三日月

 数日前まで,朝の出勤時に,東の空の端に,細い下弦の月を目にしながら足早に駅に向かっていました.

 旧暦の大晦日,そして元日が過ぎて,今日は旧暦の1月4日です.仕事帰りに,西の空の端に月齢3日の三日月が見えました.明るい星が三日月の近くにあります.これは火星で,明日には月と火星がもっとも近づくそうです.

 帰宅してベランダから一眼レフカメラのレンズを向けました.

明々後日の旧暦1月7日が節分,そして翌日の旧暦1月8日が立春で上弦の半月です.

朝のバス

 神戸の繁華街・三ノ宮の街は,JR神戸線三ノ宮駅の西口にメインストリートである「フラワーロード」があり,三宮センター街やデパートの「そごう」や「丸井」そして市役所があり,更に西に繁華街が広がって西隣の駅「元町」まで続いています.

 三ノ宮駅の東口は改札口も小さく,中央口や西口に比べると賑やかな感じはしませんが,ポートライナーの駅との接続が良く,そして東口にはバスターミナルが2つあります.朝,三ノ宮東口から一駅分の30分を歩いていますが,早朝の東口は,夜行バスで降り立ったような方々や,ポートライナー経由で神戸空港へ向かう方々が行き交っています.

 東口で,開店6時半の「ドトール・コーヒ」の店の前には,いつも行列があります.キャリーバックやリュックを持った年齢層も性別もさまざまな人が並んでいます.これから飛行機で旅立つ人,或いは夜行バスで神戸に到着した人でしょうか?

 東口のJR高架下にある神姫バスのターミナルです.ここから兵庫県内の各地,或いは淡路島経由で四国,更に広島や東京行のバスが発着します.朝は,淡路の洲本行きや徳島行きのバスが多いようです.

 待合室の隣がバスの車庫です.高架下にバスが並んで次々と発車します.車庫の上の灯りは,JR三ノ宮駅のホームの照明です.

 寒さが緩んで,昨晩は,食後にうっかり転寝をして,念のために「葛根湯」を飲みました.

今朝も寒さが緩んで,30分歩くと,少し汗ばむほどでした.

旧正月

 今日は旧暦の1月1日・・・正月です.

昨年は旧暦の12月26日が立春で「年内立春」でしたが,今年は旧暦の1月8日が立春で「新年立春」となります.穏やかな正月日和でした.

 沖縄のオリオンビールが発売している第3のビールを目にして・・・買いました.

 

細い月

下弦の月が日毎に細くなって,朝,玄関を出て見上げる空の月の位置も東に移って・・・

 今朝は,東の空の端に,細い月が・・・月齢28日で,明日が晦(つごもり)で,大晦日,そして明後日が旧暦の正月となります.

 厳しかった寒さも,少しはやわらぎました.

ヴィオラ・リサイタル

ジョージア出身のヴィオラ奏者,ザザ・ゴグアのヴィオラ・リサイタルの招待を受けて今日は仕事帰りに阪急電車に乗って西宮北口へ.県立芸術文化センターへ向かいました.

 夕方6時過ぎ,ちょうどトワイライトの美しい時間帯でした.
 

県立芸術文化センターのエントランス,広々として趣があります. 

 会場は,神戸女学院小ホールです.開場の6時半になると一斉に入場です.

 ここは,アリーナ形式で,舞台を取り囲むように客席が配置されています.このタイプのホールは関西初だそうです.

 最初はバッハの無伴奏チェロ組曲第5番をヴィオラで演奏です.無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータも好きですが,ゆったりとした無伴奏チェロ組曲は落ち着きます. ヴィオラの演奏・・・うっとりと眠りそうになるほど心地良い演奏でした.ヴィオラの音の響きも良かったです.

 ここからは井上朋子さんのピアノの演奏が入って,シューマンの「アダージョとアレグロ」はピアノとヴィオラのメロディーのやりとりが軽快でした.続いてブラームスの「メロディ」は,優しい調べで,ヴィオラの弦の響きが良かったです.

 ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは,ショスタコーヴィチの死の直前の作品で大作でした.静かに曲が始まって,第2楽章のアレグロは踊りがテーマ,そして第3楽章のアダージョは死がテーマだそうですが,奥深い曲で,私には1回聴いただけでは難解でした.

 最後はジョージアの現代作曲家ツィンツァーゼの3つの作品でした.名前すら知らなかった作曲家でしたが,2曲目の「ホルミ」が軽快でピアノの演奏とヴィオラの響きが印象深かったです.ホルミはアジャリア地方の古代の戦闘舞踏だそうで,剣を持って勇敢に舞うそうです.

 ヴィオラの弦の音とピアノの演奏が響いて,心地良い2時間,あっという間に過ぎ去ってしまいました.

 今日は寒い冬の日,朝,JR神戸線の三ノ宮駅で降りて,一駅分の約30分をいつものように歩いたのですが,寒さで身体が冷えて,手袋をしていても指先が凍えるようでした.

 午後から半日の有給休暇をとって,久し振りに近くの日帰り温泉「太平の湯」へ,1時間ほどゆったりとお湯に浸かって,冷え切った身体を温めました.時折小雪が舞う中,外湯で雪風情を愉しみながら・・・

 温泉に入る前と,1時間温泉に浸かった後では,体重が800g減っていました.これだけ温泉で汗をかいたようです.700ccの麦茶を持参していたので,お風呂上りに水分補給をしました.

 帰路,雪が舞うというよりも,雪が降りしきるように降ってきました.

 近くのショッピングモール,駐車場に停まっている車の屋根に薄っすらと雪が積もっています.

 久し振りに甘納豆を買いました.先代の文楽の十八番「明烏」を聴くと・・・甘納豆が食べたくなります.

 カリフォル産の安いフルボディーの赤ワイン,安い割には美味しくて,最近のお気に入りです.

雪は止みましたが,ベランダには薄っすらと雪が積もっています.

戦前,町内にあった高等女学校

 県商と星陵という隣り合った高校について調べていると・・・今住んでいる町内に,戦前に高等女学校が存在していたことを初めて知りました.

兵庫県立神戸第四高等女学校・・・1942年(昭和17年)に開校して,戦時中に校地を確保するための「開墾」に追われたり,開墾地で農作物をつくったりと,戦時中とは言え,勉学以外にことにかなりの時間を割かれたようです.

 何処に第四高女の校地があったのか・・・ネットで検索してもわかりません.ひょとしたら現在の歌敷山中学校の場所,或いは霞ヶ丘小学校の場所だったかもしれません.もしくは愛徳学園の場所だった可能性もありますが,第四高女の具体的な場所はわからず,現在の歌敷山・霞ヶ丘・五色山の何処か・・・のようです.

 昭和17年の4月に第一回の入学式があり,7月になって机・椅子が搬入されたそうです.8月には六甲山で宿泊訓練,10月には明石球場で体育大会が開かれたようです.

 翌昭和18年には,7月に霞ヶ丘開墾や防空壕掘り,そして9月からは移情閣での授業があったとの記録があり,校地校舎が不十分だったようです.

 昭和19年7月には川重明石工場での動員が始まり,終戦まで続いたようです.昭和20年には川重明石工場が空襲(第四高女の生徒に被害なし),3月には神戸空襲,6月にも神戸の市街地は空襲で,授業が満足にできていなかったようで.7月以降は授業はやめて農作業ばかりだったようです.

 戦後となる11月には校庭で運動会があったようで,翌昭和21年3月には学芸会,そして4月からは東須磨小学校へ移転したそうです.

 その後は昭和22年3月にはじめての卒業式,昭和23年4月には新制・県立第四神戸女子高等学校となって,5月には兵庫県立第二神戸高等学校に移転,その後第四高女と二中を前身とする両校は男女共学の兵庫高校となった経緯があります.

 昭和17年に開校してから,昭和21年4月に須磨に移転するまでの4年間,町内に高等女学校があったようです.

 ※ データは,兵庫高校の同窓会・武陽会のサイトを主に参考にしました.

新制高校

 自宅から徒歩圏内に3つの高校があります.愛徳カルメル修道会のミッションスクールの愛徳学園高校,兵庫県立神戸商業高校,兵庫県立星陵高校です.

 愛徳学園高校は,1948年のスペインから6名のシスターが派遣されて修道院を設立して,その後愛徳学園として幼稚園,小学校,中学校,そして1962年に高校が創立されています.

 兵庫県立神戸商業高校は,ルーツをたどると1878年に開校した「神戸商業講習所」となり,日本最古の商業高校で,兵庫県でもっとも古いルーツを持つ高校かもしれません.設立場所は,北長狭道4丁目40番地で,「兵庫県立神戸商業学校発祥地」の碑があります.現在はスーパープロフェッショナルハイスクール(SPH)に指定されているようです.

 兵庫県立星陵高校は,ルーツをたどると1941年創立の「兵庫県立第四神戸中学校」となります.設立時の場所は,北長狭通四丁目・・・現在は神戸生田中学となっている場所で,「神戸四中発祥の地」の石碑があり,,「兵庫県立神戸商業学校発祥地」の碑とは,「坂の上と下」という位置関係です.

 県商(兵庫県立神戸商業高校)と星陵(兵庫県立星陵高校)とは校地が隣り合っていますが,戦後は「垂水高校」そして「星陵高校商業科・普通科」として同一の学校だった歴史があります.

 戦後,旧制の中学や実業学校は,紆余曲折を経て新制の高校となった経緯があるようで,ちょっと調べてみると・・・

 県商は,兵庫県令(当時の県知事)森岡昌純と慶應義塾の福澤諭吉が神戸に商業の学校を設立することで話し合って,福澤諭吉に学校設立の斡旋を依頼して,1878年(明治11年)に創立,当時は,慶應義塾の教師が派遣されたようです.

 その後,1886年(明治19年)には兵庫県立神戸商業学校と改称しています.

 神戸には官立神戸高等商業学校がありましたが,1929年(昭和4年)に大学令による大学として神戸商業大学に昇格し,学部だけを持つ単科大学となった結果,兵庫県内に官公立の高等商業学校がなくなったそうです.県内の中学校や商業学校からの進学先として,同年に設立された旧制専門学校が,兵庫県立神戸高等商業学校です.
 1928年(昭和3年)に明石郡垂水村が町制施行して明石郡垂水町として発足,初代の若い垂水町長は,新しい高等商業学校の誘致を行い,垂水の星陵台に設置された経緯があります.

 そのような経緯の中で,1932年(昭和7年)に兵庫県立神戸高等商業学校の隣に,兵庫県立第一神戸商業学校に改称して,現在の星陵高校の校地に移転しました.

 1945年1月に海軍経理学校疎開によって校舎接収となって,長田の若松国民学校,西垂水の県立聾唖学校と戦災のたびに移転して,移情閣を間借りした時期もあったそうです.戦後,海軍経理学校が廃校されて星陵台に復帰となりました.

 星陵高校は,戦時体制の中で,北長狭で1941年に兵庫県立第四神戸中学校として開校以降,北長狭国民学校を間借りして,1944年に完成した校舎(現在の垂水中学校の校地)に移転,1945年1月に海軍経理学校疎開によって校舎接収となって,須磨の南須磨国民学校,私立須磨浦国民学校と戦災で転々として戦後は海軍経理学校が廃校となって現在の垂水中学校の校地に戻っていますが,1946年に焼失して,星陵台の県立第一神戸商業学校の校舎を間借りした経緯があります.

 1948年4月に学制が改革されて新制高校が発足しますが,県商は県立第一神戸商業高等学校,そして星陵は県立垂水高等学校として,それぞれ男子校でした.

 GHQの方針で,新制高校では男女共学が推し進めていたので,旧制中学と高等女学校が合併するケースが多く,当時垂水の歌敷山にあった旧制・兵庫県立第四神戸高等女学校が,新制・県立第四神戸女子高等学校となって合併先を模索するも,県立垂水高等学校も県立第四神戸女子高等学校も戦時体制で開校して歴史も短く,両校とも当時は校舎を持っていなかったこともあって距離的に近い垂水の旧制中学と高等女学校が合併することはありませんでした.

 結局,兵庫県立第四神戸高等女学校は兵庫県立第二神戸中学校と合併して,兵庫県立兵庫高等学校となりました.そして垂水高校は,県立第一神戸商業高等学校と合併することになります.

1948年9月に,商業科の兵庫県立第一神戸商業高等学校が普通科の兵庫県立垂水高等学校を吸収合併して,普通科・商業科を持つ兵庫県立星陵高等学校となりました.

 ただ地元の神戸としては,歴史のある神戸商業学校を単独の高校として復活して欲しいという要望が多く,1962年に兵庫県立神戸商業高等学校が,星陵高校の校地(元々の神戸商業学校の校地)の隣に新設,星陵高校の商業科が募集停止して普通科の高校となって現在に至っています.

 神戸市内の他の新制高校の発足当時の経緯を調べると・・・

県立第一神戸中学校と県立第一神戸女子高等女学校 →
県立神戸高校

県立第二神戸中学校と県立第四神戸女子高等女学校 →
県立兵庫高校

県立第三神戸中学校 → 県立長田高校

県立第四神戸中学校と県立第一神戸商業学校 →
県立垂水高校

県立第二神戸高等女学校と神戸市立第一中学校 →
兵庫県立神戸市立神戸夢野台高校

県立第三神戸高等女学校 → 県立御影高校

県立第二神戸中学校と県立第二神戸高等女学校は近隣の存在しており,両校の合併話もあったそうですが,それぞれ校地を持つ両校が合併すると,片方の校地が新しく学制改革で誕生する新制中学校の校地となってしまうことを嫌って,それぞれ戦災で校地を持たなかった,第四高女と市立一中と合併することになったようです.