潮風を浴びて~播磨灘

「東京行き」の疲れで昨夜は早目に就寝しました。活動量計のデータを確認すると、9時過ぎに寝たことになります。未明の2時過ぎまで眠りが徐々に深くなって、2時過ぎから「深い眠り」となっています。

 昨年の「東京行き」から戻った日の睡眠データと比較すると、睡眠の傾向が異なります。1時間あまりの「浅い眠り」の後、5時間以上の「深い眠り」が続いていました。

昨年の「東京行き」の帰路は疲れ切って、自宅に戻るとヘトヘトになった記憶があります。大きな原因として「靴」が考えられます。昨年は中途半端な運動靴を履いて東京の町中を歩き回ったので、途中で足の裏が痛くなって、徒歩困難に陥ってしまった反省から、今年はフィットした運動靴を履いたので、歩き回っても疲労感はあっても足の痛みはなく、肉体的・精神的な負荷が低減されたことが考えられます。

 腕時計の代わりに、Epsonの活動量を腕に付けて、心拍数や歩数等を計測しました。

 Omronの活動量もポケットに入れて計測、

東京の街を4日間で12万歩、92.3km歩いて、約300gの脂肪を燃焼したことになります。4日間でペットボトルの麦茶を11リットル飲み干したことになります。

 昨夜、早く就寝して、疲労感も昨年ほど大きくなかったので、今朝もサイクリング、朝5時半に自宅を出発、

 舞子海岸、大蔵海岸、明石川を渡って、林崎漁港です。播磨灘の潮風の香りを久し振りに胸いっぱいに吸って・・・

林崎海岸からは、砂浜沿いに整備されたサイクリングロードが続き走りやすいです。

 自宅からちょうど15キロの距離を約1時間で走ると江井ケ島海岸となります。ちょうどラジオ体操の時間帯で、砂浜で体操風景・・・

 携帯した麦茶1リットルは、帰路の大蔵海岸での休憩で飲み干しました。ラ・ムーで買い物をして、舞子公園・・・朝日が逆光のように松林を輝かせていました。

 途中で30分あまり計測出来ていませんでしたが、今朝の活動量は、

・最大強度運動 5分
・無酸素運動 28分 (43分)
・有酸素運動 26分 (41分)
・脂肪燃焼運動 36分

 カッコ内は、計測出来ていなかった部分を、無酸素運動と有酸素運動にそれぞれ案分した値です。

写真の整理をする前に、今回訪れた処の覚書・・・

7月27日
新大阪ー(のぞみ210号7:20分発)11号車11号E席ー東京
[東京]-[上野]ー上野公園ー西洋美術館ー芸大キャンパスー言問通りー弥生坂ー弥生式土器発掘の碑ー弥生キャンパス・野球場ー本郷キャンパス・三四郎池ー総合研究博物館ーかねやす前ー医科歯科大前ー御茶ノ水橋ー丸善前ー明大通りー駿台下ー神保町古本屋街ー白山通りー神田一橋中学ー山の上ホテルー明大キャンパスー淡路坂ー昌平橋ー秋葉原電器街ー秋月電子通商ーラジオデパートーラジオセンター(高架下)-[秋葉原]ー山手線(内回り)ー[池袋]ーホテル

7月28日
[池袋]ー[巣鴨]ーとげぬき地蔵ー[巣鴨]ー山手線(内回り)ー[有楽町]ー帝劇ー日比谷公園ー桜田門ー(正門石橋)ー警視庁前ー国会正門前ー衆参議員会館前ー国立国会図書館前ー憲政記念館前ー最高裁判所前ー国立演芸場前ー青山通りー赤坂見附ー豊川稲荷別院ー(赤坂御用地南)-明治神宮外苑銀杏並木ー軟式野球場ー[信濃町]ー中央線ー[水道橋]ー小石川後楽園ー千川通りー善光寺坂ー伝通院ー吹上坂ー小石川植物園ー御殿坂ー逸見坂ー(白山)ー弥生キャンパスー鉄門ー不忍池ー上野公園ーアメ横ー[御徒町]ー山手線(内回り)-[新大久保]ーイスラム横丁ーコリアンタウンー大久保通りー明治通りー早稲田通りー早大キャンパスー[都電早稲田]ー荒川線ー[東池袋四丁目]ーホテル

7月29日
[池袋]ー山手線ー[新宿]ー京王線ー[下高井戸]ー世田谷線ー[三軒茶屋]ー田園都市線ー[渋谷]ー井の頭線ー[井の頭公園]ー井の頭恩寵公園ーお茶の水ー[井の頭公園]ー井の頭線ー[久我山]ー岩通通りー岩通ー[久我山]ー[吉祥寺]ー中央線ー[新宿]ー山手線ー[池袋]ーホテル

7月30日
[池袋]ー山手線(外回り)-[上野]ー常磐線ー[北千住]ー東武線ー[東向島]ー玉の井ー鳩の街ー[曳舟]ー東武線ー[北千住]ーつくばエクスプレスー[南千住]ー首切地蔵ー泪橋ー山谷ー玉姫公園ー吉原見返り柳ーお歯黒溝ー吉原弁天ー吉原神社ー仲ノ町ー[三ノ輪橋]ー荒川線ー[王子]ー京浜東北線ー[東京]
東京ー(のぞみ285号13:20発)11号車10号E席ー新大阪

Dark Tourism

 どちらかと言えばマイナスのイメージが付き纏う東京の街を訪れました。

 東武線の東向島駅は、埼玉に住んでいた頃はまだ玉ノ井駅でした。永井荷風の愛した街で、小説『濹東綺譚』で描かれている街・玉の井は、漫画家・滝田ゆうの出身地であり、大正期には間口の狭い木造2階の銘酒屋(めいしや)が並んでいたそうです。戦災で一面焼け野原になって、戦後は焼け残った場所に移転して・・・

 路地裏を歩き回って、戦後の「玉の井」の名残を探し求めましたが、築数年~十年ぐらいの真新しい家が立ち並んで、戦後の面影は消滅しつつありました。ただ密集した街の中には、入り組んだ路地裏の道が無数にあり、街の骨格は、ほぼ昔のまま残っているようでした。

 「鳩の街」・・・東京大空襲で「玉の井」を焼け出された銘酒屋が、この地に移転したのが「鳩の街」の始まりのようです。吉行淳之介の小説・『原色の街』の舞台となったり、永井荷風の戯曲『渡り鳥いつかへる』『春情鳩の街』は、映画・『春情鳩の街』ともなったようです。

 常磐線の南千住・・・3年間通勤で、この駅を通過していましたが、この駅に降り立つのは初めてです。日光街道の宿場町である千住宿が近くにあり、江戸の町の入り口・マージナリーな空間で、江戸期から明治初期に「小塚原の刑場」があった場所です。刑場の名残として、1741年(寛保元年)に建てられた高さ3mほどの首切地蔵が残っています。蘭学者杉田玄白が、日本で初めて「腑分け(解剖)」をした場所でもあります。

「小塚原の刑場」の近くに「泪橋」の交差点があります。思川(おもいがわ)にかかっていた橋だったのですが、今は暗渠となっています。小塚原の刑場で処刑される罪人にとって、この世との最後の別れの場であり、身内の者にとっては今生の悲しい別れの場・・・この橋の上で泪を流したことから、この名が付けられたそうです。

 泪橋の南には「山谷」の街が広がっています。日光街道の江戸の町の入り口で、木賃宿があった場所でもあり、江戸期には隣接する吉原遊郭の客を送迎する車夫が住んでいた貧民窟だったようです。戦後は被災者のための仮の宿泊施設(テント村)が用意され、これが簡易宿泊施設となって、日本有数の寄せ場・ドヤ街だった処です。今も簡易宿泊所が点在しており、日本に旅行にやって来る外国人達(バックパッカー)による格安のホテルとして利用され脚光を浴びています。

 年末には炊き出しが行われる玉姫公園には、ブルーシートのテントが並んでいました・

 月極のコインロッカーが街中にあるのも山谷の風景です。

 落語の舞台として登場する吉原・・・明暦の大火の後に浅草寺裏の日本堤に移転した遊郭だった処です。遊郭の入り口には「見返り柳」があります。桂文楽の十八番・「明烏(あけがらす)」にも登場します。

 吉原遊郭の大通り「仲之町通り」は柳の並木があります。往時には花魁道中が繰り広げられた処

吉原遊郭の周囲にはお歯黒溝(おはぐろどぶ)と呼ばれる堀が巡らされ、出入口は見返り柳のある山谷堀沿い日本堤側のみであり、外界から完全に隔絶された場所です。この道がお歯黒溝跡のようです。

 吉原から都電荒川線の終点・三ノ輪橋まで歩きました。しばし荒川線が走る東京の下町風景を楽しみました。

 午後の新幹線で神戸に戻りました。

今日の活動量は、

・無酸素運動 1分
・有酸素運動 7分
・脂肪燃焼運動 3時間53分
・歩数 27024歩
・消費カロリー 2909kcal

井の頭

 三軒茶屋と下高井戸を結ぶ世田谷線は、「鉄道」ではなくて「軌道」・・・いわゆる路面電車です。今まで乗ったことがなかったのですが、今朝は大回りして「乗り鉄」をしました。

 その後、渋谷から井の頭線で、井の頭公園を散策しました。井の頭・・・江戸時代につくられた神田上水の水源池です。

井の頭池の水は、神田川の最上流に架かる「水門橋」から最下流に架かる「柳橋」を経て隅田川に流れます。

 井の頭池のもっとも奥には「御茶ノ水」という湧き水があります。徳川家康が愛した湧き水で、神田上水の水源です。

井の頭公園の散策後、井の頭線久我山駅で降りて、岩通通りを経て岩通へ。今日は朝から夕方まで、岩通のデジタルオシロスコープの講習を受けました。

 帰路は吉祥寺経由、井の頭線の吉祥寺駅は、渋谷駅と共に頭端式ホームとなっています

 池袋駅に到着した頃には、夕方の通勤時間帯となってしまいました。3年余り池袋に通勤していましたが、その当時の記憶がよみがえってきました。

今日は朝から夕方まで岩通で講習を受けていたので、普段の平日なみです。

・脂肪燃焼運動 1時間43分
・消費カロリー 1862kcal
・歩数 14344歩

東京散策

今日は・・・

・有楽町から信濃町
・水道橋から御徒町
・新大久保から都電早稲田

活動量計では、51292歩37.9km・・・東京の街を散策いしました。

 山手線の有楽町駅から日比谷公園を散策して桜田門、永田町の国会議事堂、首相官邸前を通って国会図書館、そして三宅坂の最高裁判所、国立演芸場を経て、青山通りを只管西に向かって神宮外苑の銀杏並木を通って中央線の信濃町駅まで。

 中央線の水道橋駅から小石川後楽園、千川通りから善光寺坂を経て伝通院、そして吹上坂を経て小石川植物園。広い植物園をざっと見ただけで1時間以上掛かりました。この中には庶民のための小石川療養所の井戸が残っていました。 

 植物園脇の御殿坂を上って、そして逸見坂を下って白山通りへ

 弥生キャンパスで食事を摂って、不忍池、上野・寛永寺から上野公園、そしてアメ横を通って御徒町駅へ。

 *

 次に山手線新大久保駅で降りて、新大久保のコリアンタウンを散策して・・・

 

 その後、明治通りから早稲田通りを経て早稲田大学、都電荒川線に乗って、ホテルの最寄りの東池袋で降りて・・・

今日の活動量は、

・無酸素運動 2分
・有酸素運動 7分
・脂肪燃焼運動 8時間59分
・歩数 47841歩
・消費カロリー 3329kcal

オムロンの活動量計では、

・歩数 51292歩、37,9km
・階段 430歩、 早歩き 29589歩
・活動カロリー 1887kcal
・消費カロリー 3330kcal
・燃焼脂肪量 115.8g

梅雨明けで、午後から気温が上がって暑くなって、疲れました。

文京区と千代田区

 今朝、新大阪7時20分の「のぞみ」で東京へ。

Twitterで、その都度、実況をアップする予定です。
https://twitter.com/City_KOBE_
・・・今朝からの今日の分は、上記Twitterでアップ済です。

上野駅から上野公園の神戸に所縁のある松方コレクションを所蔵している国立西洋美術館・・・世界文化遺産に登録されたばかりで行列が長かったので入場は諦めました。

 東京芸大のキャンパスを散策して、そのまま根津から「本郷台地」・・・坂道を上ります。縄文海進の頃は「本郷台地」が岬のように突き出していたようです。本郷台地に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑があります。この辺りは本郷弥生町で、弥生町で発掘されたので「弥生時代」という名前がついたようです。

 本郷弥生町には東京大学の農学部のキャンパス、弥生キャンパスがあります。もともとは第一高等学校が此処にあり、漱石は此処で教鞭をとっていました。小説「三四郎」の舞台でもあります。その後、駒場にあった農学部と一高のキャンパスが、入れ替わったようです。

 本郷キャンパスの三四郎池、漱石の小説「三四郎」では、主人公の三四郎が、美禰子と出逢う場所です。本郷キャンパスは、高校生で溢れていました。食堂もいっぱいで諦めました。

 ずっと休館していた総合研究博物館がオープンしたので立ち寄りました。その後、御茶ノ水を経て、神保町の古本屋街、更に、通信制の中学校「千代田区立神田一橋中学校」まで足を延ばしました。

 明大通りを上って御茶ノ水経由で秋葉原の電気街へ。学生時代、その後千葉と東京で働いていた頃も、よく訪れた場所です。そして秋葉原から池袋のホテルに向かいました。

今日の活動量は、

・無酸素運動 1分
・有酸素運動 5分
・脂肪燃焼運動 4時間40分
・消費カロリー 2662kcal
・脂肪燃焼量 68.6g
・歩数 28133歩
・歩行距離 22.3km
・階段 520歩、 早歩き 14271歩

庭訓往来

現在の教科用図書(教科書)は、学校教育法に基づいて、初等中等教育の授業の教材として用いられて、文部科学省の「教科用図書検定基準」に合致した教科用図書を使用しなければならず、教科書の改訂と検定の関係で、また学校によって年度によって教科書が変更になることもあって、リサイクルすることができません。両親や兄弟の教科書を使うことができず、児童・生徒は、毎年新学期になると真新しい教科書のページを開くことになります。

 江戸時代の町奉行所には、教育を担当する与力・同心がいたわけではなく、現在の文部科学省や教育委員会の相当する組織はありませんでした。当然、教育に関する法度や掟があったわけではなくて、完全に自由だったようです。かといって教育水準が低かったわけではなくて、江戸時代の識字率は世界トップクラスと言われています。

 江戸時代の寺子屋で使われていた教科書とも言える往来物(おうらいもの)の中に庭訓往来(ていきんおうらい)があります。

庭訓往来は・・・教科書改訂があるわけではなくて、南北朝時代から内容は同じです。生活一般に関わるような一般常識が書かれており、1年の各月の往信返信とお盆の1通を加えた25通の手紙のやりとりの形式で、多くの単語と文例が学べるよう工夫され、時代を超えた普遍的な社会常識なので、数百年の間使われ続けたようです。

 教育の基本を考える時に、時代や地域を超えた普遍的なコモンセンス(常識)が底流にしっかりと根付くことが大切ではないかと思うことが多いです。もちろん世の中の変化に対応するダイナミックさも大切です。そして世の中が変わっても・・・変わらぬものの大切さも忘れてはならないように感じます。

子子子子子子子子子子子子

 百人一首に参議篁(たかむら)の歌があります。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟

 遣唐副使に任ぜられた小野篁は2度の出航が失敗して、3回目の渡唐に際して、遣唐大使・藤原常嗣(つねつぐ)の乗船する第一船が損傷したそうです。常嗣は上奏して遣唐副使・篁の第二船を第一船として乗船したそうで、それに反発した篁は乗船を拒否し、そのことを『西道謡』という漢詩をつくり遣唐使事業を風刺したそうです。

 
嵯峨上皇はこの漢詩を読んで篁の官位を剥奪し、隠岐への流罪に処したそうです。その時に詠んだとされるのが、この百人一首の歌だそうです。

宇治拾遺物語には、内裏に「無悪善」と書かれた落書きが見つかり、これを篁が
「悪(さが)なからば善からん」と読んだために、嵯峨天皇は
「篁が書いたから読めた」と怒ったそうです。それに対して篁は
「自分は何でも読める」と弁明した時に嵯峨天皇が差し出したのが

「子子子子子子子子子子子子」

 
篁は「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読んで、嵯峨天皇は篁に対する怒りが鎮まったという逸話がラジオを聴いていると紹介されました。篁が遣唐使に任ぜられたと聞いた白居易は、篁と会うのを楽しみにしていたという話もあり、また、夜ごと井戸を通って地獄に降りて閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという逸話も残っています。
 

阿閇

 今朝は5時過ぎに自宅を出て、自転車で舞子海岸から海岸線沿いを西へ。

 明石川右岸からは播磨サイクリングロード「浜の散歩道」・・・明石の砂浜沿いの県道554号姫路明石自転車道線を只管西へ、最初に林崎漁港を通過します。

林崎海水浴場以西は、歩行者・自転車専用道路で走りやすいです。潮の香りの浜風を浴びながら・・・

 江井ヶ島を抜けて、魚住の中尾にある住吉神社、此処の境内には能舞台があります。此処で休憩と共にセミの啼き声の生録をしました。

 更に西に向かって東二見の漁港を通り抜けて、南二見の人工島へ。此処の北東部は明石海浜公園となっています。公園内のけたたましいセミの啼き声が響く緑のトンネルを抜けて・・・

 人工島を一周したことがないので、南西部まで・・・

人工島を出て、再び播磨サイクリングロードを西へ。播磨町に入ります。旧浜国道・県道718号明石高砂線の南側に、住宅地の中を一本の細い道路が東西に・・・その道沿いの魚屋さんで干しダコを見ました。

更に西に走ると阿閇神社(あえじんじゃ)です、播磨町は、1962年に阿閇村が改称して誕生した自治体で、兵庫県最後の「村」でした。阿閇村が播磨町となったことで、兵庫県内には「村」が消滅したことになります。阿閇村は新聞の父と言われるジョセフ彦の出身地です。

 阿閇神社は、旧阿閇本荘に鎮座します。

阿閇神社の祭神は、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と息長帯姫命(神功皇后)で、、阿閇荘は中世の住吉大社の荘園だったようです。魚住・中尾の住吉神社もその中のひとつだったように思います。

住吉三神と息長帯姫命の4柱の祭神を祀る四社が軒を近接して一直線に並立しています。

元禄2年(1702年)の建立で、本殿はすべて西を向いています。これは住吉大社と同じく西を向いているのが理由と言われています。

更に西に進むと・・・加古川市に至りました。自転車で加古川まで来るのは初めてです。

 朝食前に出発したので、スタミナ不足と水分不足となって、パンと1リットルのペットボトルをコンビニで購入して休憩。

 帰路はゆったりと来た道を戻りました。向かい風で15~16キロぐらいのペース。

 明石の街の中まで辿り着いて、人気の玉子焼き(明石焼き)の店、いつもは行列がすごいですが、さすがに朝は行列はありませんでした。

 朝霧駅の南、狩口台の交差点の明石市と神戸市の市境があります。今朝は、神戸市・明石市・播磨町・加古川市を走り抜けたことになります。

 舞子六神社です。夏祭りの準備をしていました。

子どもたちが描いた紙の灯篭が並べられていました。

今朝の運動量は、

・最大強度運動 17分
・無酸素運動 1時間8分
・有酸素運動 1時間21分
・脂肪燃焼 2時間
・消費カロリー 2354Kcal
・歩数換算 25432歩

走行距離は58キロで、4時間55分でした。