バロック

ドイツ語でチェンバロ、英語でハープシコード、フランス語でクラブッサン・・・ピアノが主流になるまでのルネッサンス音楽やバロック音楽の鍵盤楽器として演奏されていた古楽器です。学生の頃から好きだったチェンバロは、NHK-FMの朝の番組『バロック音楽のたのしみ』で出逢いました。

『バロック音楽のたのしみ』で解説をしていたのが皆川達夫です。今日、皆川達夫の訃報に接しました。皆川達夫は、隠れキリシタンが歌い継いだ宗教音楽「オラショ」の研究者でもあり、皆川達夫の「オラショ」の本が手元にあります。本棚から久し振りに取り出しました。

 数年前に、平戸・長崎を訪れて、キリシタンの足跡を辿った時にも久し振りに本棚から取り出しました。

 女流指揮者の西本智実が、7年前にサン・ピエトロ大聖堂での枢機卿ミサで「オラショ」の原曲であるグレゴリオ聖歌を、長い時の流れを越えて復元演奏した時の映像を先日見たばかりです。

バッハのチェンバロ曲はウォークマンにも入れて、通勤の電車の中でよく聴いています。学生時代、皆川達夫の解説に、中世に思いを馳せてチェンバロやパイプオルガン、モノフォニーの合唱曲を聴いていた頃を思い出しました。

いつの頃からか,日曜の朝8時のニュースが終わってから流れてくるシューベルトの楽興の時のピアノの調べが流れて宮川達夫の低くてソフトな口跡で語り始まる「音楽の泉」というラジオ番組を聴くひとときを、時々愉しんでいました。ここ数年は日曜の朝にラジオを聴くことがなく、この3月で音楽の泉の解説を辞めておられたそうです。

発出

最近、ニュース等で耳にすると引っかかるのが「発出」という言葉です。「 緊急事態宣言」に際して「発出」という、これまで耳にしたことがない言葉を使われています。

法治国家としての法令や省令、規則とは異なりますので、発布や公布という言葉を使うことが出来ないですし「発令」という言葉を使えば「戒厳令」のような緊迫感を伴うことを嫌って「発令」という言葉に辿り着いたのかなあ~と、勝手に想像しています。

ネットで検索すると・・・私と同じように「発出」という言葉に違和感を感じる方々が結構多いようで、「耳慣れない」や「耳障り」という表現まで検索されました。

書き言葉としての「発出」を目にすると「出発」を逆さまにした言葉で、意味としても「出発」に近いニュアンスを持っています。でも話し言葉としての「はっしゅつ」は滑舌が悪いと・・・確かに「耳障り」の悪い言葉ですし、言いにくい言葉です。

「発出」という言葉をニュースで耳にするたびに、何故、こんな言葉を敢えて使うのだろう?と単純に疑問を感じてしまいます。「お役所仕事」として無難な言葉なのかもしれませんが、センスが良い言葉とは、思えません。

蟄居

学校を出て、本社研修を終えて発表された配属先が千葉の柏、5月の連休明けに赴任して、新卒で勤めた会社に3年あまり居ました。工学部しかない単科大学で、今から思えば、あまり一般教養が身についていないままに社会人になったように思います。

 社会人になって、しばらくして知人との会話のやりとりの中で「~~今は蟄居中だから~~」と話すの耳にして・・・その時は意味がわからずに聞き流した覚えがあります。

2月下旬ぐらい、新型コロナウイルスが日本で感染者が出て、クラスターという言葉がニュースで頻繁に使われるようになった頃から、週末は蟄居のような状態が続いています。

ほんとうの蟄居は、閉門した上で一室に謹慎することであり、刑罰として処せられるものであるのに対して、現在の「外出を控えるように」というのは、あくまでも自粛であって、蟄居というよりも閉門に近い状態ですが、なんとなく社会的に蟄居を強いられているような感覚に陥っています。

 今日は、2年前に今のノートパソコンを買うまで使っていた「一代前のパソコン」がそのまま放置されていたのを、これもLinux搭載機にしました。

 今週の後半は、十数年前の古いWindowsXPのノートパソコンを、980円で512MBのメモリを増設することによって、メインメモリーが768MBになって、最軽量と言われているPuppy Linuxを動作させることが出来ました。

「一代前のパソコン」は、Windows7時代のパソコンで、購入したのは7~8年だったと思います。その後Windows8,Windows8.1、そしてWindows10にアップグレードして数年以上使っていたのですが、キーボードのよく使うキー(AやI,O,N)の表示が消えたり、いろいろなソフトを入れたり2度もアップグレードをして為か、起動だけではなくて動作自体もモッサリしたので2年前に買い替えたもので、使っていませんでした。

 今、Linuxの世界で、もっともシェアが高いのがUbuntu系で、これをインストールしました。またWindowsマシンとして使うかもしれないこともあって、HDDを取り外して、アクセスの速いSDDに入れ替えて、Ubuntuをインストールすることにしました。

 Amazonから3000円で買った120GBのSDDが届きました。

 形状やピン配置は、HDDとまったく同じです。HDDは回転するメカがあり磁気記録ですが、SDDは半導体素子の塊で、完全にスタティックです。そのまま差し換えできます。

 ノートパソコンの裏蓋を空けると、HDDが見えます。中央の円形の金属がハードディスクのディスクを回転させる為の駆動系、モータ部分です。

 このHDDを取り出して、購入したSDDを装着しました。駆動部分がないので、円形の金属部分がありません。軽量です。

 デバイスとして認識することを確認して、Ubuntuをインストールしました。WiFi経由のネット接続も問題なく、日本語表示・入力も問題なく、スムーズにLinuxマシンとなりました。

 換装前の、HDDでWindow10では操作をしてもモッサリ感がある動作でしたが、SDDに換えてUbuntuにすると、結構キビキビと動きます。

 地方公共団体では、ソフトに掛る予算を削減できるために、WindowsからLinuxへ切り替えるケースが少なくないようです。以前は科学者や専門家をユーザとしたLinuxでしたが、今のLinuxはユーザフレンドリーで、Windowsと遜色がない使い勝手のように感じます。

緊急事態宣言が、全国が対象となって、期限が5月6日まで、今後の状況で、どうなるかわかりませんが、ちょうど(暦の上での)啓蟄の頃から蟄居状態が続いているので、連休明けには、(社会的な意味での)啓蟄を迎えたいと願っています。

スローモーション

古いJ-POPの「スローモーション」という曲を耳にして、そのフレーズが気に入って、YouTubeで楽しんでいます。中森明菜さんが歌ってヒットした曲です。

せっかくなので、久し振りにTSUTAYAで、中森明菜のCDを借りました。カバーのCDが何枚もあって、4枚借りました。

J-POPのカバー、古いフォークソングのカバー、そして演歌(艶歌)のカバーのCDです。

 自宅に戻って・・・肝心の「スローモーション」が入ったCDを借りていませんでした。いろいろなカバーCDがあって、あれこれ見ているうちに、TSUTAYAで借りるはずの本来のCDを借りていませんでした。

流行感冒

ここ一ヶ月ほどの間、ニュース番組では新型肺炎の関連が大半を占め、身近な生活においてもいろいろな影響が出ています。

志賀直哉の作品に「流行感冒」という短編があります。

千葉の我孫子に住んでいた頃に、流行感冒が流行って、志賀直哉の家の者が罹って、ひじょうに神経質になった自分自身のことを書き綴った作品です。

 志賀直哉自身は、流行感冒に対してひじょうに神経質になっているのに対して、周囲の者はそれほど神経質ではなくて、それに対して苛立つ自分自身のことを写実的に描いているのが面白い作品です。

 人混みの多い処に出掛けずに、とにかく他者との接触を避けるというのは。現在の新型肺炎にも通じるものがあるというか、基本中の基本かもしれません。

 大正中期頃の作品で。おそらく「スペイン風邪」のことだと思いますが、スペイン風邪の感染者は当時は約5億人以上と言われて、、死者も1億人近くになったようです。この当時の世界の人口が約20億人と推定されるので、全人類の約4分の1ぐらいの感染率だったようです。

 今の新型肺炎、まだまだ収束する気配はないようで、社会全体が自粛モードに入っているように思います。

乃木

 昨日の9月13日は、乃木希典が妻・静子と共に明治天皇の大葬があった日に殉死して日です。乃木希典は明治時代の陸軍大将で、西南戦争,日清戦争,日露戦争に従軍しています。日露戦争では,水師営においてロシアの将軍ステッセリと会見したことが唱歌『水師営の会見』となっています.戦争に勝った日本の代表として、敵の将軍のステッセリに対して礼を重んじて扱ったことが、当時のヨーロッパで高い評価を受けていました。また、学習院の院長として、昭和天皇の幼少期の教育に携わったことでも有名です。

 今朝、黒板に「乃木」と書いて、「何を連想しますか?」と問い掛けると「乃木坂」という答えが返ってきました。確かに乃木大将の住んでいた家の前の坂が、乃木大将の死後に「乃木坂」と命名され、今は乃木神社の前の坂になっていますが、でも「乃木坂」と乃木大将とは結び付かないようです。

 当時の日本にはテレビもラジオもないので、乃木大将の殉死の報は、翌朝の新聞で知られることになりました。漱石の「こころ」でも、「先生」が新聞で乃木大将の死を知る場面が、大きな意味を持って書かれています。

「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。 平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、 腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて 始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が 殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと 答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい 意義を盛り得たような心持がしたのです。
 それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜 私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞き ました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に 去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行った ものを読みました。西南戦争の時敵に旗をられて以来、 申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで 生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立て一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。
 私は妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
     「こころ」夏目漱石 より

「世界は朝から始まったの?」

 今朝のNHKのラジオの「夏休み子ども科学電話相談」のトップバッターが小学校1年生の女の子で、質問内容が「世界は朝から始まったの?」

 アナウンサーが「どうしてそう思ったの?」と聞いたのに対して、その女の子は「お空を見て思ったの」と答えたそうです。回答者の先生は「お空見てたらそういう風に思ったんだ、すごいね」と感心したとのこと、素朴な疑問って、大切だなあ~と感じました。

 朝の神戸市道夢野白川線は、大変混雑していました。

 鵯越の交差点へのトンネル付近が、半月前の豪雨で土砂崩れが起きて、まだ復旧していません。車線規制があり、鵯ICから宮川町の交差点へ向かいました。

 久し振りに上筒井通を走ると・・・週刊誌を100円で売っている店を目にして、なんとなく懐かしいなあ~と感じました。この店は車窓からしか見たことがありませんが、おそらく発売日から2~3日経った週刊誌を扱っているのだろうなあ~と思っていました。

 午後、真っ青な夏の空に、真っ白な白い雲がクッキリ・・・

 真夏の光景が広がって、台風が去った神戸は猛暑が戻りました。

ディアスポラ~シナゴーグの前にて

今朝はJR神戸線・神戸駅で降りて、これまで元町商店街(旧・西国街道)、栄町通り~旧居留地、ハーバーランド~メリケンパーク、JR高架沿い、山手幹線、回教寺院通り・・・と、いろいろなルートを歩いたので、今日は、トアロード経由で、北野異人館通りを歩きました。

山手幹線を、中山手通り3丁目の交差点まで歩いて、そこから山手に向かうトアロードの坂道を歩きました。 

 明治12年にオリーブの苗木を植えたことに始まる国立の神戸阿利襪園(オリーブ園)跡(現在は北野ホテル)を通ると、坂もかなり急になります。車だと坂の勾配をなかなか実感できませんが、昨年自転車で、此処で息が上がりました。

現在は、神戸外国倶楽部がありますが、此処にかつてトアホテル(Tor Hotel)がありました。 

北野異人館通りは東向きの一方通行の細い道です。歩道と車道の境のポールの上部に、このような模様が・・・

 真っ白い建物の壁面に「関西ユダヤ教団」というプレートがありました。 

 この建物は、ユダヤ教のシナゴーグ(synagogue・会堂)でした。東京にシナゴーグがあるのを耳にしたことはありましたが、神戸にシナゴーグがあるのを、この建物の前に立つまで、知りませんでした。

 元々ユダヤ教では、終戦40年の、当時の西独のワイツゼッカー大統領の記念演説「荒れ野の40年」にもあるように、幕屋(ミシュカーン・mishkan)と呼ばれた移動式テント神殿を持っていました。幕屋はモーセの指示によって、ベツァレルがつくったことになっています。

 モーセによってエジプトを出て、シナイ半島の荒れ野を40年間彷徨った後、ヨルダン川を渡った後はヨシュアが指導者となりますが、ヨシュアの後は、士師(Judge)がイスラエルの民の指導者として、預言者サムエルまで続き、そしてイスラエルの民は国王をいただくようになります。

 ダビデ王の子・ソロモンによって紀元前10世紀に神殿(ソロモン神殿)が建設され、その後、バビロン捕囚からの解放後の紀元前6世紀にゼルバベルによって再建された第二神殿、そしてヘロデ大王によって大拡張されたヘロデ神殿・・・ユダヤ教は神殿を中心とする宗教となった経緯があります。

 紀元70年、ユダヤ戦争においてローマ帝国軍とアグリッパ2世によって神殿を破壊され、現在残っているのは、神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分だけで、これが「嘆きの壁」と呼ばれています。これによってユダヤ教は、神殿を中心とする信仰生活を奪われたことになります。

 ディアスポラ(Diaspora)・・・神殿を失ったイスラエルの民は、各地に散らばって、シナゴーグと呼ばれる会堂で、聖書(モーセ五書等の所謂旧約聖書)の朗読と解説を中心とするコミュニティーの信仰へと変遷して現在に至っています。

 神戸のシナゴーグの前に佇んで、荒れ野の40年における幕屋、イスラエル王国の樹立と壮大な神殿、そして嘆きの壁とディアスポラ・・・走馬灯のように歴史が頭の中で駆け巡りました。

 異人館が立ち並ぶ、観光化された北野異人館通りを歩いて・・・

 かなり大回りをしたので、加納町3丁目の交差点から、三ノ宮駅に向かって、一駅電車に乗りました。

 万歩計では
・歩数 17908歩
・歩行距離 13.2km
・階段 720歩
・早歩き 10895歩
・活動エネルギー 918kcal
・総カロリー  2579kcal
・燃焼脂肪量 49.4g

今日の活動量計は、
・脂肪燃焼 1時間38分
・有酸素運動 5分
・無酸素運動 0分
・活動カロリー 762kcal
・総カロリー 2483kcal
・歩数    17078歩