静岡行き_3日目

今日は学会で、自分の発表の日です。産業技術教育学会では、今回から全国大会でオーラルセッションに加えてポスターセッションでの発表スタイルもあるのですが、私はオーラルセッションでの発表でした。

 今日も東静岡駅前の駐車場に自動車をとめ、自転車で静岡大学に向かって学会発表、その後駐車場に戻って着替えた後、昨日、自動車で走り抜けた日本平の南側の海沿いの「いちごライン」(国道150号線)を往復16キロ自転車で走りました。

 神戸から望む海と違って、静岡の海は外海・・・太平洋です。

 快晴で、風もほとんどありませんでしたが、静岡の砂浜に打ち寄せる太平洋の波は荒々しく、砂浜に置かれたテトラポットを軽く超えて水しぶきをあげていました。

いちごラインを自転車で走っていると、日本平の真ん中辺り、太平洋に面して久能山東照宮を見上げることができました。初代江戸幕府の将軍を引退した後に大御所となった家康が祭られています。

静岡大の往復と、いちごラインのサイクリングで合計30キロ走りました。

 東静岡駅前の駐車場に戻って、自転車を車に詰め込んで、度は、静鉄(静岡鉄道)に乗って静岡の街の散策に向かいました。

7分間隔ぐらいで頻繁に運転されています、ちょうど清水が舞台のアニメ・ちびまる子ちゃんの電車に乗りました。

 2両の電車まるごと、ちびまる子ちゃんでした。

 静鉄・新静岡駅前には、雪国の雁木のような庇のある古いタイプの商店街が駿府城まで連なっていました。

 JR静岡駅前は再開発されて新しい街になっていますが、静鉄・新静岡駅前は、古くからの街並みと繁華街が入り乱れたようです。

 地図で確認すると、駿府城の南東に新静岡駅が位置します。北街道沿いに庇のある商店街が連なっていますが、どうも北街道は、外堀沿いだったようで、外堀と内堀の間には、

・静岡市立城内中学校
・静岡大附属静岡小学校
・静岡大附属静岡中学校

駿府城の東側に3つの学校が並んでいました。そして駿府城の北側には

・市立市民文化会館
・市立中央体育館
・静岡市立葵小学校

 内堀の中は、駿府城公園です。

 駿府城の北西、内堀と外堀の間に、カトリック教会がありました。

 隣接して、静岡雙葉学園がありました。明治36年に仏英女学校として開校した古い歴史があります。

 カトリック教会とは、外堀を挟んで西側に静岡英和女学院がありました。そして隣接してメソジスト系のプロテスタント教会・静岡教会がありました。調べると明治初期に「静岡バンド」があったようです。

調べると、明治新政府によって、徳川将軍家は駿府に移封となりましたが、その時に昌平坂学問所や開成所、横浜語学所から教授や生徒、蔵書が移され藩校の「静岡学問所」が設立されて、お雇い教師として、メソジストの宣教医デイヴィッドソン・マクドナルドが赴任したのが切っ掛けのようです。

 県立静岡高校・・・旧制中学の伝統を持つ学校で、他の城下町ではお城にもっとも近い学校だったり、城内に旧制中学校があるのですが、静岡では「もっともお城に近い学校」ではありませんでした。独特の丸い門柱がありました。

静岡高校は、明治11年の静岡師範学校中等科が発祥で、その後、明治19年の中学校令で、尋常中学校となっています。それに対して静岡市立葵小学校は、明治3年設立の静岡藩学問所の付属小学所が発祥で外堀の内側です。

 賤機山の南、駿府城の西北西に静岡浅間神社があります。静岡高校から静岡浅間神社に向かうと、道の真ん中に鳥居がある光景を目にします。

祭神は「コノハナノサクヤヒメ」で、富士山頂に奥宮がある富士山本宮浅間大社より醍醐天皇の勅願によって勧請された神社です。

駿府城の南側の外堀の更に南には市役所がありますが、外堀の内側には、藩校「静岡学問所」址の石碑があります。将軍家が駿府に移封するときに、昌平坂学問所や開成所、横浜語学所から教授や生徒、蔵書が移されているので、他の藩とは明治維新以降に設立された「藩校」とは次元が異なる藩校だったようです。

 駿府城の南西、外堀が埋められている部分に四足御門跡が残っています。埋められた外堀の名残です。

駿府城の南西にある坤櫓・・・

 静岡市内は、結構、自転車のレーンが整備されています。繁華街でも車道と歩道の間に自転車レーンがありました、

 今日は、日本テレビ系列で「24時間テレビ」の日、新静岡駅近くの繁華街で、チャリティー募金会場が設営されていました。

 新静岡駅で切符を買って、東静岡駅に近い長沼駅まで切符を買いました。

 今日、8月25日は、チキンラーメンが発売された「チキンラーメンの誕生日」です。

 そして8月25日は、私の誕生日でもあります。ホテルでカップラーメンタイプのチキンラーメンにお湯を注いで食べました。