集中講義

県立大工学部の教職課程の集中講義が昨日今日の2日間,朝から夕方まで連続8コマが終わりました.

 3月末にキャンパスを訪れた時は,管理棟が正門前に引っ越しの真っ最中でした.正門からのキャンパスの光景が・・・変わりました.

新しいホームページを作成しました.

夏の集中講義~県立大工学部教職課程
http://itsumi.citykobe.jp/20170820/

教育工学委員会

 今日は,本務校の期末考査2日目,試験監督の後に教育工学委員会の今年度第一回の会場の準備,研究会の講師のひとりは本務校の教員ですが,もう一人は大阪の教員で早目に来られたので,準備をしている間待ってもらって,食堂でお昼をご一緒しました.

 午後から研究会,一つ目はキャリア教育に関して,自己効力感をキーにして卒業生へのエスノメソドロジー的な研究手法を用いた追跡調査に関するものでした.

 尺度をつくる理論的な話から,卒業生に対するエスノメソドロジー的な実践的なアプローチまで,熱く語っていただきました.

 2つ目は,Unpluggedな情報教育に関してのワークショップです.垂直・水平パリティーから始まって,ペアになって「犯人を捜せ」をゲーム感覚で情報処理を考えるものです.

 アンプラグド・・・コンセントを抜いて,「情報」を考えるワークショップ,私の場合はC&T・・・チョーク&トークで,座学形式で受講者にイメージを伝えることにチャレンジしていますが,受講者にとってはコンピュータ・サイエンス・アンプラグドの方が,楽しく学べるだろうなあ~と思いました.

 情報教育とキャリア教育,どちらも本質的なものが忘れられて,形だけの情報教育とキャリア教育が幅を利かせているように感じます.そんな風潮の中で,お二人の講師の方から,情報教育とキャリア教育の本質に関して学ぶことが出来たと感じました.

日本産業技術教育学会 高校委員会

日本産業技術教育学会 高校委員会の,第2回研究会が滋賀大学の大津サテライトプラザで開催されました.

 滋賀大学の大津サテライトプラザは,JR湖西線の大津駅の目の前,横断歩道を渡ったすぐの日本生命ビルの4階にあります.

 今回の研究会のテーマは「STEM教育とキャリア教育」です.

 オーラルの発表が3つ用意されていました.北海道から鹿児島まで,結構遠方からの参加者もいました.

 最初は,STEMとは何か?愛媛県の理科の教諭からの発表です.

 次にSTEMとキャリア教育に関する意識調査,滋賀県の中学校の技術の教諭からの発表です.

 最後が,教員養成におけるSTEMに関する実践報告,滋賀大学教育学部の学生の発表でした.

発表を聞いてのメモ

・Think Pair Share 意見交換だけで終わらせるのではなくて共同して仮説をつくる

・QUILT Quality Indicators for Learning and Teaching~学びと教えの為の品質指標

・「クッキングスクールのレシピ」と「考え抜く」ということとの対比 Self Learning

・STS  科学(Science)・技術(Technology)・社会(Society)の略で、科学技術の持つ社会的な諸問題をさまざまな角度から研究する、新しい形の科学技術論の研究や教育

・「考え抜く」とは?簡単のできない課題?それとも「できない」を耐えられる耐性,教師のアシストの下に課題が変化?

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午後からの大津での研究会に,早目に自宅を出て京都の街を散策しました.

 京都から大津まで,JRではなくて,地下鉄東西線から京阪京津線の直通電車に乗りました.地下鉄から峠越えの山岳電車のような車窓,そして大津市内では路面電車のような併用軌道の区間と,車窓の景色が面白かったです.

 京~大津(梅雨の晴れ間の寄り道)というページを作成しました.
http://itsumi.citykobe.jp/20170624/

教育実習

 先週の月曜から今日の金曜までの2週間,教育実習生の指導担当となりました.先週は授業見学で,今週は授業実践,そして最後の授業が研究授業でした.

 3年生の選択科目「電気基礎」と1年生の必修科目「情報技術基礎」の2科目,計6時間で授業実践してもらいました.

 電気基礎は履修登録が23名で,数学の授業で学習していない加法定理と積分の説明が必要となります.むつかしい箇所の担当となって,1回目の授業では最初は良かったのですが授業半ばで失速してしまって,板書のレイアウトも良くなかったです.

2回目の授業では,しっかりと悪い箇所を克服して,板書も見易くなっていました.
 

 積分は2学期に扱う予定でしたが,例を出して,短い時間で図を使って端的に説明していました.

 情報技術基礎は2クラスあるので4回の授業実践,1回目は2クラスとも授業の流れも悪く,時間配分も良くなくて,チャイムが鳴ってからも終われませんでした.

 2回目は,しっかりと悪い箇所を克服して,短い短縮時授業の中で教師の側の「教え」を約10分にまとめて,生徒の「学び」となる実習時間を20分確保,良い意味でザワザワ感があり,生徒同士で互いに「学び合い」が生まれ,さらに次の課題へ挑戦しようとするチャレンジの雰囲気をありました.タイマーを使いこなして余韻を持って実習を終わることができて,生徒の「学びの場」がしっかりと担保できた良い授業となりました.

 最後の研究授業は,もう一つのクラスで,その同じことの繰り返しでしたが,「アレもコレも」教えようとして教師の側の「教え」に時間が20分近く掛かって,その分生徒の実習時間・生徒の「学び」が10分程度となってしまいました.

 教師の「教え」が支配的となって,結果的に生徒の実習時間を食い潰すことになってしまい,良い意味でのザワザワ感を醸し出すことが残念ながらできませんでした.

 私自身も,つい丁寧に説明してしまって,「生徒の考える時間」「演習時間」を食い潰してしまうことがあります.

 教育実習生の指導を通して「教え」と「学び」について考えさせられました.

マグナ・カルタ

今朝はJRの高架沿いを歩きました.イースター島のモアイ像を思わせるJR高架の補強のコンクリートの出っ張り,その向こうにJR神戸線・灘駅前の高層マンションが朝日を浴びて輝いています.なんとなくアンバランスな光景です.

 今日6月15日はマグナ・カルタが制定された日です.

マグナ・カルタはラテン語で,英語ではthe Great Charter of the Liberties(自由の大憲章)です.法の支配の第一歩という漠然とした記念塔のようなイメージがありましたが,実際には悪王と呼ばれているイングランドのジョン王が,大陸のフランス内の領地を戦で失ったにもかかわらず,ふたたび戦を仕掛けて敗れたためにジョン王は国民全体から信頼を失ったそうです.ジョン王は退位するか処刑されるか・・・結局ジョン王は,王の権限を制限する文書に承諾することによって事態を収拾したそうです,それがマグナ・カルタです.

 悪王の王権を制限することによる制裁のような感じですが,でもマグナカルトには「法の支配」や「民主主義」の原型というイメージがあるように思います.

 かなり以前,大英博物館展のような特別展で買った「マグナ・カルタ」です.

 この中にマグナ・カルタの謄本の写真があるのですが,小さな字でしっかり目にしたことがありませんでした.職場の先輩が調べてくれて英語ではなくてラテン語で書かれていることを教えてくれました.

 英語訳の聖書として有名なジェームス王訳(欽定訳)聖書が1611年です.マルティン・ルターのドイツ語訳聖書が1534年です.中世における公式な言語はラテン語であった時代なんだなあ~と気づきました.

 考えると日本でも,平安時代は漢文・・・言ってみれば中国語です.言文一致で書き表された二葉亭四迷の「浮雲」が明治20年頃,聖書はまだ文語訳で口語訳聖書が出るのが戦後です.話し言葉で書かれものとして落語の速記本が当時は売れたようです.

今日,6月15日は兵庫県知事の公示日です.テレビや新聞では東京都議選に関するニュースに触れることが多く,兵庫県知事よりも東京都知事をテレビで見ることの方がずっと多いです.選挙の争点もマスコミを通して伝わってくることなく,はるか彼方の東京の豊洲市場問題やオリンピックに関するニュースはどんどん入ってくること違和感を感じます.

 

明石藩と敬義館

 現在住んでいる処は政令指定・神戸ですが,昭和16年に神戸市に編入されるまでは明石郡でした.さかのぼれば,明治初頭には明石藩,そして江戸期中期以降は明石城主の所領でした.明石郡だった地域は,現在は明石市と神戸市の垂水区と西区がほぼオーバーラップします.

 江戸時代までさかのぼって明石の歴史を辿ってみると・・・

 江戸時代初頭は,姫路城主である池田氏が播磨国一国の領主でしたが,池田氏が鳥取にに転封になった後,明石郡は信濃・松本から入封となった明石城主・小笠原氏の所領となりました.この時にキリシタン大名・高山右近が築いた船上(ふなげ)城から現在の明石城に移っています.
 
元和 3年(1617年)信濃・松本から小笠原秀政が入封
寛永10年(1633年)信濃・松本から松平庸直が入封
寛永16年(1639年)美濃・加納から大久保忠職が入封
慶安 4年(1649年)丹波・篠山より松平忠国が入封
延宝 7年(1679年)大和・郡山より本多政利が入封
天和 2年(1682年)越前・大野より松平直明が入封

 越前松平家が明石城主となって,その後は廃藩置県まで続いています.

 弘化元年(1844年)に明石城の第16代城主となった松平慶憲は,幕末の混乱期を経験した城主です.日本に外国船が来航するようになったため,ペリーが浦賀に来航した際には品川警備を命じられ,明石海峡沿いに砲台を築いています.

 明治元年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは幕府方として大阪城の将軍徳川慶喜の救出を試みたが出来ずに明石に引き返しています.明石城に官軍が進軍した際には恭順の意を表して明石城を明け渡し,その後は官軍に従軍することになったようです.戊辰戦争では官軍として参戦し,越後へ進軍もしているようです.同じ年の明治元年(1868年)には藩校・敬義館が開かれています。明治維新を経て,藩としての未来を描く時に,未来を託す人材育成を考えて各藩が藩校を開いたのは,明治元年から明治2年に集中しています.

 慶応4年(1868年)閏4月に政体書が公布され,幕府の直轄地のうち,城代・京都所司代・奉行が置かれた処を「府」,それ以外を「県」として知事を置いて,それ以外を「藩」として大名が支配する「府藩県三治制」となり,明治2年(1869年)の版籍奉還に伴う「三治制」によって「藩」も国の行政区画と位置付けられ大名(藩主)は「知藩事」という地方行政官となっています.明治3年(1870年)に「藩制」によって,藩組織が全国的に統一されるようになっています.

 明治4年7月(1871年8月)の廃藩置県によって「明石藩」は「明石県」となりますが,同年11月2日には姫路県の管轄となり,1週間後の11月9日には飾磨県の管轄となります.そして明治9年(1876年)には第2次府県統合により兵庫県の管轄となっています.その後明治12年(1879年)に郡区町村編制法の施行によって明石郡が発足して郡役所が明石に設置されました.

 正式な意味での「明石藩」は慶応4年閏4月(1868年6月)から,廃藩置県により「藩」が廃止された明治4年7月(1871年8月)までの3年3か月です.

 そして「明石がひとつ」だったのは,元和3年(1617年)に信濃・松本から小笠原秀政が明石の船上城主として明石郡を所領して,それまでの姫路城主が明石郡を所領していた形態から「明石」が独立して,昭和16年(1941年)に明石郡垂水町が神戸市に編入されて,明石郡が分割されるまでの324年間です.

 歴代の明石城主で逸話が残っているのは・・・

第1代城主 小笠原忠真,船上城を廃して明石城を建設
第6代城主 松平信之,新田開発や人丸神社の整備等をして名君と言われていたそうです.
第15代城主 松平斉宣,参勤交代で尾張藩を通過中に行列を横切った3歳の幼児を捕らえ本陣へ連行,助命を乞う村民たちが押し寄せたが結局処刑しています.そして処刑された幼児の父親の猟師が斉宣を鉄砲で射殺したという話が残っています.
第17代城主 松平直致,最後の城主で,慶應義塾で学んで明治2年(1869年)に自邸の一部を開放して藩校・敬義館をつくっています.

 藩校・敬義館に関しては,なかなか資料が見つからず,橋本海関が明治5年(1872)に敬義館の国語教師に就任したという記録があるので,明治4年7月の廃藩置県によって明石藩が消滅した後も敬義館は存続していたことになります.敬義館が旧制中学校や師範学校へと系譜がつながっているのか・・・わかりませんでした.

minerals

 今年は久し振りに3年生で開講している「課題研究」を担当することになりました.週1回で3時間連続の授業です.

 「課題研究」のタイトルは工業技術英語です.「Basic Circuit Analysis」という英文の電気の入門書を輪講形式で進めようと計画を立てました.

 それにイントロダクションとして,工業技術英語検定の演習問題を用いることにしました.実際に生徒の反応を見ていると「Basic Circuit Analysis」の輪講は生徒には負荷が大きいようで,今日は前ふりの教材として用意した工業技術英語検定の演習問題に3分の2ぐらいの時間が掛かってしまいました.

 工業技術英語検定の演習問題で答に窮した問題文です,

A diverse group of organic molecules that are required for metabolic reactions and generally cannot be synthesized in the body.

 対応する単語として「minerals」と「vitamins」のどちらかで正解は「vitamins」なのですが,この文が当たった生徒は「minerals」と答えていました.

 問題文は「新陳代謝に必要とされ、一般に体内で合成することができない有機分子の多様なグループ」というような意味ですが,確かにミネラルも人間の体内では生成できないはずです.生徒にしっかりと説明できず最後は「正解がvitaminsだから・・・」という曖昧な説明で次の設問に進みました.

 ちょっと気になったので電子辞書でアレコレと調べると,「minerals」に対応する日本語はミネラルというカタカナで「わかったようなつもり」になっていましたが,ミネラルをカタカナではなくて日本語で表すと無機質や鉱物という言葉となることがわかりました.「organic molecules 」有機分子ですので無機質のミネラルは答えではないです. ミネラルが無機質・鉱物という単純な理科の知識が欠如していたことに気付きました.