プレミアムフライデー

 毎月末金曜日(フライデー)に、普段よりもプレミアムな生活を推奨する個人消費喚起キャンペーンとして,先月の2月24日より実施されたプレミアムフライデーは,午後3時に仕事を終えて,夕方に買い物や旅行などに充てて消費を活性化するものです.

 先月の最初のプレミアムフライデーは堪能できませんでしたが,今日は,先月の分も併せて2回分のプレミアムフライデーを堪能できるように午後2時に職場を出ました.

 昨日,垂水駅の高架下商店街の「プリコ垂水」がリニューアルオープンしました.出勤する早朝の時間帯からリニューアルオープンのセレモニーの準備をしていました.

 昨日は残念ながら立ち寄れませんでしたので,今日プレミアムフライデーは真っ先に向かいました.結構な人混みです.

 リニューアル前は,それほど人通りがなかったように思いますが,各店がオープニングセールをしていて賑わっていました.

 一番奥にレンタルビデオの店があって,リニューアルオープンを機に,再び会員になって週末に観るDVDを借りようと思っていたのですが,リニューアル後はレンタルビデオの店はなくなって,大きな書店になっていました.ほかにも5000円程度で眼鏡をつくった店も撤退していました.

 銀行に立ち寄ってATMでお金をおろして,次に向かったのは「垂水廉売市場」です.ここを通るのは久し振りです.

 麺を売っている店があって,此処の面が美味しくてお気に入りでしたが,久し振りです.ただ今日は買いませんでした.

 「垂水廉売市場」とつながっている大きなアーケード商店街「垂水センター街」です.御影屋,ここの焼き豚は人気があります.

 散髪をしました.中途半端な時間帯でしたが,待ちました.

 垂水センター街には野菜を売る店が増えています.秋から冬にかけて台風や大雨で野菜が高騰していましたが,やっと安くなったようです. 

 最後にリカーショップに立ち寄りました.

 お昼過ぎから雨が降り続いて,近道をして住宅の狭間の私道のような道を通ると,舗装されておらず,ぬかるんでいました.

 玄関脇のスズラン水仙が,雨に濡れて輝いていました.

播磨

播磨・・・五畿内の摂津に隣接する西国の東端の国です.

 江戸時代になって,関ヶ原の戦いで戦功があった池田輝政が,三河吉田の15万石から播磨一国52万石を領する大名となって姫路城に入城しています.輝政が播磨52万石の総力をあげて築城されたのが,現在の国宝・姫路城です.輝政は姫路城の他に三木城・明石城・高砂城・龍野城(鶏籠山城)・平福城・赤穂城を支城として築いています.

 その後,池田氏は鳥取に転封となって,播磨は15万石の姫路,10万石の明石,5万石の龍野,3万5千石の赤穂,2万5千石の平福,3万8千石の山崎,1万石の新宮,1万石の林田という中小藩に分割されたそうです.

 明治に入って廃藩置県の時に播磨は,姫路県(15万石),明石県(8万石),赤穂県(2万石),安志県(1万石),小野県(1万石),龍野県(5.1万石),林田県(1万石),三日月県(1.5万石),三草県(1万石),山崎県(1万石)となっていますので,江戸時代に更に分割されたようです.

 現在は播磨と但馬と淡路,それに摂津の一部と丹波の一部で兵庫県となって,播磨国は兵庫県の一部です.播磨は広いので,東播・西播・北播と3つに分けることが多いです.

 現在住んでいる垂水は,もともとは播磨国明石郡垂水郷になりますので,本来は「東播」なのですが,ただ神戸市内は東播と扱われることなく,「阪神」や「神戸」となります.

 印南(いんなみ),加古(かこ),賀茂(かも)[現在の加東・加西]にかけて,麦畑が広がっています.稲美町から小野市,加東市にかけての麦畑は関西最大の六条大麦の産地です.この時期の麦畑は・・・

 これから育って,「麦秋(ばくしゅう)」と呼ばれる梅雨前には,金色に輝く収穫前の麦畑が美しく映えます.東播から北播の風物詩ではないかと思います.

 加古川の流れは東播から北播,その北は丹波となります.加古川線の終点の谷川駅です.加古川線と福知山線が交差する駅で,ここは無人駅ではないです. 

 加古川線で終点・谷川駅の一駅手前が久下村(くげむら)駅,此処は無人駅で,質素な駅舎です.

 久下村のホームです,昔は向かい側にもホームがあったようですが,今は線路も取り払われています.加古川線も東播から北播を走る線路で,車窓からは,播磨らしい景色を走り抜けます.
 

 たいこ弁当・・・播磨の彼方此方の幹線道路沿いにあった店ですが,2~3か月前に倒産して,もう営業していません.何度か利用したことがありますが,もう5年ぐらいは利用した記憶がありません,リーズナブルな価格でボリューム満点のメニューで,大型のトラックも駐車できるスペースが売りでした.

 おそらく遠からず,この店舗も取り壊されるのかもしれません.記念に写真を撮りました.東播,西播,北播の至る所に店舗があって,播磨のシンボルのような店でしたが・・・消え去ってしまいます.

 

都会と田舎

 都会と田舎と題する地図,元予備校で古文や古典を担当されて日本史にも造詣が深くて,現在は日本語学校で教鞭をとっておられる方の主張です.

 現在の東京を,平成の御代になっても行宮(あんぐう)と記述する処がユニークですが,1000年以上にわたって日本を色々な面でリードした方形の場所です.

 北が今出川通り,南が五条通,西が西大路通,東が河原町通,東西南北とも約2.5キロの範囲になります.

 北西に北野天満宮,南西が西院,北東に下鴨神社,南東に五条の橋・・・義満の花の御所や相国寺を入れず,東西の本願寺も入っていません.

 同じ方形を行宮の東京にあてはめると,例えば...

 北西に神楽坂,南西が赤坂,北東に御徒町,南東に銀座という方形の範囲でしょうか?北は神田川,西は市谷~四谷~赤坂,南は赤坂~虎ノ門~銀座,そして東が銀座~日本橋~神田

 東京の繁華街は銀座よりも新宿や渋谷になるのかもしれませんが都会(city)は何処かと言えば,中枢部となる部分を指し示すのかもしれません.ただ多面的な意味でリードする場所としての都会は,東にシフトした方形の範囲になるように思います.

北西が都庁,南西が渋谷,南東が広尾,北東が市ヶ谷・・・

 永田町や麹町,麻布を東端に,そして西には都庁を入れて,新宿と渋谷の大きな繁華街と広尾から六本木青山辺り・・・今現在の日本をリードしているスクウェアと呼べるのかもしれません.

北区

 神戸市は現在,垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区の9つの区で構成されています。1956年(昭和31年)に政令指定都市となった時点では,垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・生田区・葺合区・灘区・東灘区の8区で,全部の区が海に面していました.その後,兵庫区から北区が分かれ,生田区と葺合区が合併して,そして垂水区から西区が分かれて,現在の9区となって,北区と西区が海に面していません.

 通勤で垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区は通っています.大阪や京都に出掛ける時は東灘区を通ります.またJAの直販の野菜を買いに西区にも時々向かいます.

 北区は・・・普段は通ることも稀です.今朝は西区ではなくて足を延ばして北区で野菜を買うことにしました.

 信号で停まって,ふと車窓からの眺めが気に入って,慌ててカメラを向けました.まだ西区です.伊川沿いの前開辺りです. 

 

 漠然と北区に向かいましたが,普段行き慣れないので何処に向かえば良いか?とにかく北に向かいました.

 県道65号線をフルーツフラワーパークまで,此処で右折して桜が丘・秋葉台を抜けて木幡駅南の交差点から県道22号線を神戸電鉄粟生線沿いを西へ.押部谷駅を超えて西盛口の交差点を右折して県道83号線を北へ,笠松峠を左折せず,まっすぐに・・・此処を通るのは久し振りです.

 三津田の交差点で県道85号線へ.この道は三宮から,つくはら湖畔経由で小野や庭木へ向かう神姫バスが通る道路です.吞吐ダムの下流の志染川沿いを北西に御坂の交差点.何年か前に御坂サイフォン橋を見に来て以来です.御坂の交差点から県道38号線を,こんどは東へ向かいました.

 途中に「ひょうご情報公園都市」の表示があります

 もう10年以上前からのですが,いったい「ひょうご情報公園都市」って何だろう?と立ち寄ってみました.

 広い敷地に工場が点在していました.公園を探すと・・・確かにありました.

 県道38号線に戻って加古川水系の淡河川をさかのぼるように道なりに進みました.ちょうど御坂のサイフォン橋の上流で志染川と淡河川が合流しています.

 しばらく進むと淡河の集落となって淡河本町の交差点近くにある「道の駅・淡河」に到着しました.此処に来るのは4~5年ぶり,或いは6~7年ぶりかもしれません.記憶を辿っても最近此処に来た記憶がありません.

 道の駅の中の直販所で野菜を買って・・・

 淡河まで来たのは,もう一つ目的がありました.途中で思い出したのですが,久し振りに「豊助まんじゅう」を買いたくなって満月堂に向かいました.淡河本町の東側です.
  

 残念ながらお休みでした.


 
 帰路は淡河本町を南に向かって国道428号線を南下しました.淡河は六甲山系の山並みから,更にシビレ山・丹生山・帝釈山・稚子ケ墓山・大蔵山の山並みを越えた処になるので山道を上ることになります.

 山越えの道を終えて旧山田村の集落で県道85号線を西へ,志染川沿いを下って,つくはら湖方面へ走ります.

 坂本の交差点を南下して山越えの道です.シブレ山と長坂山の間の山道を超えると北区から西区となって,神粟生線の木津駅の東側を通って,見津が丘の工場団地を向けて押部谷町木見の集落へ.

 県道22号線を超えて木見の交差点から県道52号線で峠越えの道です.峠を越えると櫨谷川沿いを走ります.右手に満福寺,この寺は端谷城趾になります.

 福谷東の交差点を左折して県道65号線に入るつもりが,うっかり直進してしまいました.そのまま櫨谷川沿いの県道52号線を南下して,途中櫨谷小学校の横,川重の向上の横を通って,高津橋の交差点を左折して県道21号線を東へ.

 第二神明道路の大蔵谷IC手前の交差点を右折して舞子・大門の交差点へ向かうつもりが信号が黄色に変わって,交差点の中で前の車がつかえていて信号が赤になってしまって,やむなく明石方面へ向かいました.大蔵谷ICの西側には交差点と信号が乱立して信号の変わり目には神経を使います.

 仕方なく朝霧川沿いを南下して「大蔵海岸中」の交差点を左折して国道28号線,そして朝霧駅南の狩口の交差点で国道2号線に入って海岸線沿いを東へ.舞子駅前の交差点を左折して県道487号線を北へ,舞子小学校の交差点を右折して,舞子墓園内を通って,ショッピングプラザ「エスパ星陵台」へ.

 ここのホームセンター・アグロで花の苗と種を買いました.
 

 自宅に戻って苗を植えて種を撒きました.

水分かれ

 随分前から気になっている処があります.丹波市の氷上町石生にある水分かれ公園です.

 此処は本州一低い分水界だそうで,過去に一度,この付近を車に乗ったまま探したことがありますが,イマイチわからないまま,そのままになっていました.

 本州一標高の低い中央分水界は,石生交差点あたりで95.45m、そして分水点延長が約1,250mだそうです.

 最近,「川の名前を調べる地図」というサイトを見つけ,全国の河川を水系ごとにたどることが出来ます.いろいろ調べる中で氷上町石生の「水分かれ」を調べると・・・

 地図の下側が加古川水系支流の高谷川で瀬戸内海に流れ,地図の上側が由良川水系の黒井川で日本海に流れます.

 水分かれ公園に向かいました.前回は駐車場を見つけることが出来ませんでしたが,駐車場を見つけて,そこに車を停めて水分かれ公園まで・・・

高谷川沿いに歩きましたが,分岐する処が見つかりませんでした. 

 水分かれ公園の中には人工の滝がありました.

 分岐点が見つからず,案内板を見ると・・・

 川としては加古川水系支流の高谷川はありますが,由良川水系の黒井川が分岐するのではなくて,高谷川の右岸(北側)に降り注いだ雨が黒井川の流れになるということでした.

 高谷川の右岸に標識がありました.この川の水は加古川を経て瀬戸内海へ,そして右岸に降り注いだ雨は由良川を経て日本海へ流れるそうです.

 上流に向かって・・・左側が日本海,そして右側が瀬戸内海(太平洋)です.

 川の流れが分岐点で2つに分かれて,片方は日本海.もう片方は瀬戸内海に注ぐのかとイメージしていましたが,ちょっと違っていました.

 川沿いの桜並木のつぼみが大きく膨らんでいました.

 自宅に戻って調べると,水分かれ公園内に放水路の分岐点があり,この放水路が黒井川へ流れ込んで由良川を経て日本海に流れるようです.あらかじめリサーチをしっかりしていなかったので分岐点を見逃しました.

 Wikipediaには,その写真が載っていました.右に分かれるのが放水路で日本海に至り,まっすぐ流れるのが加古川水系支流の高谷川です.

忖度・・・不合理な配慮

 最近ニュースで忖度という言葉を耳にすることが多くなりました。

 忖度を小学館の日本国語大辞典で調べると,
・他人の心中やその考えなどを推しはかること.
・推量.推測.推察.

現在ニュースで用いられている忖度の意味として,
・他人の心を他の事柄を元に推測する.
・建前ではそう言うけど、本音はこうだろうと推測する.

忖度のニュースの英語での扱いは,
conjecture・・・推測
surmise・・・推測する
reading between the lines・・・行間を読む
reading what someone is implying・・・誰かが暗示していることを汲み取る

 森友学園の籠池理事長の国会での証人喚問に続いて行われた日本外国特派員協会の記者会見において,籠池理事長は「直接ではなかったが忖度があったと思う」という表現を用いています.March 2017,23 Tokyo Yurakucho

 籠池理事長が口にした「忖度」の表現について、籠池理事長の代理人で、国会では補佐人も務めていた山口弁護士が解説しています.

I think he is missing a couple of words, what he is trying to say is, when he said he was doing “sontaku”, that something done by people around him, and not by Abe. “Sontaku” is not a word that you use by yourself. When you say “sontaku,” Abe is probably, people around, or you know, people who are underlings of Abe.

「いくつか言葉足らずだったようですが、籠池氏が忖度という言葉で表現しようとしたのは、安倍首相によってではなく、安倍首相の周りにいる人々が何らか手を加えたということです。忖度というのは自分自身で何かするという時に使われる言葉ではなく、安倍首相の周囲の人間、もしくは子分の人間が何かしたという意味になります。」

*

 相手の気持ちを察したり,或いは相手の気持ちを推し量ることは,「空気を読む」「場の雰囲気」ということで,一種のコミュニケーション能力として,求められているものです.

 逆に,相手の気持ちを察することができない,空気が読めない,場の雰囲気をわきまえない・・・一般に非常識と言われてしまい,コミュニケーション能力の欠如とさえ烙印を押されかねないです.

 ただ問題は,相手の気持ちを察した後の言動なのかもしれません.忖度はあくまでも主観的なものであって,忖度によって言動が左右されることは,あくまでも客観性がないということに問題があるのかもしれません.

*

「合理的配慮(reasonable accommodation)」 という言葉を耳にすることが多いですが,この言葉の意味するものは,『相互の合意や契約に基づく「便宜」や「助け」です.あくまでも「合理的配慮」は「契約」であり「権利」であり、必要性と適切性を合理的に説明できる責任(accountability)の上で双方の合意・契約の下で行われる融通や助けのことです.一方的な特別扱いでは決してないです.accommodationは相違や対立を調整する,或いは要求などを受け入れたり配慮するという意味があり,一方的ではなくて双方向であり,理屈や状態を説明することを伴います.忖度とは似て非なるものです.

 それに対して「忖度」は,どちらかと言えば主観的で「不合理的な配慮(unreasonable modification)」との表現がぴったりかもしれません.合理性がない主観的な特別扱い,或いは責任回避として、『一方的』に特別扱いをすることのように感じます.、そもそものルールを無理矢理に修正或いは拡大解釈して手加減をすることです。まさに一方的なmodificationです.

 「学力」を考える時に「合理的配慮(reasonable accommodation)」は必要ですが,「不合理的な配慮(unreasonable modification)」(「忖度」)は不要どころか,「学力」にとって邪魔でしかないかもしれません.とくに学力の評価に「不合理な配慮」(忖度)が忍び寄ると,評価自体の信頼性が著しく低下する可能性が大きいです.

平田オリザをめぐって・・・

 職場の先輩と,あれこれと四方山話をする中で,進路指導の話題になって「生徒にとってのキャリアって?」という話になりました.

 普通科の進学校ならば,大学受験に必要な教科・科目を中心に,基礎的な学力に加えて,しっかり応用できる学力が求められます.大学が求めてる学力を問う「入試という敷居」を超えるために鍛錬が「キャリア」とも言えます.

 それに対して就職の比率の高い専門高校における「キャリア」は,様相がかなり異なるのかもしれません.就職先の職場で仕事をこなせるか?それを見極めるために面接では部活動に関する質問が比較的多いです.その生徒の個性というよりも,集団生活に馴染んでいるか?集団行動がとれるか?というような質問の背景には,企業が求める専門高校の生徒に求める「キャリア」が,大学が普通科の進学校に求める「キャリア」とは異なる為ではないかと思います.

 専門高校において会社が求める生徒の「キャリア」は,会社という組織の中で「歯車」としての素質を問われているのかもしれず,生徒自身も,自分の個性や能力以上に,会社という「組織における親和性」のようなものをアピールする傾向を感じます.それはもちろん指導する教師の思惑や,求められている生徒像にあわせようとしている部分も大きいと思います.

 学校では生徒の個性を育むことが求められていますが,実際には「個性の豊かさ」よりも「規律の正しさ」や「高校生らしさ」のような,一律のベクトルを基にした「ものさし」で生徒を測って,貌のない生徒を生み出している部分もあるかもしれません。

 いろいろな話をする中で,その先輩が最近読んだ文章から「今,話していて思い出しんたんだが・・・」と前置きをされて平田オリザの講演会録から面白い話をお聞きできました。

 2008年に起きた秋葉原通り連続殺傷事件の被告が,事件を起こす直前にネットに書き込んだ言葉「良い子を演じさせられるのに疲れた」という記述に平田オリザが注目したそうです.これまでは「良い子を演じるのに疲れた」というケースはありましたが,この事件の被告は「良い子を演じさせられるのに疲れた」とかなり大きな強迫概念にとらわれて追い込まれていたのかもしれない,誰かに操られ,自分を自分だと思えなくなったような感覚を持ってしまったのかもしれません.

 平田オリザは「良い子を演じるのに疲れた」という子どもに対して「もう良い子を演じなくて良いよ」と言うことは,表面的で偽善でに過ぎないのではないかと疑問を投げかけています.むしろ教育者としては「良い子を演じるのに疲れないタフな子ども育てる」ということが教育のほんとうの目的ではないかと提唱しているそうです.

 劇作家の平田オリザらしい表現にも感心しましたし,四方山話の中で,話を広げて平田オリザの講演録と関連づける先輩の「豊かさ」にも驚きを覚えました.アナロジーを持っていろいろな視点や視野で捉えることが教育にとって大切だと思うのですが,まさに豊穣で柔軟な姿勢を,その先輩から学び,自分自身が未だ未だだなあ~と感じました.

 後でいろいろ考えると,漱石は小説「三四郎」の中で,「偽善」と「露悪」という言葉を用いて同じようなことを言っていたなあ~と思い出しました.また,心の奥底を映し出す「能面」と,心を隠す西洋の「仮面」との対比にもアナロジーがあるのかもしれません.

 
 「ピエロ」と「クラウン」,涙マークのメイクがあるのがピエロで,ないのがクラウン・・・馬鹿にされながらも観客を笑わせている,でもピエロの笑いの陰には,馬鹿にされた悲しみを持つ,と耳学問で聴いたことがあります.

 平田オリザの提唱する「良い子を演じることを楽しむぐらいのしたたかな子ども」,まさにメタ認知ができて自分を操り自分を演じる子ども・・・いろいろイメージする中で思い出したのが藤山寛美です.寛美は涙を流して演じるのではなくて,むしろ涙して道化を演じる自分を真剣に見つめていたのかもしれません.

「ヴェルフリ」と「蛙の祈り」

 一昨日の「感覚をつないでひらく芸術教育を考える会」の基調提案で,アウトサイダーアートの作家・アドルフ・ヴェルフリの紹介があり,大変興味を持ちました.本務校の近くの県立美術館で1月11日—2月26日まで「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」の特別展があったのですが・・・遅かりしです.

 3月7日〜4月16日まで名古屋市立美術館で開催されていますが,わざわざ名古屋まで行くのは遠いです.とりあえずヴェルフリ展の図版をamazonで注文して,今日届きました.

 一か月ほど前に注文していて取り寄せだったAnthony De Melloの”The Prayer of the Frog”がやっと発送とのことで,これも今日届きました.それぞれ別々の便でした.

 アントニオ・デ・メロ神父の「蛙の祈り」は手元にあって,長らく本棚に飾っていただけでしたが,ふと久し振りに読んで,思わず英語版を注文していました.届いた本を見ると・・・日本語版と異なります.「??」だったのですが,よく見ると”The Prayer of the Frog Vulume Ⅱ”・・・続編でした.ちょっとショックです.ネットでリサーチしたのですが”The Prayer of the Frog”はもう販売していないようです.でもFreeのPDF版を見つけて早速ダウンロード,iPadに入れました.

 iPad miniなので,ちょっと字が小さくて見えにくいです.

10inchのiPadが欲しくなりました.