讃岐路

早朝、窓から見下ろすフェリー乗り場です。小豆島行きの連絡船が停泊していました。

朝食は1階のレストランです。海を眺める席で、ここも新型コロナウイルスの影響でビュッフェスタイルではなくて、和洋の選択・・・和食を選びました。

讃岐路を高松市内から国道32号線で琴平方面、ほぼ琴電琴平線と並行しています。途中の綾川町で県道に入りました。綾川町は、さぬきうどん発祥の地だそうです。うどん会館というのがあるそうですが、現在は改修中で閉館していました。

マンホールが、うどんでした。

主に県道190号線を走って、満濃池へ向かいました。途中、いくつもうどん屋さんを見掛けました。

満濃池は、日本最大の灌漑用のため池で、国の名勝に指定されています。 中世につくられたため池で、空海が満濃池を改修したそうです。何度も決壊した歴史を持つそうです。

満濃池周囲を自転車でサイクリングできるかと思ったのですが、そんな感じではなかったです。雲も低く垂れさがっており、断念しました。

満濃池から琴平・金比羅さんに向かいました。JR駅近くの市営駐車場に停めましたが、途中で駐車場の呼び込みがたくさんいました。

 琴電の琴平駅です。

金倉川から表参道を通って、表参道登り口、ここから石段が始まります。

春休みですが、それほど観光客・参拝客は多くないです。

旭社から本宮までの間の、この辺りが、お気に入りの場所です。ちょっと鬱蒼としています。

本宮への最後の階段・・・

そして本宮です。途中でウインドブレーカーを脱いで半袖だけになったのですが、それでも汗ばみます。讃岐富士が綺麗にみえました。それと雲の間から薄日が射し込んできました。

復路、上りよりも下りの方が階段は急に感じますが、下りの方が身体、特に脚の負担は小さいです。

人影がまばらですが、まったく人影が見えないことも時々ありました。インバウンドがほぼ皆無となって、国内旅行も不振のようで、春休みなのにシャッターを閉じていた店もありました。

お昼前から讃岐うどんの食べ歩きを始めました。最初は、まんのう町の「長田うどん」、釜揚げうどんの元祖と言われる店です。

店内はこんな感じの店です。

カウンターで注文すると、番号を書いた木札を受け取ります。それを持って座席で待つと、うどんが茹で上がると、持ってきてくれる方式です。

しばらく待って、釜揚げうどんが運ばれてきました。だしはツボ状の入れ物に入っています。薬味はテーブルにありました。

いろいろな色紙が飾っていました。戸田菜穂、峰岸みなみ、尾上菊之助・・・うどん好きなのでしょうか?

次は、讃岐うどん発祥の地・綾川町の県道278号線沿いにある「セルフはゆか」、麺が美味しいそうです。

店頭で、麺をつくっていました。

麺は評判通りに、腰が強くて歯ごたえがあっておいしかったです。

次は、同じ綾川町の県道185号線沿いにある、有名店の「山越うどん」です。

ここはうどんマニアが全国から集まる「釜たま発祥の店」だそうで、休日には行列ができるそうです。最初に麺を注文して、その後に天ぷらやおむすびを選ぶ方式です。

店内で会計を済ませた後は、店の庭の座席等、自由にうどんを楽しむ方式です。

釜たまうどんと、ちくわの天ぷらをいただきました。

長椅子でうどんを食べている人も結構いました。

その後、高松市内に戻って、栗林公園へ向かいました。

ここは、いわゆる大名庭園です。金沢の兼六園、岡山の後楽園などがありますが、高松の栗林公園が最も広いようです。確かに1時間半で149枚の写真を撮りました。

池、流れ、松、築島、橋・・・いろいろな景色が楽しめます。

池と松が映えるような光景が多かったです。

このアングルも、良い感じです。

結婚式の前撮りの写真のようで、いろいろなポイントで、指示されるままのポーズや笑顔で撮影していました。

 レンズを向けて撮ろうしたら、飛び立とうとしました。

園内の流れを小舟で巡ることもできます。

この橋が庭内に幾つもある中で、もっとも大きな偃月橋です。偃月という言葉を知りませんでしたが、半円状の月のことで、弓なりの形を指し示すそうです。

徳川第11代将軍・徳川家斉公から賜った盆栽の五葉松が大きくなったという根上がり五葉松です。

小さな流れにある飛び石・・・

桜が見頃で、暗い雑木林をバックに撮ると、桜が輝いて見えます。

庭内を見て回って、堪能しました。

四国・瀬戸内沿い

愛媛新聞の一面は、地元のニュースではなくて、新型コロナウイルス関連、そして週末の首都圏での外出自粛の記事でした。

ホテルの朝食は2階のレストラン、ここでもビュッフェスタイルはやめて和食と朝食のセットの選択です。和食を選びました。

朝食後にそのまま、ホテル前の大街道の停留所から電車で道後温泉に向かいました。

 久し振りに乗る路面です。地元の方が普段利用するのは、最新型の電車が乗り心地が良いですが、観光客としては古い電車の方が、旅の旅情を感じます。

終点の道後温泉駅です。坊ちゃん列車が展示しています。

アーケード商店街を抜けて道後温泉本館・・・

現在工事中で、大浴場だけの営業とのこと、個室の利用はできず、道後温泉・飛鳥の湯では個室の利用ができるとのことで、飛鳥の湯に向かいました。

本館は、銭湯のようで、手狭で庶民的な雰囲気がしますが、飛鳥の湯は、ゆったりとした雰囲気です。エントランスは、ゼオライト和紙が使われており、山門のイメージで佐藤友佳理さんの作品です。

2階に大広間があります。早朝で誰もいません。

その奥に、個室の空間・・・

5室あり、平日の早朝で誰も利用者がいないので、何処でも選べるとのこと、全部の部屋を見せてもらいました。各部屋には地元の伝統工芸が展示しています。

この部屋の壁面装飾は、輪島や紀州黒江など漆器の先進地から技術者を集め、全国の産地の良さを取り入れたとされている桜井漆器で、渡邊修峰さんの作品です。

次の部屋は、聖徳太子の来浴伝説をテーマに、先染めジャカード織タオルで世界初のフルカラー表現を実現した『五彩織り』の技術を用いた今治タオルで、株式会社藤高の作品です。

その隣の部屋は、和紙でできた筒にもち米を糊にした防染糊を入れ、それを絞り出しながら手描きで模様を描く筒描染で、大国主命・少彦名命が登場する玉の石伝説をテーマとした若松智さんの作品です。

一番奥の部屋は、しなやかな水引を「結ぶ」「編む」「巻く」ことで様々な形の細工をつくり、これらを組み合わせた伊予水引で、安藤加代子さん、村上三枝子さん、塘地陽子さんの作品です。

結局、一番手前の一番大きな部屋、西条だんじり彫刻の部屋を選びました。

浴衣に着替えて、坊ちゃん由来の赤いタオルを持って浴場へ。室内の大浴場と、外気の小さな露天風呂の二つの浴槽があります、こちらは小さい方の浴槽

熱めの湯で、特に大浴槽は身体の芯まで温まります。汗をしっかり流して・・・でも後から後から汗が噴き出してきます。

熱いお茶とお菓子を出していただいて、熱いお茶は美味しいですが、また汗をかきました。

毎年10月中旬に西条で行われる「西条祭り」とともに発展してきた西条だんじり彫刻が展示されています。だんじり彫刻の技を用いて、源氏物語で道後温泉を「伊予の湯桁
ゆげたとして、100種類もの彫刻刀を使い表現された花鳥、神話、龍などは、まるで生命を宿しているかのように描写したもので、石水信至さんの作品です。

昔は、湯船につかるのではなくて、岩風呂で浴衣を着ていたそうです。ここに描かれてるのは高貴な人物だと、説明を受けました。

飛鳥の湯を後にして・・・結構汗をかいたので、ドリンクを買いました。ポンジュースです。

電車でホテルに戻ってチェックアウト、大街道から県庁方面、この辺りに夏目漱石が赴任した旧制松山中学がありました。今は松山東高校となって、お城の東側に移転しています。路面電車とすれ違いました。

そして愛媛県庁です。

松山から国道56号線で海沿いを北上して、松山と今治の市境を超えると予讃線と海岸線に挟まれた区間です。

時折車を停めて瀬戸内海の島々が浮かぶ光景を眺めながら・・・

お遍路さんを追い越しました。この辺りだと松山の53番札所・圓明寺から今治の54番札所・延命寺へ歩いて向かっているようですが、海沿いを30キロ以上、休憩や食事を考えると丸一日掛かる区間です。

海越しに見えるのは、大崎下島あたりではないかと思います。土佐では太平洋沿いで、海岸に岩礁が見える程度でしたが、瀬戸内海は海も穏やかで、遠くに島影が幾つも目にすることができます。

今治の市街地近くに、遠い昔、このあたりに星の神が天降ったとの伝説からついた地名・星の浦という遠浅の海岸があり、星の浦海浜公園には大きな作品が置かれていました。

今治の市街地を経て、今治城です。

今治城には、城づくり名人・藤堂高虎の銅像があります。

城内は、桜が綺麗でした。

今治城は今治港からすぐ近くに位置して、お堀に海水を引き入れた構造を持っています。海からお堀へ直接船で出入りできる設計で、海を最大限に活用した城となっています。お堀の一角に水路があり、この先が今治港です。

今治港です。瀬戸内しまなみ海道の橋を港越しに見ることが出来ます。

今治の市街地を抜けて志島ヶ原・・・広大な松林が海岸沿いに広がっています。

その一角に若い松の群れがありました。

今治湯の浦ICから今治小松自動車道に入りました。伊予小松から松山道となって、西条、新居浜を経て川之江。川之江JCTでは、徳島、高知、松山の分岐路となって、東向きに進んでいるのにも関わらず、高知と徳島が左手の北へ分岐となっています。

豊浜SAで休憩、海岸沿いの集落越しに、海に浮かぶ小島が見えます。

段ボールの切れ端に、大きくマジックペンで「岡山・福山」と書いて、アピールしているヒッチハイカーがいました。

善通寺、丸亀、坂出辺りを経では、鉢を伏せたような丸い独立峰・讃岐富士が目の前に・・・

高松西ICで降りて高松の市街地へ。高松の市街地は初めてです。カーナビにしたがってJR高松駅付近まで来ましたが、古いカーナビにはJR駅すぐ近くのホテル・クレメント高松が掲載されていないだけではなくて、道路もありません。

 この辺りは、JR高松駅の終着駅で、おそらく宇高連絡船や島々の貨物のヤードや駐車場があった場所のようです。ホテルはJRの駅とフェリーターミナルの間に位置して、再開発されて、カーナビにはない道路がちゃんとありました。

駅に隣接するシティーホテルで、エントランスには大きな吹き抜けがありました。

泊まる部屋は14階の海側、小豆島や岡山に向かう連絡船やフェリーの乗り場が眼下に見えます。

高松駅は終端駅です。JRの終端駅で頭端式ホーム(櫛形ホーム)は、JR長崎駅以来2度目のような気がします。(天王寺駅や上野駅には一部は頭端式ホームですが行き止まり駅ではないです。)

島々への連絡船の乗り場の向こうには、女木島、男木島などが見えます。

船の時刻表・・・小豆島への便が多いようです。

伊予路

昨日は、雨の中、中村の街を迷って、ホテルの裏の駐車場に到着したので、ホテルの正面を見ていません。朝食前にホテルの周辺を散策しました。今朝は雨上がりの快晴でした。

朝食は、ビュッフェスタイルスタイルでした。

昨日は足摺岬に行ったので、中村から西に向かって、土佐くろしお鉄道と並行する国道56号線で宿毛に向かいました。宿毛から篠川沿いに県境を超えて愛媛県の愛南町へ。

 愛南町の御荘平城から県道34号線(平城高茂岬線)で「足摺宇和海国立公園」の高茂岬へ向かいました。中泊までは、片道1車線でしたが、そこからは4トン車以上通行止の区間で、離合困難な隘路が続きます。

鹿島の瀬戸辺りのヘアピンカーブ、かなり徐行で進みました。

この辺りからカーナビがストップしてしまいました。鬱蒼とした山道でGPSの電波が届かないようです。

距離は5キロほどでしたが、九十九折の連続の隘路で、長く感じました。

やっと高茂岬展望台です。

写真では表現できないほどの絶景、快晴で、見惚れてしまいます。

遥かに九州が見えます。佐伯の辺りになるようです。

燦燦と春の陽光が照りつけ、海面が煌めいて綺麗です

心地良い風が吹き抜けて・・・しばらく景色に見入っていました。

 往路は結局、対向車がなく、高茂岬でも誰もいませんでしたが、戻ろうと隘路に入り掛けた時に、相次いで2台の車がやってきました。復路では一台すれ違っただけでした。

 中泊の集落と漁港、2車線を目にして、ホッとしました。

 国道56号線を海沿いに北上、海沿いの景色を楽しみながら走りました。

 津島から宇和島道路に乗って、宇和島南ICで降りて、宇和島の市街地へ。宇和島城に向かいました。石段を上った上にお城があります。

 宇和島の町の真ん中に宇和島城はありました。藤堂高虎によって築かれた宇和島半藩のお城です。

宇和島道路が区間開通だけなのか?カーナビが古くてわからないまま、国道56号線で北上して、宇和から松山自動車道の西予宇和ICで・・・時間があれば国道378号線で八幡浜へ向かうのですが、この後に大洲と松山の観光があるので、そのまま大洲南ICまで高速を使いました。

 大洲の観光駐車場に車を停めて、自転車を降ろして・・・

 おはなはん通り・・・朝ドラの「おはなはん」の舞台となったロケ地です。

 ポコペン横丁は、昭和時代の下町を再現した横丁です。古いものが集められています。

 駄菓子屋など、昭和時代の下町を再現しています。

大洲の街並みは、なんとなく懐かしいようなノスタルジーを感じます。

臥竜山荘、大洲を流れる肱川が緩やかなカーブをする場所で、この景色がお気に入りです。

そして大洲城です。映画「男はつらいよ」の「寅さんと殿様」で、寅さんが殿様と出逢うのが大洲城です。

城内の桜は一面満開のようで、快晴の青い空に映えていました。

大洲藩主の住居跡で、ここも寅さんのロケ地です。現在はお殿様公園となっています。

お殿様公園の前に大洲高校があるのですが、校門前に青色発光ダイオードの開発者、2014年ノーベル物理学賞受賞者である中村修二さんの、ノーベル賞受賞の立派な記念碑がありました。

大洲道路から松山自動車道を通って、途中、伊予灘SAから松山の市街地方面を望みます。

写真中央部付近を拡大すると、城山の上にそびえる松山城が浮かび上がってきます。

今日のホテルは、松山東急REIホテル、松山を訪れる時には、いつも此処で泊まっています。松山の繁華街・大街道にあり、便利が良いです

今回は14階の南向きの部屋、窓から三越が見下ろせます。

ホテルの脇から、松山ロープウェイ街がロープウェイ乗り場まで続きます。更に北に歩くと愛媛大学のキャンパスがあります。

松山城下ぶらりパックを申し込んでいたので、ロープウェイのチケット売り場で、往復のロープウェイ・リフトと松山城入場のチケットと、城下ちょい飲みちょい食いクーポン券を受け取りました。ロープウェイ乗り場へ、乗客は2人で、はかま姿の女性が松山城の案内をしてくれました。

乗客は2人だけ、後で知ったのですが、新型コロナウイルス対策で、リフトを利用するように呼び掛けていました。

松山城です。幕末の安政元年に再建されていますが、江戸時代の城郭がそのまま残っています。今日は、宇和島城、大洲城に続いて、お城を3つ訪れたことになります。

「松山や 秋より高き 天主閣」と子規が詠んだお城・・・

 江戸時代そのままですので、城内の階段は急です。

鎧や兜、日本刀の展示、お城の説明、松山藩の歴史等の展示・・・

そして天守閣の最上階です。

松山城がある城山は、松山の市街地の中心で、南に県庁、大街道、伊予鉄道の松山市駅があり、西にはJR松山駅、北には愛媛大学、そして東には道後温泉があり、城山の周りを路面電車が走っています。

城内の桜を、バックに天守閣を入れて撮ったつもりが、天守閣がボケ過ぎてしまって、失敗作です。

復路はリフトを使いました。

松山ちょい飲みちょい食いクーポン券を使って、まず東雲蒲鉾で焼きじゃこ天と引き換えて食べ歩き、

次は坊ちゃん団子、これは持ち帰り。そして酒屋さんで大吟醸の日本酒をグラス一杯、店内で立ち呑みです。

最後は、焼きおにぎり、これは持ち帰ってホテルで食べました。

大街道に向かいました。

日曜日の午後ですが、ここ松山も観光客は少なく、外出も控えているのか、それほど人通りはありませんでした。

大街道の三越、戦後初の新規出店として三越松山店としてオープン、10年前に分社化して松山三越となっています。

室戸岬・四万十

今朝はホテルでの朝食前に、はりまや橋まで散歩に出掛けました。堀川沿いの国道32号線はとさでん交通の路面電車が走っています。電車道を10分あまり西に向かうとはりまや橋の交差点です。此処は,国道32号線、国道33号線、県道34号線が交わる高知の道路の要所です。

はりまや橋交差点の北西の小さな流れに、観光用の「はりまや橋」があります。

「土佐の高知のはりまや橋」の、はりまや橋です。

高知駅への大通りを挟んで反対側に、歌手のペギー葉山さんの植樹記念の場所がありました。

此処には昭和時代にペギー葉山さんが唄った「南国土佐をあとにして」の歌碑がありました。

散歩を終えてホテルへ・・・昨日はホテルの裏側の立体駐車場に直行したので、どんなホテルに泊まったのか?見ていませんでした。鏡川と堀川に挟まれた、はりまや橋の東に位置するホテル日航高知です。

朝食は最上階・22階のレストラン、泊まった部屋は15階の南向きでしたが、高知の市街地は鏡川の北側に広がっています。高知の市街地を眼下に見下ろす良い展望風景を眺められます。

朝食は、結構豪華でした。

チェックアウトして高知城に向かいました。車を運転していて路面電車とすれ違うのは、日常生活ではないので、旅行気分です。

週末は県庁に車を停めることが出来るとのことで、県庁に車を置いて、県庁の北側に広がる高知公園内に高知城の天守閣がそびえています。江戸時代に建造された天守閣や本丸御殿の両方がそのまま現存するのは、全国で高知城だけだそうです。残念ながら早朝でオープン前、中には入りませんでした。

高松公園内は、もう桜の花が見頃でした。高知城周辺を歩き回っていると汗ばんできまshた。

山内一豊の妻・千代の像がありました。土佐藩初代藩主山内一豊の正室・千代は「内助の功」として有名で、夫に馬を買わせるために大金を差し出した話が有名で、その名馬と共に像になっていました。

高知城を後にして桂浜に向かいました。路面電車の線路と斜交する箇所があり「電車優先」とのことで、信号機に、電車用の矢印が出ているときは、車は待たねばならないようです。

土佐湾沿いの黒潮ライン(県道14号線)を右手に土佐湾を眺めながら、桂浜へ

早朝で、砂浜には数人だけ、雲が低く垂れさがって、モノクロームの光景、墨絵の世界に入り込んだようです。

太平洋から押し寄せる波は荒く、放送で近づかないようにとのアナウンスが流れました。

太平洋に向かって立つ、坂本龍馬の像です。

黒潮ラインを西へ、足摺岬に向かいます。

仁淀川の左岸を上流に遡って、土佐市の市街地へ向かいました。仁淀川は、結構ゆったりとした川幅がありました。

土佐市の市街地で土佐ICから高知自動車を走って、四万十方面へ向かいました。須崎を通って、四万十町中央ICまで開通しています。その後は国道56号線を走って、四万十町西ICからは部分開通して無料区間で黒潮拳ノ川ICまで走って、また国道56号線・・・四万十市の中村まで、結構時間が掛かりました。

 中村からは、四万十川右岸沿いを国道321号線・足摺サニーロードを走ります。

途中、お遍路さんを追い越しました。足摺岬にある第38番札所の金剛福寺まで20キロ以上あります。

20年近く前のカーナビをそのまま使っているので、新しいバイパスには対応していません。海岸沿いの国道をカーナビは案内していますが、山の中を走っています。途中、迷ってしまいました。

土佐清水から足摺半島となり、県道27号線を走りました。ようやく足摺岬が見えてきました。

桂浜から3時間あまり掛かって足摺岬に到着しました。

足摺岬には、足摺半島の中の浜地区出身のジョン万次郎こと中浜万次郎の銅像が立っています。ジョン万次郎は漁船に乗っているときに嵐で遭難して、アメリカの捕鯨船に助けられて、日本人として初めてアメリカに渡った日本人となりました。

 航海術等、西洋の学問を学んで帰国、万延元年(1860年)には、日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の1人として、咸臨丸に乗り福沢諭吉らとともにアメリカに渡って通訳として活躍しています。明治維新後の明治2年(1869年)には、新政府により開成学校の英語教授に任命されています。雑司ヶ谷にお墓があり、数年前にお墓の前に行ったことがあります。

展望台からの足摺岬、室戸岬と違って、足摺岬の南端は切り立った岩となって、その上に灯台があります。

展望台から、足摺岬と反対方向の東側に「天狗の鼻」という岩が海に突き出ています。

天狗の鼻からの足摺岬の眺めは隠れた名所とのことで向かいました。

熱帯・亜熱帯・暖帯の植物がジャングルのように密生しており、その中を数分歩きました。

天皇陛下が皇太子時代に訪れて詠んだ御歌の歌碑がありました。

足摺の岬はるけく黒潮の
 海広がれりさやにひかりて

 天狗岩からの足摺岬の眺めです。展望台がある岩場越しの光景になります。

足摺岬灯台に向かいました。足を踏み入れることが出来る、足摺岬の最南端から灯台を見上げた構図

足摺岬の最南端からの眺めです。岩礁の向こうは・・・遥か太平洋が広がっています。

第38番札所の金剛福寺に向かいました。

 金剛福寺の前の駐車場に車を停めていたのですが、後から駐車した車に、お遍路の服装をした年配のご夫婦が乗っていました。車から降りて、煙草を燻らして、六根清浄と書かれた袋を首からぶら下げて、金剛福寺にお二人で向かわれました。

車で四国路を走っていると、道路脇を歩いているお遍路さんと行き交うことが多く、四国独特の光景です。スポーツウェアを来て歩きやすい服装のお遍路もいますし、ご夫婦で車に乗って巡っているお遍路さんもいらっしゃるようです。いろいろなお遍路さんがいろいろな思いで四国を巡っているようです。

足摺岬を後にして、四万十市・中村に向かいました。中村の市街地から四万十川沿いに上流に向かいました。赤鉄橋の四万十川大橋です。

その上流、車で10分ほどのところに、佐田沈下橋があります。橋の周辺は隘路で地元の方々の生活道路なので、駐車場で車を停めて、車に載せていた自転車で向かいました。

沈下橋は柵がないので、自転車で走っていると、ちょっと怖いです。軽トラが向かってきたときは、自転車から降りました。

 四万十市は、元・中村市と元・西土佐村が合併した町です。県立中村高校があり、野球部は甲子園で準優勝したことがあります。グラウンド前には甲子園出場の石碑がありました。

 ホテルの夕食は1階のレストランです。降り始めた雨が、結構激しくなってきました。

 お造り、茶わん蒸し、鰻の蒲焼、天ぷら、鰹のたたき、鮎の塩焼き・・・どんどん運ばれてきて、結構満腹になりました。

土佐路

ホテルの朝食は、ビュッフェスタイルがほとんどですが、事前に旅行会社から新型コロナウィルスの影響で、ビュッフェスタイルでの提供をやめて和食か洋食かをフロントで選択してください、と言われていました。ホテルのエントランスでは、その旨が大きく書かれていました。

和食を選びました。徳島駅前の通りに面した窓側の席で、行き交う人通りを眺めながら・・・

 チェックアウトを済まして駐車場に向かうと、昨日、南淡路水仙ラインで「撮影をしているので、2~3分、此処で待って下さい。」と車を停められた時に、撮影をしていたのと同じ車が停まっていました。

徳島市内は、若干渋滞気味でしたが、国道55号線・土佐街道を南下して室戸岬を目指しました。

室戸岬へは、2004年の10月に訪れていますので、16年ぶりになります。小松島を経て、片道2車線の土佐街道を南下、道の駅「公方の郷なかがわ」に立ち寄ったのですが、16年前にも此処で車を停めた記憶がよみがえりました。

阿南から日和佐(美波町)・・・ここからJR四国の牟岐線と並行する山道です。道路脇にはグリーンのラインが敷いていました。自転車走行ラインではなくて、お遍路さんのラインのようです。雨の中、年配の夫婦連れのようなお遍路さんが山道を歩いていました。

この後も、何度も行き交うお遍路さんを見掛けました。四国ならではの光景です。

牟岐町の海岸線沿い、この辺りは八坂八浜というそうです。平地が少なく、山からすぐに海の地形で、短いトンネルが続きます。海岸の景色も、時折、奇岩を目にして、車を停めて雨の中、しばらく佇みました。

同じ海部郡の海陽町、左手に大きな川が現れました。この辺りに大きな河川がないはずです。

車を停めて、墨絵のようなモノクロームの景色に見惚れてしまいました。地図で調べると川ではなくて、那佐湾で、細長い入り江のような湾でした。

 向こう側は、特に~半島という名称が地図には載ってなくて、乳の崎と書かれていました。

海陽町の道の駅・宍喰温泉で一休み、雨が断続的に降りしきっています。

海部駅は、土佐街道と並行していた牟岐線の終点で、此処から南側は、阿佐海岸鉄道になります。その大きなジオラマが展示していました。

海陽町から土佐街道は海岸線を離れて山道へ、そして峠を超えると土佐・高知県に入ります。安芸郡東洋町から室戸市へ。切り立った山が、そのまま海へ、道路だけが通っている光景が続きます。振り返ると・・・

 そして行く手は・・・

室戸岬の先端まで20キロあまりある地点で、雨の中を室戸岬に向かっているお遍路さんがいました。

室戸岬の高台に24番札所の最御崎寺がありますが、雨の中休みなく歩いても5時間ほど掛かります。

 時折、漁港と集落があり、お昼過ぎに室戸岬の南端に近づいてきました。大きな弘法大師の像がありました。16年前にもあったのか?記憶に残っていません。

 室戸岬に到着、雨脚は強くなっています。誰もいません。

傘を持って海岸へ・・・

太平洋に面して、天候も良くないので南風が容赦なく吹き付けてきます。

室戸岬の南端は、荒波に呑まれる岩礁のような部分です。近づけません。

いろいろな形をした岩が、室戸岬にありました。

国道55号線には青いラインで「四国一周 室戸岬」とサイクリングコースの表示がありました。駐車場で自転車を降ろして、室戸岬周辺をサイクリングする予定でしたが、雨が断続的に強く降りしきっているので断念しました。

御厨人窟(みくろど)、約1200年前に、弘法大師が修行中に住居として使っていたと言われる洞窟です。16年前に来た時には、白い金属製の枠組みが洞窟入り口にはありませんでした。落石防止のようです。

中に入るには、備え付けのヘルメットを着用する必要があるようです。16年前には、そんなことは必要ありませんでした。落石の惧れと、安全意識の高まりがこの16年で変わったのかもしれません。時の流れを感じます。

雨が強く降ってきたので、室戸岬の光景をフロントガラス越しに見ながら、途中買った昼食を摂りました。

スカイラインの九十九折の山道を上って、室戸岬灯台へ、室戸岬漁港が眼下に・・・

駐車場からしばらく歩いて、室戸岬灯台です。直径2.6mのレンズは日本最大級だそうです。光達距離は49km。

室戸岬灯台から見下ろす、室戸岬の最南端です。

この高台には、第24番札所の最御崎寺があります。

大きな山門は海に向かっています。太平洋の海風を直撃するので、表面は塩を浴びている感じです。

大きな鐘撞堂がありました。

此処からNHKのゆく年くる年での除夜の鐘の中継をしたという石碑がありました。

この室戸岬の高台には、海からの潮風が吹き上げられて、高度が高いので霧状になるようで、下から靄が浮かび上がるような幻想的な光景を見ることが出来ました。

 これも吹き上げる潮風の影響なのか、枝の形が奇妙な感じです。

室戸岬を後にして、国道55号・土佐浜街道を高知市に向かいました。室戸市の道の駅・キラメッセ室戸から眺めた西側、高知方面です。

 雨の中をひたすら土佐湾沿いを西へ向かいました。奈半利、安田を経て安芸市、芸西村を通って香南市。道の駅・やすで休憩、此処では雛人形を飾っていました。

 プレハブのような建物でしたが、室内は豪華絢爛な感じです。

香南市から南国市に入って、交通量も大きなって2車線の南国バイパス、右手に見覚えのあるホテルが見えました。16年前、徳島へ行った時に「室戸岬まで120キロ」との道路標識に吸い寄せられて、無計画に室戸岬へ向かい、そのまま高知市へ向かうと夕方になって、車中泊の準備をして、このホテルが日帰り温泉での入浴も出来るとのことで、汗を流して、どこかのサービスエリアで車中泊をしました。その時に入浴したホテルです。

高知のホテルは、ホテル日航高知で、はりまや橋の東側です。17階の南側、鏡川が眼下に見える部屋です。川の向こうの丘の南には桂浜がある位置関係になっています。

 昨日のホテルの部屋も良かったですが、今日のホテルの方が設備等が充実していました。

阿波路

今朝早く、明石海峡大橋を渡って淡路島へ。東浦ICから、淡路の東海岸沿いに走る国道28号線で洲本市まで。洲本からは県道76号線を通って、由良経由で、淡路の南東部・灘辺りの南淡路水仙ラインへ向かいました。

淡路の南東部は、切り立った山が海まで迫って、海岸線には南淡路水仙ラインが走るだけで、集落は坂道を上った高台にあります。

車に載せた自転車で、南淡路水仙ラインを走りました。少し走ると汗ばんできました。

車で阿万の吹上浜周辺に向かいました。ここには「国立青少年の家」という宿泊施設があります。3度目の転職での新人研修が此処で、数日間過ごしました。

阿万周辺は、タマネギ畑が続いています。収穫したタマネギを干す小屋がアチコチにあります。

吹上周辺もサイクリングしました。

タマネギ畑の一角に菜の花が植えられていました。

車で福良へ。此処には造船所があります。

鳴門海峡を渡るために、淡路島南ICへ向かいました。途中鳴門海峡を見下ろす丘の上にある うずの丘・大鳴門橋記念館に立ち寄りました。此処の売店にタマネギキャッチャーがあり人気のようで待ち行列が出来ていました。

鳴門海峡と架け橋、対岸の徳島県鳴門市が一望できます。

鳴門北ICから、鳴門市にある板東俘虜収容所に向かいました。此処は第一次世界大戦の時にドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵約1000名を1917年から2年余り収容した施設です。収容所の所長となった松江中佐は捕虜らの自主活動を奨励し、捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な運営をしていたそうです。現在はドイツ村公園となっています。その一角に当時の給水塔が残っています。

ドイツ村公園では桜が咲き始めていました。

俘虜のための宿舎があった場所です。土台のレンガだけが残っていました。

少し離れた処にベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏された板東収容所を記念した鳴門市ドイツ館の建物があります。

その近くに、協同組合(コープ)の海の親で、神戸出身の賀川豊彦の記念館があります。

神戸にも賀川豊彦の記念館がありますが、まだ行ったことがありませんでした。和田岬には賀川豊彦の生家跡の碑があります。中は撮影禁止なので、大会議室だけ・・・

近くに四国八十八箇所第一番霊場である霊山寺があるので立ち寄りました。

境内には巡礼者がかぶっている編み笠が並べられていました。

徳島市へ向かいました。今日の宿泊は徳島駅の建物につながったJRホテルクレメントです。いつもは安いビジネスホテルですが、此処はワンランク以上上のシティーホテルでした。

荷物を置いて、徳島市内観光・・・JR徳島駅です。

駅前の横断歩道の幅が広くて、ほぼ正方形でした。

駅前にある百貨店のそごうの床に「はじめよう そごうウォーキング」と書かれていました。

階段にスタートラインがあります。最上階まで285段あるそうです。

駅前は放置自転車禁止区域ですが、警告の札が貼られた自転車並んでいいました。

JR徳島駅周辺は、単線並列区間です。2本の線路が別々の単線になって、それぞれ上り下りの列車が走るという珍しい区間です。

徳島城跡に向かいました。蜂須賀家政の銅像があります。秀吉の家臣で阿波一国を治めていました。

徳島城 表御殿庭園、結構見応えがありました。

庭内を1時間近く巡って、庭の景観を楽しみました。

夕食は和風レストランでした。

最初はフォアグラ豆腐、飲み物はビールをお願いしました。

お椀はハマグリとタケノコの蒸し物、そしてお造りに続いて、焼き物は和風ローストビーフ、ホタテ豆腐に続いてカニの揚げ物でご飯でした。

*

部屋に戻ってテレビのニュースを観ると、東京では新型コロナウイルスの感染者が、昨日に続いて今日も多かったようで、週末の外出自粛要請が、東京都だけではなくて首都圏に拡大
とのことです。

この一週間ほどで世界的にパンデミックが広がって、国内でもオリンピックの延期やと今日のロックダウン防止策等々、大きなニュースが毎日報じられています。

店先で・・・

 今年はイカナゴ漁が不漁で、大阪湾では解禁日から2日間で、明石海峡や播磨灘では数日間で、海洋資源の保全のために今期の漁が終わってしまいました。店頭でキロ4000円で売られているのを見ました。数年前まではキロ数百円だった記憶があります。

 そのイカナゴが、今日、店頭で見掛けました。少し成長していますが、キロ1000円です。

 香川県産と書いていました。播磨灘や明石海峡のイカナゴ漁がこの数年不漁なのに対して、瀬戸内海の対岸となる四国の沿岸では、あまりイカナゴの漁獲量に変化はなく、2月下旬から一ヶ月ほどイカナゴ漁が続いているそうです。香川県ではイカナゴの釘煮の食文化がないようで、神戸まで辿り着いたようです。

 八百屋さんでは暖冬の影響で葉物の野菜が安価で安定しています。農家にとっては豊作貧乏のようですが、消費者にとっては喜ばしいことです。八百屋さんの脇にある路地沿いに、キャベツがたくさん積まれていました。

 青菜類と違って、キャベツは日持ちがしますが、それでもこれだけのキャベツを数日で捌けるのかなあ~と、ちょっとキャベツの山を見て心配になりました。

神戸~早春のひととき

 神戸の街は、桜の蕾もかなり膨らんで、開花直前の状態です。春のうららかな陽光で午後からは暖かくなりました。

 新型コロナウイルスの影響で、三ノ宮の東遊園地の芝生が解放されているとのこと、少し足を伸ばして・・・

 ハーバーランドに用事があってJR神戸駅に向かいました。普段の通勤では通過駅で気にすることはないのですが、神戸駅は、東京駅の東海道本線の終点であり、門司駅までつながる東海道本線の始点の駅です。日本の2つの大動脈となる鉄道路線のターミナル駅ですが、3本のホームで、うち一本はかつての名残のホームで稼働率は低く、通勤では途中通過する駅のひとつでしかないです。

 神戸駅のホームに、試験的に駅名標が3つ並んだ写真をネットで見掛けました。


(ネットより引用)

 先週末の金曜日に、確かに乗っていた電車の車窓越しに3つの駅名標が並んでいるのを目にしました。でも今日、神戸駅のホームに降りたって、3つ並んだ駅名標を写真に撮ろうとすると・・・既に試験的に設置されていた駅名標は撤去されて、1つだけでした。

 阪急の神戸線の高架は、王子動物園駅から西側で弧を描いたカーブが続いて、JR灘駅の少し西側でJRの高架と並行します。は、元々は阪急は今の王子動物園の辺りに「阪急神戸駅」があって、そこで神戸市電と接続していました。市営モンロー主義という東京や大阪と同じ方式を採用していました。それが市街地の三宮まで延長することになって、既存の道路を斜交するように高架が設けられました。道路と阪急の高架が斜交する部分は、独特の間口の広いアーチ状になっています、

 そのカーブを描いている部分の高架下の一角に、神戸の地ソースのひとつ「プリンセスソース」があります。神戸は幕末に横浜と共に開港した港町で、早くから洋食文化が町に浸透して、ソースメーカがたくさんあります。ばらソース、ブラザーソース、オリバーソース、そして日本で始めてウスターソースを国産した日の出ソース、現在の阪神ソースもあり、隣町の明石にはドリームソースがあります。プリンセスソースはここで直販もしています。

 、今日は、職場の年度末の小さな打ち上げです。もう少し前に予定されていたのが新型ウイルスの影響で延期となって、ささやかに・・・