赤石の櫛淵

古代の五畿内は、都に近い地域を指し示し、山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国の令制5か国となります。摂津国の西の端は、古代においては、大化の改新の「改新の詔」において、鉢伏山の稜線が大阪湾に迫る「赤石の櫛淵」となっています。今の神戸市須磨区と神戸市垂水区の区境となる境川です。

この境界は、現在は神戸市内の区境ですが、摂津国と播磨国との国境であり、そして五畿内と西国との境でもあり、地理的にも歴史的にも、大きな意味をもつボーダーです。

この箇所は、「赤石(明石)の櫛淵」と言われる難所で、鉢伏山の稜線が海に迫って、北陸の親不知・子不知の難所のようだったようです。平安時代までは、西国街道は、この「赤石の櫛淵」を避けて、鉢伏山の北側を迂回するルートだったようです。

 平安時代以降に、稜線を掘削して、砂浜を歩行できるようにしたとのことですが、波が高いときには鉢伏山の北側を迂回するしかなかったようです。現在も鉢伏山が海岸線まで迫る狭い区間を、国道2号線、JR神戸線、そして山陽電車の線路が通るだけの区間です。

 Google Earthで確認すると、中央の谷間に境川が流れ、手前の大阪湾沿いにJR神戸線、そして国道2号線、そして鉢伏山の稜線が崖のように切通して山陽電車の線路が並行しています。画面上部には、迂回路だった白川・多井畑そして塩屋と続いています。江戸期には「赤石の櫛淵」が西国街道となって、須磨ー白川ー多井畑ー塩屋が脇街道だったようです。

 梅雨前線の停滞で、鉢伏山の迫った稜線の崖が土砂崩れとなって、山陽電車は須磨駅(摂津国)と霞ヶ丘駅(播磨国)との間で、一昨日から不通になっています。雨が降り続くので、復旧作業もままならないようです。

 霞ヶ丘駅の南側の国道2号線沿いに、山陽バスが停車していました。須磨ー霞ヶ丘間の代行バス運行のようです。

 「代行バスのりば」という幟がありました。

 ここ数日、雨が降り続いて、朝の通勤時に、元町ー灘駅の2駅のウォーキングが出来ていません。昨日の土曜も嵐のような雨が降り続いて、家に閉じ籠もっていました。運動不足で汗もあまりかかず、その割には、つい飲み物や食べ物を口にしてしまって・・・体重が0.5kg以上増えてしまっていました。

 今日も、まだ雨模様、朝一番で、垂水温泉「太平の湯」で汗をかくことにしました。じっと温泉に浸かったり、スチームサウナに入ったり、足首だけ湯船に浸けて汗をかいたりと,途中で水分を補給しながら、1.2kgの汗をかいて、しっかりと水分を補給しました。

 お昼過ぎにラジオから、洲本で大雨警報が発令とのこと、神戸もまた大雨が襲うのかと、ネットの雨雲レーダを見ると、細い筋状の強烈な雨雲が.淡路島から明石西部に連なっています。窓の外を見ると、霧状の雨が降っていました。