1・17 阪神・淡路大震災から23年

ここ何年か、1月17日の午前5時46分の震災の時刻を、神戸・三ノ宮の東遊園地での「阪神淡路大震災1.17のつどい」で、多くの方々と黙祷の時を持っていました。今朝は天気予報では雨だったので、23年前の地震に遭った同じ部屋で黙祷をするつもりでした。

 夜半からの雨が降り続いていましたが、気温は低くなく、ずっと1月17日の朝は東遊園地に出向いていたので、遅ればせながら東遊園地に向かうことにしました。

 午前5時46分の「時」はJR垂水駅のホーム、静かに眼を閉じました。

 三ノ宮駅からさんちかの地下街を歩いて、市役所の前を通って東遊園地へ、6時20分ぐらいで、雨降る東遊園地から駅に向かうたくさんの人とすれ違いながら到着しました。下はぬかるんで、一面、傘・傘・傘・・・

 いつもは、すべての竹灯籠が明々と輝いているのですが、雨で消えている竹灯籠が多かったです。新たに竹灯籠を灯そうとする人がいると、待ち構えたようにテレビカメラやレポータが寄ってきて、カメラマンはレンズを向けて、レポーターはマイクを向けます。雨で足早に帰った人が多く、朝のニュースの時間帯に、生放送向けのマスコミ関係者が多い感じです。

 おびただしい数の竹灯籠、午前5時46分の前後は、もっと火が灯っていたのかもしれません。

 東日本大震災で大きな被害があった福島から運ばれた雪でつくられた雪ダルマが、雨に遭っていました。

 東遊園地を後にして、三宮の牛丼屋さん「なか卯」で朝定食を食べて、職場に向かいました。

初出勤

 昨日は有給休暇を取得したので、今日が初出勤です。まだ大学生や高校生の通学の姿がないので、朝の電車は比較的空いていました。

 いつもは一駅手前の、三ノ宮駅で降りて30分ほど歩くのですが、あいにくの雨模様でJR灘駅まで。

 朝のモーニングの営業をやっていた駅前の喫茶店が閉店して、その後、年末に改装してラーメン屋さんになって、年末には既に営業していたものと思っていました。 

 普段は三ノ宮駅から歩くので、あまりこの店の前を通ることもなく、今朝、久し振りに店の前を通ると1月5日オープンとのこと、今日です。一番安いラーメンが700円っで、ちょっと高いな~と思っていたら、チラシがあって、200円引きの割引券がついていました。

 久し振りの職場、実家が川崎・小杉の同僚が、年末・年始は実家で過ごしたとのことで、お土産がありました。自由が丘の老舗の和菓子店「鶴屋万年堂」の「ナボナ」の期間限定のミルクティー味のを一ついただきました。上品な味でした。

 ほんとうは年末にすべき仕事を、今日、あわてて資料を作成したのですが、かなり時間が掛かりました。

龍野

 正月2日の朝、普段は通勤の車で渋滞する時間帯ですが、走っている車は少なく、朝のドライブで龍野まで。

 正月2日の朝の龍野の古い町並みは、他に観光客の姿もなく、静かな古都の佇まいを感じながら散策しました。

 龍野は、古い町並みとは別に、川を挟んで龍野の新しい街が広がっており、駅も川の向こう側です。同じように古い町並みとは別の新しい街があるのは・・・伊予の大洲、そして備中高梁、どちらも川を挟んで新しい街が広がって、古い町並みがそのまま残っています。ただ高梁は、駅が古い町並みの中にあります。

 龍野、大洲、高梁の共通点は、寅さんの舞台となったことです。

 龍野城は、普段は自由に入れるのですが、堅く門が閉じていました。正月だから・・・でしょうか?西端の櫓を写真で撮っただけです。この塀の向こう側には龍野小学校の水練場・プールがあります。城跡の旧制中学校があるケースが多いですが、龍野城は、尋常小学校でした

 帰路、普段の生活では高速道路を使うシチュエーションがないので、地元のSAに立ち寄りました。

 大蔵海岸に立ち寄りました。淡路との架け橋が海峡の真ん中にそびえて、冬の柔らかい陽光が海峡の海面を煌めかせて、海面がキラキラ輝いている光景を目にしていると、春のような穏やかな雰囲気を感じました。

 大蔵海岸でゆったりと、穏やかな正月の雰囲気に囲まれて・・・

 午後から、しばらくカバーを被ったままだった自転車の手入れをしました。ちょっとサイクリングを楽しもうかとも思ったのですが、陽射しは暖かいのですが、風が冷たそうで、海岸沿いを走るのは寒いだろうなあ~と・・・自転車の手入れだけで、またカバーを被せました。

台風が残した爪痕

 台風21号・・・昨日の午後から激しい雨,そして昨夜遅くから今朝未明にかけてものすごい風が吹き荒れました。

 昨日の夕刻にはJRも私鉄もほぼとまっていたようです。今朝は台風一過の快晴ではありませんでしたが、雲の合い間から青空が見えて,もう雨が降る気配は感じません。でも強い風が吹き抜けています。大雨警報と強風警報、波浪警報は出たままでした。

 JRは一部の電車に遅れや運休があるとの情報で、いつもと同じ時刻に家を出て駅に向かいました。駅に着くと・・・改札の前に人だかり・・・電車は全く動いていないようです。

 昨夜とまったままで、どうも車両の手配が出来ないようで、順次動き出すそうです。駅でで待つのも嫌なので,並行する山陽電車に乗ることにしました。振り替え輸送はしていないので、三宮まで440円の切符を買いました。

 直通特急で阪神三宮まで・・・まあまあ混んでいました。JR三ノ宮駅の改札には,昨夜の18時頃のダイヤのままで遅延が120分以上・・・昨夜18時過ぎにJRは運行がストップしたのかもしれません。

 三ノ宮駅東口・・・やたらと壊れた傘が道端に捨て去られていました。

 旧西国街道沿いを歩くと,軒下の庇(ひさし)が壊れた店舗が目に付きます。ものすごい風が旧西国街道を吹き抜けたのかもしれません.
 

 いろいろなものが風で倒れたり,飛んで行ったり,飛んで来たり・・・このアパートの前は吹き溜まりのようになって,階段の前が塞がれていました.

 工場跡地が更地になって,そしてコンビニとドラッグストアの工事中なのですが,作業用のプレハブ・ユニットハウスが見事に横転していました。強風が吹き抜けたというよりも,竜巻なみのものすごい風だったのかもしれません.

 Timesの駐車場・・・幸い駐車していなかったようですが,駐車スペースに物置が倒れ込んでいました.

 この店は,日よけの骨組みが強風でもぎ取られたようになっていました.

 工場の上に立てられていた2階建てのプレハブの屋根や天井がなくなっていました.

 この工場は,2階部分が壊滅的です.どれも西国街道沿いです.西国街道を竜巻級の風が吹き抜けたのでしょうか?

 そして・・・高層マンションのベランダの柵がなくなっていました.

 ・・・過ぎ去った台風の残した爪痕

こころ・・・殉死ということ

 明治時代の陸軍大将だった乃木希典は,西南戦争,日清戦争,日露戦争に従軍しており,日露戦争では,水師営においてロシアの将軍ステッセリと会見したことが唱歌『水師営の会見』となっています.

 乃木大将は妻・静子と共に明治天皇の大葬があった日に殉死しています.漱石の小説「こころ」の中で,漱石が乃木大将の殉死について書いています.

「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。 平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、 腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて 始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が 殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと 答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい 意義を盛り得たような心持がしたのです。

 それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜 私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞き ました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に 去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。

 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行った ものを読みました。西南戦争の時敵に旗をられて以来、 申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで 生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立て一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。

 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。

 私は妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。

     「こころ」夏目漱石 より
             

BirthDay

8月25日は,安藤百福が1958年にインスタントラーメンを発明して,世界で初めて発売した日,・・・インスタントラーメンの誕生日です.このラーメンが,チキンラーメンです.

 安藤百福は「瞬間油熱乾燥法を含むインスタントラーメンの基本的な製法」として1962年に特許を登録しています.その後,安藤百福はインスタントラーメンの特許を日清食品が独占していれば,インスタントラーメンは大きな産業として育たないと,日本ラーメン工業協会を設立して即席麺関連の製法に関する特許を公開しています.

 8月25日は,私のBirthDayでもあります.数年前から,8月25日にチキンラーメンを食べるようになりました.

 今年は60周年ということで,このようなパッケージです.
 

 60周年の「トリプルチーズ」というカップ麺も発売されています.
 

5袋入りを買うと,「チキンラーメンひよっこタオル」がおまけでついてきました.

 夜食に,チキンラーメンを食べました.

8月22日から今日まで,軽井沢で静養してきました.

 軽井沢ではレンタサイクルの予定でしたが,自転車を車に積んで行ったので,静養というよりも高地トレーニングに行ったような感じになりました.

 旧軽井沢,旧軽銀座近くの別荘地区で・・・

 白糸ハイランドウェイをドライブ愉しんで白糸の滝を訪れました.

 帰路は旧・中仙道の国道142号で諏訪湖まで・・・諏訪湖を自転車で一周しました.

 「軽井沢行き」のホームページを作成しました.

軽井沢行き
http://itsumi.citykobe.jp/20170825/

夏の朝の風景

今朝の神戸の「日の出」の時刻は5時15分,今朝は自転車で明石・大蔵海岸まで・・・5時半過ぎに,霞んだ東の空の雲の中から,パッと朝日が射し込んで東の空をオレンジ色に染めた朝の光景が綺麗でした.

 新しいホームページを作成しました.

大蔵海岸&舞子海岸 ~ 夏の朝の風景
http://itsumi.citykobe.jp/20170809/

夕方のサイクリング

 今日の神戸は朝から快晴・・・早引けをして遅い午後の期間帯にサイクリングを楽しみました.

 3時半頃に自宅に戻って,すぐ着替えて自転車で西へ・・・舞子海岸から山田川を渡って大蔵海岸,明石の町を通り過ぎて,明石浦漁港を通り抜けて明石川を渡って・・・そして林崎漁港を走り抜けて,播磨灘沿いの海岸線に沿って県道554号姫路明石自転車道線へ,いつもは早朝に,背に朝日を浴びながら走るのですが,久し振りに南西の太陽に向かって走りました.

 明石の江井ヶ島海岸まで片道約15キロ,1時間弱です.朝だと逆光気味で,また霞がかかって江井島から明石海峡大橋をクッキリと眺めることはないのですが,夕方は架け橋に西日があたって江井島海岸からもクッキリと見ることが見ることが出来ました.

 帰路,日が西に傾き・・・海峡越しに見る淡路が黄色く霞んで見えるのは黄砂の影響だと思います. 

 林崎海岸の西側・・・砂浜の一面のハマヒルガオの淡い花に西日があたって綺麗でした.写真の向こうに見える山影は淡路の島影になります.

今日は江井ヶ島海岸までの往復・31キロでした.

  脂肪燃焼  43分
 有酸素運動 59分
 無酸素運動 35分
 最大強度  01分
 
 歩数換算 11914歩
 消費カロリー2144キロカロリー