黄砂

今年の五月の連休は、

・金土日の3連休
・月曜 通常
・火水木の3連休
・金曜 通常
・土日の週末(2連休)

 その連休の最終日、朝から自転車に乗って海岸線沿いに西へ・・・

 朝のニュースで黄砂の話をしていましたが、明石の市街地を流れる明石川の河口から明石海峡越しに眺めた淡路の島影は、黄色く霞んでいました。

 明石川を渡って西へ・・・明石川の右岸には林崎漁港が広がっています。戦国時代、キリシタン大名の高山右近が明石の領主だった頃には、この林崎の港に、堺への南蛮船が寄稿した国際港だったことがあります。

 地産の明石だこ用の蛸壺が港に積まれていました。

 江井ヶ島を超えて、魚住の住吉神社です。ここの境内には能舞台があります。

住吉神社には、御神木「祓除の藤(はらいのふじ)」の立派な藤棚がありますが、満開が4月29日だったようで、その名残を愛でました。

 住吉神社の南の住吉公園の中に、万葉歌碑があるのを初めて知りました。

 神亀三年(727年)に聖武天皇行幸の折、笠朝臣金村がこの地で詠んだ歌

往きめぐり 見とも飽かめや 

名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波

意味は「往き帰りにいくら見ても見飽きることがない、 魚住の船着き場の浜にしきりに打ち寄せる白波は」  (住吉神社の公式サイトの現代訳)

 住吉神社の西には「来楽」の茨木酒造の酒蔵があります。

 魚住の辺りは、平安時代の末期から室町時代にかけて、須恵器の「こね鉢」、「碗」、そして「瓦」などを盛んに生産していたようです。魚住の窯で焼いた「瓦」は平安宮や尊勝寺(そんしょうじ)などの寺院で使われていたようで、また調理用具の「こね鉢」は、京都を中心に東は関東から西は九州までと広く流通していたそうです。

 明石瓦は、明石城主だった松平直明が勧業政策のひとつとして明石瓦の製造を奨励してようで、盛んに瓦を製造していたようです。大正時代に入ると食塩を用いて赤く焼いた「赤瓦」が愛用されるようになり、粘土の成分の関係から、三河・三州と明石で主として製造されたようです。

 昭和40年代に入って稲作被害が表面し、瓦を赤く染めるため燃料の石炭に岩塩を混ぜる塩焼き瓦の工場から排出される塩化水素が原因とされた為に、瓦業者は公害防止への投資を求められた結果、対応できない業者が撤退して、75社ほどあった業者がわずか5年で半分になり、現在は1社だけです。

 魚住の県道554号姫路明石自転車道線沿いに、瓦の壁があります。

 魚住の砂浜に、ハマヒルガオが砂浜一帯に咲き乱れていました。

 林崎海水浴場の辺りの自転車道です。

 帰路、明石市市役所近くの公園で・・・

今朝は、7時に家を出て、10時半頃に帰宅、約3時間半のサイクリングで往復37キロです。

 最大強度運動 3分
無酸素運動  41分
有酸素運動  31分
脂肪燃焼運動 79分

歩数換算で14198歩、エクササイズ時間が2時間46分で、1573Kcalのカロリー消費でした。