が育んだものかもしれません。

        

ラジオ

 社会人となって、会社に就職してから買ったラジオ、千葉・柏の第一家電で9000円ほどだったと思います。給料を貰い始めた頃で、数十円単位で値切って買った記憶があります。

 会社の寮から職場まで徒歩で30分ほどでしたが、朝はこのラジオを聴きながら職場に向かっていました。その後、寮を出て、更に何度か転職をしましたが、結構持ち歩いて愛用していました。

 神戸に戻って次の年に阪神淡路大震災、このラジオが情報源でした。避難所となった当時の本務校でしばらく寝泊まりしていましたが、夜寝る時にもイヤホンでラジオをつけっぱなしでした。その後、しばらくその習慣が続いていたように思います。

 遠出や旅行等に出掛ける時には必ず携帯していましたが、数年前から持ち歩かなくなり、いつしか何処かに紛れてしまいました。3月末に片づけをしていると引き出しの奥から出てきました。

 九州の地震の報に接して、鞄に入れるようになりました。もうだいぶカバーが擦り切れて汚れも目立ちます。

 災害時、もっとも頼りになるのはラジオだというは、阪神淡路大震災の時に身に沁みていましたが、いつしか忘れてしまって・・・電池の持ち、放送局の信頼性を考えるとスマートホンや携帯電話は充電地の持ちがイマイチですし、中継局も災害時には限界があり、輻輳の問題もあります。

 もっともシンプルなラジオが、通信路や情報の信頼性を考えると、災害時にはもっとも頼り甲斐があるかもしれません。