通勤途上で目にしたもの

 最近、通勤の電車で見掛ける広告で気になるものがあります。バネの広告です。

 一般の消費者が購入するものではなさそうで、バネの設計や見積もりの広告を目にしても、見積もりや注文したいなあ~と思う人は、ごく一部だと思うのですが、宣伝効果があるのかなあ~とアレコレ考えてしまいます。

 新しい電柱・・・このような形で、新しい電柱の姿を見るのは初めてです。

 下部が固まると、これに上部をジョイントして、そして電線を張るのでしょうか?

 次の工程が楽しみです。

朝夕の神戸

 仕事の行き帰りの目にする神戸の光景・・・

 朝、本務校の2駅手前のJR元町駅で降りて、大丸神戸店前のスクランブル交差点、昼間の光景でもなく、夜の光景でもなく、大丸の照明は落ちて、人影も車も疎らなスクランブル交差点です。

 トアロード、旧居留地と、北野の異人館街の旧トアホテルをつないでいた南北の通り、そのトアロードと三宮センター街の交わる横断歩道です。道幅よりも、ずっと横幅が広い横断歩道です。

三ノ宮センター街、この南北に横断する道が、旧・西国街道です。生田神社の参道でもあります。

神戸のメインストリート、フラワーロードです。道の向こう側が、そごう神戸店です。江戸時代には、ここに生田川が流れていました。この上流が布引の滝で、生田川の付け替え後は「滝道」と呼ばれていたそうです。

 そのフラワーロードを浜側、港方面の光景、

 JR三ノ宮駅から階段を下りて地下街へ、幾つかの地下街が接続されており、それぞれ深さが違います。

 旧・西国街道下の地下通路です。昔、この通路は、市電の停留所を結んでいた地下通路で、市電の停留所へ上がる階段があります。

 JR灘駅近くの、阪急電車の高架です。この辺りに神戸市の市境の東端となって、阪急電車はこの辺りに終点の神戸駅があり、此処からは市電で市内に入っていたそうです。

 仕事帰り、垂水駅の西口広場から西の空を見上げた光景です。

元町から三ノ宮

 早朝の、元町の裏道、元町商店街と南京町を結ぶ路地裏です。

大丸神戸店前のスクランブル交差点。夜と違って、大丸の照明は消え、車も人影も皆無で、静かな光景です。

 三ノ宮センター街の、南側の路地裏道、東の空に青味が帯びているのが目に入りました。

三宮センター街に川西英の「背山眺望」には、対になる作品があるとのこと、今朝は探して見つけました。

 川西英の「港俯瞰」(Bird’s eye view of the port)です。こちらは港の光景がステンドグラス状で掲げられています。

 JR三ノ宮駅の南側の通路で、駅のホームを見上げる箇所があります。

 最近、小規模の24時間営業のジムが増えています。此処も、時々横を通りますが、早朝に関わらず、ガラス越しに中を見ると、誰かが汗を流しています。プール等の大規模な施設はないようです。

 今日は早引きして、須磨行の普通電車で、須磨駅のホームで快速待ち。須磨駅は、ホームの浜側がすぐに砂浜となって、海を見渡せます。

理性からの逃走

夏目漱石は、小説「草枕」の冒頭で次のように書いています。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 小説のタイトル「草枕」を”The Grass Pillow”と訳さずに”The Three-Cornerd Word”と訳したのがAlan Turneyです。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」から「三角のうちに住む」・・・三角の世間・・・The Three-Cornerd Wordを英訳「草枕」のタイトルにしています。

“An artist is a person who lives in the triangle which remains after the angle which we may call common sense has been removed from this four-cornered world.”

そのAlan Turneyが冒頭の「智に働けば角が立つ。」を

Approach everything rationally, and you become harsh.

と訳しています。”rationally”は、一般に「合理的」と訳されますが、Alan Turneyは「智」の訳語として”rationally”という単語を充てています。一般に「智」の訳語としては”wisdom”や”intellect”, “intelligence”という単語が充てられ、他の「草枕」の英訳では、

Relying on your intellect makes you harsh and rigid.

「知性に頼ることで、頑固で厳しくなる」(私訳)というようなニュアンスなのですが、Alan Turneyの訳だと「ものごとを合理的に捉えようとすると、頑なになる」(私訳)というようなニュアンスとなって、小説の冒頭の有名なフレーズの捉え方が異なってしまうように思います。

 漱石が草枕の冒頭で「智に働けば角が立つ。」というフレーズに込めた思いは、その後の「~詩が生れて、画が出来る。」につながることを考えると、”intellect”(知恵、知性)よりも、”rationally”(合理的、理性)という単語の方が、コンテキストを考えると、より「漱石の智」に近いニュアンスのように感じます。

「智」の対極として「情」ではなくて「芸術」(詩や画」が、この後の草枕の中ではスポットライトがあたることを考えると、合理的な考え方や理性的な捉え方から脱して、詩画の世界(Three-Cornerd Word)を目指すのが、小説「草枕」のテーマとも言えます。まさに小説の冒頭の「智に働けば角が立つ。」は、『理性からの逃走』の序章です。

“Escape from Reason”

 漱石の小説「草枕」テーマそのものをタイトルとした本があります。邦訳は「理性からの逃走」です。Francis A. Schaeffer というアメリカの牧師であり神学者の著作です。

F.A.Schaefferは、近代的な神学(いわゆるリベラル主義)に対抗して、伝統的な信仰(いわゆる福音主義)への回帰の立場をとっています。

リベラル主義とは、伝統的な宗教・信仰を、個々の信仰者の理性の光で照らして、歴史的で保守的な教理体系から自由になることです。「信仰よりも理性」を優先するような立場です。

F.A.Schaefferは、その理性から逃げ出して、伝統的な信仰への復興を目指して、それを著作「理性からの逃走」で言い表しています。

 漱石は、理性から逃走して、詩画の世界へ・・・

 F.A.Schaefferは、理性から逃走して、伝統的な信仰への回帰を・・・

 漱石とF.A.Schaefferの、近代的で合理的な捉え方の窮屈さを脱したいという思いに、アナロジーを感じました。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」、常識で縛られた合理主義を脱するのは、芸術家だけではなくて、信仰者も同じかもしれません。

1・17 阪神・淡路大震災から23年

ここ何年か、1月17日の午前5時46分の震災の時刻を、神戸・三ノ宮の東遊園地での「阪神淡路大震災1.17のつどい」で、多くの方々と黙祷の時を持っていました。今朝は天気予報では雨だったので、23年前の地震に遭った同じ部屋で黙祷をするつもりでした。

 夜半からの雨が降り続いていましたが、気温は低くなく、ずっと1月17日の朝は東遊園地に出向いていたので、遅ればせながら東遊園地に向かうことにしました。

 午前5時46分の「時」はJR垂水駅のホーム、静かに眼を閉じました。

 三ノ宮駅からさんちかの地下街を歩いて、市役所の前を通って東遊園地へ、6時20分ぐらいで、雨降る東遊園地から駅に向かうたくさんの人とすれ違いながら到着しました。下はぬかるんで、一面、傘・傘・傘・・・

 いつもは、すべての竹灯籠が明々と輝いているのですが、雨で消えている竹灯籠が多かったです。新たに竹灯籠を灯そうとする人がいると、待ち構えたようにテレビカメラやレポータが寄ってきて、カメラマンはレンズを向けて、レポーターはマイクを向けます。雨で足早に帰った人が多く、朝のニュースの時間帯に、生放送向けのマスコミ関係者が多い感じです。

 おびただしい数の竹灯籠、午前5時46分の前後は、もっと火が灯っていたのかもしれません。

 東日本大震災で大きな被害があった福島から運ばれた雪でつくられた雪ダルマが、雨に遭っていました。

 東遊園地を後にして、三宮の牛丼屋さん「なか卯」で朝定食を食べて、職場に向かいました。

黎明の街の貌

いつも1駅手前の三ノ宮駅で降りて、30分ほど歩いていますが、今朝は2駅手前の元町駅で降りて45分ほど歩きました。

 元町商店街のひとつ北側の筋道、「水銀灯」の光で照らされた道筋・・・

 南京町は、「高圧ナトリウム灯」のオレンジの光で耀いていました。

 そして元町商店街、昔の西国街道の道筋だったそうです。ここは「白熱灯」の光で、デジカメで撮っても自然な感じです。

 三宮センター街に川西英の「背山眺望」(Downtown kobe with mountain range in background)がアーケードの上部に、ステンドグラス状で掲げられています。昼間は見上げることなく通り過ぎますが、早朝は、遠くから凝視しています。六甲山系を描いた作品です。

 休日のセンター街は、人で渦巻いていますが、早朝は、納品のトラックが停まって、静かな佇まい・・・

 センター街を抜けると、フラワーロードです。横断歩道を渡りながら、港方面を撮った写真です。高いビルが市役所です。6時半過ぎで、南の空の端が、夜明けを感じる赤味を帯びていました。このような光景を、彼は誰時(かわたれどき)というのでしょうか?

今日の活動量
・活動量 956kcal
・総消費 2418kcal
・燃焼脂肪量 52.9g
・歩数 13903歩
・歩行距離 10.3km
・階段 550歩
・早歩き 9287歩

“人間の業”の肯定

故・立川談志は、「落語とは”人間の業”の肯定」という主張をしていました。あるがまま、眠たくなったら寝て、呑みたくなったら酒を呑む、時によっては、「これだけはしてはいけない」ということをやってしまうという”人間の業”をも肯定するのが落語・・・と談志は言っています。

 ”人間の業”そのものの噺家が、古今亭志ん生だったのかもしれません。酒を呑んで高座に上がって、呂律が回らなかったり、高座で眠ってしまったり・・・

 その志ん生が、”人間の業”を肯定する噺「黄金餅」を演じると、まさに落語の、ある意味での真骨頂なのかもしれません。悪いことをして、それが成功して、そして幸せになりました。という正義とは無関係な噺です。それを「芸」として演じるのが落語・・・

 松本清張原作の映画「疑惑」は、まさに桃井かおりが演じる”人間の業”そのものの悪女の話です。冤罪で殺人罪の被疑者・被告となって、反省するでもなく法廷で悪女ぶりを発揮して、でも最終的には無罪となる話。

 悪女を一環として通して、無罪後も反省することなく、無罪を勝ち取った岩下志麻演じる弁護士の白いスーツに、赤ワインをかける桃井かおり・・・

 被告の桃井かおりを同情して弁護したわけではなくて、あくまでも弁護士として、真相を究明して職務をまっとうしただけだと応酬して、桃井かおりの顔面にワイングラスのワインをかける岩下志麻・・・

 最後に、舞台となった富山を去るシーンで、裁判の報道で一躍有名になった桃井かおりをホームから奇異の目で見る人々に対して、薄笑いを浮かべて煙草をくゆらすシーンで映画は終わります。

 桃井かおりと岩下志麻という、みずからの生き方を貫く女性2人にコントラストも見ものですが、1シーンしか出番がない真野響子の演技も、岩下志麻役の弁護士のありようを浮き彫りにしてくれます。

 真野響子の朗読は、舌足らずで、なんでこんな人が朗読するんだろうと十代の頃は感じていましたが、この映画でも・・・舌足らずでした。でもそれが活かされた役回りで、岩下志麻との「差異と相似の複雑な関係」が面白かったです。 

 真野響子は、ちゅらんさんでの少しおどけた母親役の印象が強くなってしまっていますが、御宿かわせみ、更に遡れば、大河ドラマ「風と雲と虹と」と、この頃の真野響子は、まだコミカルな役回りではなかった頃です。

 悪い人間が、でも悪いことしなくても、真っ先に犯人と思われ断定されていく過程。そして好き嫌いを別として、事実と照らし合わせて客観的にバイアスを取り除いて真実を浮き彫りにする切り口。主観と客観ということを考えさせられる映画でもありました。

春の雪

 映画「疑惑」を注文した時に、ついでに、これまで見たくても見逃したままの映画を、DVDで安く中古で入手できれば一緒に注文しようとAmazonで検索しました。

泉鏡花「外科室」 1992年に映画化
三島由紀夫「春の雪」 2005年に映画化

残念ながら「外科室」のDVDは中古でも1万円を超えていたので断念、「春の雪」は中古でリーズナブルな価格でしたので注文、そして届きました。 

 三島由紀夫の「豊穣の海」は

第一部『春の雪』
第二部『奔馬』
第三部『暁の寺』
第四部『天人五衰』

第二部「奔馬」は映画化されていませんが、同じ時代背景の「ラストサムライ」を2~3年前に中古で買って・・・買ったまま観ていないことを思い出しました。

 三島の作品は、学生時代に文庫本で揃えていましたが、何度か引っ越しする中で、誰かに譲渡したのか手元になく、豊穣の海はが収録されている新潮社の三島全集13と14を10年ほど前に買っています。

 「春の雪」が収録されている三島全集13の巻頭には、三島のモノクロの写真があります。

 小説「春の雪」で、最後の部分で、春の雪が降る奈良が舞台となって、そのシーンが印象的です。映画ではどのように表現されているか?こんどの週末にでもゆっくり観ようと思います。