「ヴェルフリ」と「蛙の祈り」

 一昨日の「感覚をつないでひらく芸術教育を考える会」の基調提案で,アウトサイダーアートの作家・アドルフ・ヴェルフリの紹介があり,大変興味を持ちました.本務校の近くの県立美術館で1月11日—2月26日まで「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」の特別展があったのですが・・・遅かりしです.

 3月7日〜4月16日まで名古屋市立美術館で開催されていますが,わざわざ名古屋まで行くのは遠いです.とりあえずヴェルフリ展の図版をamzonで注文して,今日届きました.

 一か月ほど前に注文していて取り寄せだったAnthony De Melloの”The Prayer of the Frog”がやっと発送とのことで,これも今日届きました.それぞれ別々の便でした.

 アントニオ・デ・メロ神父の「蛙の祈り」は手元にあって,長らく本棚に飾っていただけでしたが,ふと久し振りに読んで,思わず英語版を注文していました.届いた本を見ると・・・日本語版と異なります.「??」だったのですが,よく見ると”The Prayer of the Frog Vulume Ⅱ”・・・続編でした.ちょっとショックです.ネットでリサーチしたのですが”The Prayer of the Frog”はもう販売していないようです.でもFreeのPDF版を見つけて早速ダウンロード,iPadに入れました.

 iPad miniなので,ちょっと字が小さくて見えにくいです.

10inchのiPadが欲しくなりました.

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会の第11回研究発表会が兵庫教育大学 神戸ハーバーランドキャンパスの兵教ホールで午後から開催されました.

 今回は3つのワークショップ,そして研究発表が1つ,そして兵庫教育大学の大学院生によるパフォーマンスが4つでした.

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会第11回研究発表会のページを作成しました.
http://itsumi.citykobe.jp/20170320/ 

 研究会後の懇親会が神戸駅近くの居酒屋で3時間あまり,関西と首都圏の言葉や文化の違いの話題から話に華が咲いて,関西の祭りのスピード感の違いの話となり,「コンコンチキチン,コンチキチン」が今も耳に残っています.

大谷美術館

 お昼の時間に,職場の先輩と大谷美術館を訪れました.大谷美術館が新しく所蔵した二見彰一の銅版画の展示があるとのことでご一緒しました.

 大谷美術館は,実業家の大谷竹次郎の収集したコレクションを旧大谷邸で展示するような美術館だそうです.玄関正面の広いロビーからガラス越しに旧大谷邸の日本庭園を眺めることができ,これが圧巻でした.隣の芦屋市の谷崎潤一郎記念館の庭園も素晴らしいですが,大谷美術館の庭園は広くて圧巻でした.

 旧大谷邸の庭園を巡るような,回遊式日本庭園が良かったです.

 足元に可憐に咲いてたフッキソウが綺麗でした.

 このように大谷美術館を巡るような道筋があります.

梅が庭園の彼方此方で綺麗に咲いていました.

 展示よりも回遊式日本庭園を巡った時間の方が長いかもしれません. 

船村徹

 いつもは,1駅手前のJR神戸線・三ノ宮駅で降りて,約30分を歩いているのですが,今朝は2駅手前の元町駅で降りました.

 元町駅と三ノ宮駅の間が神戸のもっとも賑やかな繁華街かもしれません.元町駅の東口と三ノ宮駅の西口の間にアーケード商店街が連なっています.元,西国街道だった通りです.

 元町駅と三ノ宮駅の中間ぐらいに,南北にトアロードが交差して,アーケード商店街とトアロードが降参する処にある横断歩道です.道幅の広くないトアロードに,幅の広い横断歩道・・・これでも休日には横断する人で溢れます.

 早朝の商店街の風景です. 

 歩いていると雨が降ってきました.三ノ宮駅まではアーケード商店街を通って,雨が降っても大丈夫でしたが,三ノ宮駅から東は,折り畳み傘をカバンから出す必要があります.雨の中を30分歩くのを躊躇って,電車に乗ることにしました.

 雨を避けて三宮の地下街へ・・・阪神電車の三ノ宮駅前です.

 夕方のニュースで船村徹の訃報を耳にしました.

 昭和時代の歌謡曲の作曲家で,船村徹は歌手のちあきなおみを高く評価していました.ちあきなおみのCDに「もうひとりの私 ちゃおき船村徹をうたう」があります.2~3年前に買ったCDです.眠る前のひとときにアルコールを味わいながら,ゆったりと聴くような昭和時代の歌謡曲が収録されています.

 今夜は,ちあきなおみの唄う船村徹の歌謡曲を聴きながら眠る前のひとときを過ごしたいと思います.

二十歳の原点

「独りであること 未熟であること これが私の二十歳の原点である」
      高野悦子,「二十歳の原点」より

 今晩のニュースの後の,7時半からの「かんさい熱視線」は「悩んで もがいて 生きて 私たちの“二十歳の原点”」というタイトルで,高野悦子さんの「二十歳の原点」がテーマでした.

 今でもネット上で二十歳の原点に現れる店を訪れたブログ等を見ることが出来て根強い人気があるとは思っていましたが,テレビで取り上げるとは意外でした.

 高野悦子の弟が持っている「二十歳の原点」の日記の原本が登場して,ちょっと驚きました.

 大学ノートに万年筆で書き綴られた原文がテレビ画面に現われて・・・食い入るように見てしまいました.

 番組自体は,今・現在,「二十歳の原点」を愛読している京都の何人かの女学生のドキュメンタリーでした.

 「二十歳の原点」,私は「はたちの原点」ですが,アナウンサーは「にじゅっさいの原点」とアナウンスしていました.

ヴィオラ・リサイタル

ジョージア出身のヴィオラ奏者,ザザ・ゴグアのヴィオラ・リサイタルの招待を受けて今日は仕事帰りに阪急電車に乗って西宮北口へ.県立芸術文化センターへ向かいました.

 夕方6時過ぎ,ちょうどトワイライトの美しい時間帯でした.
 

県立芸術文化センターのエントランス,広々として趣があります. 

 会場は,神戸女学院小ホールです.開場の6時半になると一斉に入場です.

 ここは,アリーナ形式で,舞台を取り囲むように客席が配置されています.このタイプのホールは関西初だそうです.

 最初はバッハの無伴奏チェロ組曲第5番をヴィオラで演奏です.無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータも好きですが,ゆったりとした無伴奏チェロ組曲は落ち着きます. ヴィオラの演奏・・・うっとりと眠りそうになるほど心地良い演奏でした.ヴィオラの音の響きも良かったです.

 ここからは井上朋子さんのピアノの演奏が入って,シューマンの「アダージョとアレグロ」はピアノとヴィオラのメロディーのやりとりが軽快でした.続いてブラームスの「メロディ」は,優しい調べで,ヴィオラの弦の響きが良かったです.

 ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは,ショスタコーヴィチの死の直前の作品で大作でした.静かに曲が始まって,第2楽章のアレグロは踊りがテーマ,そして第3楽章のアダージョは死がテーマだそうですが,奥深い曲で,私には1回聴いただけでは難解でした.

 最後はジョージアの現代作曲家ツィンツァーゼの3つの作品でした.名前すら知らなかった作曲家でしたが,2曲目の「ホルミ」が軽快でピアノの演奏とヴィオラの響きが印象深かったです.ホルミはアジャリア地方の古代の戦闘舞踏だそうで,剣を持って勇敢に舞うそうです.

 ヴィオラの弦の音とピアノの演奏が響いて,心地良い2時間,あっという間に過ぎ去ってしまいました.

The Lord is My Shepherd

大草原の小さな家(Little house on the Prairie)という古いアメリカのテレビドラマがあります。原作はローラ・インガルス・ワイルダー(1867年生まれで1957年に永眠)による自叙伝的な小説をドラマ化したものです。ネットで検索すると、日本ではNHKで1975年から1982年に放映されていました。

その後何度か再放送されていたようで、埼玉に住んでいた頃に録画したVHSのビデオテープが手元にありますが、テレビにはブルーレイレコーダをつないでおり、ビデオデッキはもう何年もコンセントにつないでいません。録画した番組が手元にあっても長い間見ていません。

 ネットで大草原の小さな家のDVDを見つけて・・・買ってしまいました。

 この中に「ローラの祈り」というストーリがあります。原題はThe Lord is My Shepherd、詩篇23篇がストーリの中心です。

45分の番組を前編・後編で2回分の長編のストーリで、主人公のローラが神への願いのために家出をして、天の神様に近づくために山の頂に登り、そこで神に祈るのですが、神はローラの願いをそのまま叶えるのではなくて、神が最善の方法で恵みを与えるというストーリーです。

主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。

主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。

 詩篇23篇1~4節 新共同訳聖書

ピアノコンチェルト

 遠藤周作の作品に「ピアノ協奏曲21番」という短編集があります。戦争中や戦後、闇市、戦争の心の傷跡を扱った珠玉の小品が集められており、私の大好きな軽井沢を舞台にした「箱」も、この短編集に収められています。

「ピアノ協奏曲21番」は、戦争の悲惨な体験と、モーツアルトのピアノ協奏曲21番の美しい旋律がオーバーラップする作品です。川端康成の短編集「掌の小説」も繊細さと残酷さが入り混じった美しさを奏でる作品集で、遠藤周作の「ピアノ協奏曲21番」とのアナロジーを感じます。

 管弦楽とピアノで共演されるとのことで、演奏会のご招待を受けました。曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲23番、アダージョが悲しくも美しい旋律で大好きな曲です。

 演奏会では、他にモーツァルトのピアノ協奏曲21番、そしてベートーヴェンの交響曲「運命」です。
 

 宝塚のベガ・ホール、初めて訪れるコンサートホールです。阪急電車の清荒神駅で降りるのも初めてです。

 開場15分ほど前に到着したのですが、入り口には長蛇の列ができていました。

 開場時間になって・・・

 それほど大きくないホールですが、パイプオルガンがありました。

 最初にピアノ協奏曲21番の演奏があり、続いてピアノ協奏曲23番です。第一楽章の冒頭での管弦楽の調べの後に静かにピアノが入ってくる感じで始まり、管弦楽とピアノとの軽快なセッションが続きます。

 続いて静かなアダージョ・・・深まりゆく秋という今の季節にピッタリの、物悲しいような、豊かで美しい演奏でした。

 ピアノで始まる第三楽章は、流れるようなピアノと管弦楽とのセッション、前から7列目のちょうど中央の座席は、特等席で、目の前で繰り広げられる演奏が、美しい一幅の絵を見ているようでした。

 *

 最後はベートーベンの「運命」、楽器が増えて、それほど広くない舞台がいっぱいいっぱいという感じでした。演奏は・・・圧巻でした。管弦楽の演奏が生命の賛歌のようでした。