ヴィオラとピアノの響き

 今日は、生憎の雨模様の一日でした。

 仕事帰りに、知人から招待券をいただいたヴィオラリサイタルのために西宮の県立芸術文化センターへ向かいました。久しぶりの阪急西宮ガーデンズです。

 県立芸術文化センターのエントランスの光景がお気に入りで、何枚か写真を撮りました。

 リサイタルは、小ホールの神戸女学院ホールです。このエスカレータの上です。

 雨で、直接向かったので、開演前の行列の前の方でした。

 小ホールは、全体がウッディーで、天井が高くて音が綺麗に響きます。ご招待いただいた方がピアノで、ジョージア出身のヴィオラ演奏家とのリサイタルです。

 最初はヴィオラだけで、バッハの無伴奏チェロ組曲1番、チェロの響きが素敵な曲ですが、ヴィオラの演奏も、また違った良さがあって聴き惚れました。

次がシューマンの「おとぎの絵本 ー ピアノとヴィオラのための4つの小品」です。ピアノとヴィオラとのセッションのようなやりとりを楽しく聴きました。

 休憩を挟んで、バルトークの「ヴィオラ協奏曲」は、聴いていて、うっとりとしました。その後、ゆったりとしたロマンスや、リズミカルなダンスの曲等々、後半は小品が続きました。

 新年度に入って、多忙な3週間でしたが、ゆったりと音の響くホールで、ヴィオラとピアノの響きを聴いて、疲れがとれたような感じです。

 リサイタルが終わって・・・振り返ると、雨に濡れたホールの照明の輝きが綺麗でした。

半分、青い

今朝はJR神戸線、元町駅で降りて2駅分を歩きました。早朝の高架下商店街・・・

 高架下商店街の東の端を出ると、エアーポートバスの乗り場です。関西空港行きと、伊丹空港行きが、ほぼ交互に此処から出発しています。

 新生田川添いの桜並木・・・若葉の陰に、サクランボの小さな実が成って、朝日を浴びて赤く輝いていました。

 毎朝、朝ドラを録画して夜に見ていますが、仕事から帰って、今朝の録画分を見ようとしたら・・・先週の土曜日放送分を未だ見ていなかったことに気付きました。

「半分、青い。」というタイトル、放送が始まって2週間が経ってもタイトルの意味がわかりませんでしたが、先週土曜日の放送分で「半分、青い。」というタイトルとなったような、空半分が白い雲で、残りの半分が青空の光景・・・

 この光景を目にして、ヒロイン・楡野鈴愛の子役時代を演じる矢崎由紗が、空を見上げて「半分、青い。」と口にしていました。鈴愛は左耳をムンプス難聴で失聴して、回復しないと診断され、それを本人が知って、葛藤しながらも気持ちを切り替え、同級生の律や、家族に支えられながら、難聴独特の感覚を愉しもうとして歩み始める・・・という設定、それが「半分、青い。」というタイトルとして顕われていることが、やっとわかりました。

先週で子役は終わって、今朝放送分からは、永野芽郁が演じているようですが、観るのは明日です。

今日の活動量計
・脂肪燃焼 2時間43分
・有酸素運動 9分
・無酸素運動 1分
・歩数 13372歩
・活動カロリー 968kcal
・総カロリー 2805kcal
万歩計では
・歩数 17419歩
・歩行距離 12.9km
・階段 620歩
・早歩き 9562歩
活動エネルギー 1196kcal
総カロリー  2857kcal
燃焼脂肪量 63.8g

桜とラーメン

 本務校の最寄り駅であるJR神戸線の灘駅の一駅手前の三ノ宮駅で降りて、一駅分を歩く途中に、新生田川を渡ります。川沿いには桜の木が植えられていますが、蕾が膨らんで、開花の一歩手前状態です。

 灘駅の北口に、以前喫茶店があった処が閉店して、少し前からラーメン店としてオープンしています。半月ほど前に一度お昼を食べましたが、今日も、ここでお昼を食べました。

 ひょっとしたら喫茶店のまま、居抜きなのかもしれません。店の名前は「さざん」・・・店内でサザンオールスターズのライブ映像が大型ディスプレーで流れていました。

 照明は裸電球です。

 あっさりラーメンとチャーシュー丼のセット、結構、満腹感があります。

 灘駅の北口の桜の木も、ほぼ開花状態です。やわらかい春の陽射しを受けて輝いていました。

 道端の低層の草花も咲いていました。すっかり春めいていました。

レンタルCD

レンタルビデオの当時からTSUTAYAの会員となって、ビデオテープを借りていましたが、その後、今の職場になって、途中下車して三宮のTSUTAYAでCDたDVDを借りていたこともありました。会員カードの期限が切れて、そのまま更新していなかったのですが、久し振りにTSUTAYAに行って、会員の更新をしました。

 4枚借りると、1週間で1000円です。古いCDを4枚借りました。

 返却は、行きの出勤時に、三ノ宮で途中下車して、返却ポストに入れました。

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会の、第12回研究発表会が今日の午後、兵庫教育大学 神戸ハーバーランドキャンパスにある兵教ホールで開催されました。

研究発表会のページを作成しました。

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会の、第12回研究発表会
http://itsumi.citykobe.jp/20180318/

甘納豆

 職場の先輩から、甘納豆をいただきました。

 いろいろな豆の甘納豆を時々味わいますが、黒豆だけの甘納豆です。美味しくいただきました。

 甘納豆というと、先代の桂文楽の十八番(おはこ)である「明烏(あけがらす)」を連想します。「朝の甘味は乙だね。」と、甘納豆を食べるシーンで、寄席の甘納豆が良く売れるという逸話を聞いたことがあります。

 残念ながら寄席で、先代・文楽の高座を聞いたことはありませんが、手元にカセットとCDで文楽に「明烏」があり、いつでも楽しめます。カセットは学生時代に買ったもので、何度も繰り返して聴いています。

理性からの逃走

夏目漱石は、小説「草枕」の冒頭で次のように書いています。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 小説のタイトル「草枕」を”The Grass Pillow”と訳さずに”The Three-Cornerd Word”と訳したのがAlan Turneyです。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」から「三角のうちに住む」・・・三角の世間・・・The Three-Cornerd Wordを英訳「草枕」のタイトルにしています。

“An artist is a person who lives in the triangle which remains after the angle which we may call common sense has been removed from this four-cornered world.”

そのAlan Turneyが冒頭の「智に働けば角が立つ。」を

Approach everything rationally, and you become harsh.

と訳しています。”rationally”は、一般に「合理的」と訳されますが、Alan Turneyは「智」の訳語として”rationally”という単語を充てています。一般に「智」の訳語としては”wisdom”や”intellect”, “intelligence”という単語が充てられ、他の「草枕」の英訳では、

Relying on your intellect makes you harsh and rigid.

「知性に頼ることで、頑固で厳しくなる」(私訳)というようなニュアンスなのですが、Alan Turneyの訳だと「ものごとを合理的に捉えようとすると、頑なになる」(私訳)というようなニュアンスとなって、小説の冒頭の有名なフレーズの捉え方が異なってしまうように思います。

 漱石が草枕の冒頭で「智に働けば角が立つ。」というフレーズに込めた思いは、その後の「~詩が生れて、画が出来る。」につながることを考えると、”intellect”(知恵、知性)よりも、”rationally”(合理的、理性)という単語の方が、コンテキストを考えると、より「漱石の智」に近いニュアンスのように感じます。

「智」の対極として「情」ではなくて「芸術」(詩や画」が、この後の草枕の中ではスポットライトがあたることを考えると、合理的な考え方や理性的な捉え方から脱して、詩画の世界(Three-Cornerd Word)を目指すのが、小説「草枕」のテーマとも言えます。まさに小説の冒頭の「智に働けば角が立つ。」は、『理性からの逃走』の序章です。

“Escape from Reason”

 漱石の小説「草枕」テーマそのものをタイトルとした本があります。邦訳は「理性からの逃走」です。Francis A. Schaeffer というアメリカの牧師であり神学者の著作です。

F.A.Schaefferは、近代的な神学(いわゆるリベラル主義)に対抗して、伝統的な信仰(いわゆる福音主義)への回帰の立場をとっています。

リベラル主義とは、伝統的な宗教・信仰を、個々の信仰者の理性の光で照らして、歴史的で保守的な教理体系から自由になることです。「信仰よりも理性」を優先するような立場です。

F.A.Schaefferは、その理性から逃げ出して、伝統的な信仰への復興を目指して、それを著作「理性からの逃走」で言い表しています。

 漱石は、理性から逃走して、詩画の世界へ・・・

 F.A.Schaefferは、理性から逃走して、伝統的な信仰への回帰を・・・

 漱石とF.A.Schaefferの、近代的で合理的な捉え方の窮屈さを脱したいという思いに、アナロジーを感じました。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」、常識で縛られた合理主義を脱するのは、芸術家だけではなくて、信仰者も同じかもしれません。

“人間の業”の肯定

故・立川談志は、「落語とは”人間の業”の肯定」という主張をしていました。あるがまま、眠たくなったら寝て、呑みたくなったら酒を呑む、時によっては、「これだけはしてはいけない」ということをやってしまうという”人間の業”をも肯定するのが落語・・・と談志は言っています。

 ”人間の業”そのものの噺家が、古今亭志ん生だったのかもしれません。酒を呑んで高座に上がって、呂律が回らなかったり、高座で眠ってしまったり・・・

 その志ん生が、”人間の業”を肯定する噺「黄金餅」を演じると、まさに落語の、ある意味での真骨頂なのかもしれません。悪いことをして、それが成功して、そして幸せになりました。という正義とは無関係な噺です。それを「芸」として演じるのが落語・・・

 松本清張原作の映画「疑惑」は、まさに桃井かおりが演じる”人間の業”そのものの悪女の話です。冤罪で殺人罪の被疑者・被告となって、反省するでもなく法廷で悪女ぶりを発揮して、でも最終的には無罪となる話。

 悪女を一環として通して、無罪後も反省することなく、無罪を勝ち取った岩下志麻演じる弁護士の白いスーツに、赤ワインをかける桃井かおり・・・

 被告の桃井かおりを同情して弁護したわけではなくて、あくまでも弁護士として、真相を究明して職務をまっとうしただけだと応酬して、桃井かおりの顔面にワイングラスのワインをかける岩下志麻・・・

 最後に、舞台となった富山を去るシーンで、裁判の報道で一躍有名になった桃井かおりをホームから奇異の目で見る人々に対して、薄笑いを浮かべて煙草をくゆらすシーンで映画は終わります。

 桃井かおりと岩下志麻という、みずからの生き方を貫く女性2人にコントラストも見ものですが、1シーンしか出番がない真野響子の演技も、岩下志麻役の弁護士のありようを浮き彫りにしてくれます。

 真野響子の朗読は、舌足らずで、なんでこんな人が朗読するんだろうと十代の頃は感じていましたが、この映画でも・・・舌足らずでした。でもそれが活かされた役回りで、岩下志麻との「差異と相似の複雑な関係」が面白かったです。 

 真野響子は、ちゅらんさんでの少しおどけた母親役の印象が強くなってしまっていますが、御宿かわせみ、更に遡れば、大河ドラマ「風と雲と虹と」と、この頃の真野響子は、まだコミカルな役回りではなかった頃です。

 悪い人間が、でも悪いことしなくても、真っ先に犯人と思われ断定されていく過程。そして好き嫌いを別として、事実と照らし合わせて客観的にバイアスを取り除いて真実を浮き彫りにする切り口。主観と客観ということを考えさせられる映画でもありました。