感覚をつないでひらく芸術教育を考える会

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会の第11回研究発表会が兵庫教育大学 神戸ハーバーランドキャンパスの兵教ホールで午後から開催されました.

 今回は3つのワークショップ,そして研究発表が1つ,そして兵庫教育大学の大学院生によるパフォーマンスが4つでした.

感覚をつないでひらく芸術教育を考える会第11回研究発表会のページを作成しました.
http://itsumi.citykobe.jp/20170320/ 

 研究会後の懇親会が神戸駅近くの居酒屋で3時間あまり,関西と首都圏の言葉や文化の違いの話題から話に華が咲いて,関西の祭りのスピード感の違いの話となり,「コンコンチキチン,コンチキチン」が今も耳に残っています.

世界図絵

17世紀のチェコの教育者であったコメニウス(Johannes Amos Comenius)の世界図絵(Orbis Pictus)は,一般に「世界最初の子供向けの絵本」と言われています.
 

 言葉(言語)だけでものごとの概念を指し示そうとしていた本と違って,絵(非言語,視覚)を使って,いろいろなものごとの概念を指し示そうとしている点では,画期的な本とも言えます.現在の視聴覚教育やICTの源流とも言えます.

 コメニウスは,現在の学校教育の礎を構想した教育者と言われています.「同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業」は現在の学校に骨格であり,人びとがすべての知識を共有することを目指した教育者でした.

 手元にある追手門大学の井ノ口淳三先生の日本語の冒頭,「読者への序言」の中で,

『無知にとっての薬は学識です.それは学校で若人にもたらされるべきものです.』

 原著では,各ページの上に絵(イラスト)があり,下に説明の言葉があるレイアウトになっており,現代のネットでよくみられるホームページやブログの形式が,これを継承しているとも言えます.手許の文庫本版では,右に言葉,左にイラストという構成です.

 表紙は,最初の項目「入門」です.

教師:こちらへおいで,かしこくなるのは勉強しなければらなないよ!
生徒:かしこくなるとはどんなことですか?
教師:必要なすべてのことを正しく理解し,正しく行い,正しく語ることだよ.

 ・・・このようなやりとりで始まります.

 「感覚」の項目では外部感覚として五感の眼,耳,鼻,舌,手を挙げており,内部感覚として,共通感覚,想像力,記憶力を挙げています.イラストは5つの感覚器官と,その中心に脳を配置しています.

「学校」の項目,説明文は,

学校は若人の心が徳へと形成される仕事場です.そしてクラスに分けられています.

 11と12は,不真面目な生徒に対して鞭打っているイラストです.

抽象的な「文辞」の項目もあります.

左端0から言葉,修辞,詩や歌,そして右端が音楽です.当時の教養(liberal arts)は現在とは違っているようです.

 現在の日本だと,国語,英語,数学,理科,社会となって,文芸や音楽は入らないのかもしれません.

生徒に力をつける授業デザインの研究

公開教育研究会に参加しました.

チャレンジ!アクティヴラーニング~真のアクティヴラーニングとは何か~というサブタイトルを持つ研究推進をしていました.

公開教育研究会のページを作成しました.

生徒に力をつける授業デザインの研究
http://itsumi.citykobe.jp/20170202/

SGH「学術研究」発表会

 午後からの啓明学院でのSGH「学術研究」発表会に参加しました.

 啓明学院は神戸栄光教会を母体とするメソジストの流れを汲むミッションスクールで,関西学院と同じく宣教師ランバスの「パルモア学院」をルーツにしています.

 SGH「学術研究」発表会のページを作成しました.

SGH「学術研究」発表会
http://itsumi.citykobe.jp/20170201/

学力

 昨日の日本経済新聞に,それほど大きな扱いではありませんでしたが「学力」に関する記事が掲載されていました.

 大阪府の公立中学校の1,2年生を対象に「チャレンジテスト」という大阪府独自の学力テストを実施しているそうです.このテスト結果は高校入試の合否に関わる内申点の「補正」に活用されているそうで,その後,他の新聞等の情報も収集すると,どうも中学校の校長が「テストの点数が悪ければ内申点は下がる」と言ったようで,更に「当日もし体調が悪ければ、先生がつけた内申点の評定そのままになる」というようなニュアンスのことを話したようです.

 公立高校の入試においては,入試当日の試験と共に「内申点」と呼ばれる中学校の成績も合否に影響を及ぼします,その時の「内申点」というのは,日々の授業や定期試験から評価された「中学校における学習の総合評価」が妥当ではないかと思います.「内申点」の根拠となる中学校の学習記録は,受検する高校に正式なデータとして提出されるわけで,「学校としての生徒の学習に関する評価」という「真っ当なデータ」なわけです.

 大阪府独自の学力テストは,業者テストとは一線を画していると思いますが,学力テストは学力テストであり,「中学校の学習記録」とは違うように感じます.

 「工業高校生の学力とは?」に関して,この1年ほど考察を重ねています.一般入試の大学受験だけを考えれば,英・国・数等の教科の「学力テスト」をモノサシにすれが客観的に数値化できます.ただ,それでは工業高校生の学力と言えるのか・・・実習で頑張ったり,専門科目を夢中になって勉強するという側面を考慮して「工業高校生の学力」を追い求めると,普通高校と同じモノサシでは,大切なものがこぼれてしまうように思います.そして,そのこぼれたものに,専門高校としての特色となるコアとなるようなものが混じっているように感じます.

 専門教育と教養教育,工業高校という専門高校の特色を踏まえて,工業高校生の学力を考える時に,客観的に数値化するモノサシは一体何か?

年末年始の特番

 年末年始に放送された幾つかのテレビの特別番組を正月休み中に見ることが出来ず、この3連休にやっと見た番組もあります。

NHKドキュメンタリー ザ・プレミアム 英雄たちの選択新春スペシャル
“ニッポン”のあけぼの 古代人のこころと文明に迫る”

 縄文人と弥生人に関して案内人が磯田道史で、結構マニアックな内容でした。前方後円墳発祥の地、邪馬台国の女王・卑弥呼の出身地等々、古代史のトピックスを楽しめる番組でした。

NHKスペシャル ”腸内フローラ解明!驚異の細菌パワー”

腸の中に住む細菌たちの生態系を、最新の遺伝子解析技術によって、腸内細菌がもつ知られざるパワーのことを開設する番組、腸の中には実に100兆個以上で種類として数百以上の細菌が住んでいるそうで、その細菌の出す物質が、健康に様々な影響を及ぼしているそうで、がんや糖尿病などの病気にも関係するそうです。

NHKスペシャル ”巨龍中国14億人の消費革命”
~爆発的拡大!ネット通販~

 海外への輸出が低迷する中で、中国内陸部の消費拡大を狙って国家プロジェクトとしてネット通販を推し進めているそうです。実際に大学を出ても就職できずにネット販売の会社を立ち上げて頑張る様子を追いかけたドキュメンタリー番組で、日夜奮闘する中で「ネット販売の世界は、生き馬の目を抜くようだ。」とつぶやく場面もあり、日本以上に資本主義の側面を持っているように感じました。

NHKドキュメンタリー – コズミック フロント
”地球という星をつかめ 伊能忠敬”

 伊能忠敬は、地図を作るのが目的ではなくて、天文に興味があって「地球一周の長さ」を測るのが本来の目的で、そのために測量をしたというのは知っていましたが、実際の測量の復元、そして実際の測量機器について具体的なストーリーを交えた番組でした。

100分de名著スペシャル「100分de手塚治虫」、以前手塚の作品に凝って、かなり買い集めたことがあります。残念ながら神戸に引っ越しする時にすべての手塚の本を手放してしまって、今手元には一冊もありません。

 まだ半分しか見ていません。

模合 と ネット検索

 年末に部屋を整理していると、「もあい帳」が出てきました。何年か前に、沖縄出身の知人から沖縄土産として貰ったものです。

 かつては「頼母子」や「無尽」として各地にあった相互補完関係の「講」という組織によるお金の融通するシステムが、沖縄では「模合(もあい)」として根強く残っているそうです。

 もあい帳の最初のページには「模合規約」が載っています。

模合は寄合(よりあい)とも呼ばれて、沖縄では親睦模合や親族模合、それに事業の運転資金調達を目的とする金融模合など、小規模なものから大規模なものがあり、模合には親しい友人・知人が必要になるので、ネガティヴな印象はなく、逆に複数の模合に関わる人は社交的というニュアンスもあるようです。

 今日の夕方、正月2日目で開店していた駅前のスーパーに立ち寄りました。普段とあまり変わらない風景がありました。

 年末に大量に買い物をする意味があるのかなあ~と、ふと年末には多くのお客さんが大量に買い物かごに商品を入れて長い列に並んでいた光景を思い出しました。

レンタルサーバのアクセスログの中に、「このサイトに、どのようなキーワードで検索して辿り着いたか?」という記録が閲覧できます。昨日1月1日のログを見ると

 年末年始の移動と、初日の出、元旦の新聞記事・・・年末年始に関わる検索で、このサイトに辿り着いたようです。昨年の正月も「初日の出」のキーワードが多かったのですが、今年はそれぞれ1件のみで、アクセス数はかなり減っているようです。

合理的配慮(reasonable accommodation)

 2006年12月13日の第61回国連総会において採択された障害者の権利に関する条約の中に合理的配慮(reasonable accommodation)という言葉が使われています。アメリカでは19世紀の判例にも見られる言葉で、一定の理にかなった措置・調整を意味する熟語と捉えられているようです。

障害者の権利に関する条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)の第2条「定義」において、

「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。
“Discrimination on the basis of disability” means any distinction, exclusion or restriction on the basis of disability which has the purpose or effect of impairing or nullifying the recognition, enjoyment or exercise, on an equal basis with others, of all human rights and fundamental freedoms in the political, economic, social, cultural, civil or any other field. It includes all forms of discrimination, including denial of reasonable accommodation;

「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
“Reasonable accommodation” means necessary and appropriate modification and adjustments not imposing a disproportionate or undue burden, where needed in a particular case, to ensure to persons with disabilities the enjoyment or exercise on an equal basis with others of all human rights and fundamental freedoms;

「ユニバーサルデザイン」とは、調整又は特別な設計を必要とすることなく、最大限可能な範囲で全ての人が使用することのできる製品、環境、計画及びサービスの設計をいう。ユニバーサルデザインは、特定の障害者の集団のための補装具が必要な場合には、これを排除するものではない。
“Universal design” means the design of products, environments, programmes and services to be usable by all people, to the greatest extent possible, without the need for adaptation or specialized design. “Universal design” shall not exclude assistive devices for particular groups of persons with disabilities where this is needed.

「合理的配慮」の「accommodationとしての配慮」とは、 辞書によれば「融通」や「貸し付け」或いは「和解」や「調停」というニュアンスを持った言葉で、それを踏まえて「住む(宿泊する)ための下宿・アパート・ホテル」を指し示す言葉でもあり、「便宜」や「助け」という意味があります。基本的には『相互の合意や契約に基づく「便宜」や「助け」』というような意味を持つ言葉が「配慮(accommodation)」です。

 それに対して同じような言葉として「modificationとしての配慮」があります。これは「緩和」や「手加減」というニュアンスがある言葉で「変更」や「修正」の意味で使われたり、或いは「適応」や「特別扱い」と訳される言葉です。

 
「accommodationとしての配慮」と「modificationとしての配慮」との意味の差異を考えると、「合理的配慮(reasonable accommodation)」とは、あくまでも「障害(disability)」に対して、特別扱いするのではなくて、障害による障壁を取り除いて、或いは双方の合意の下に合理的な融通や助けを行うこと・・・これが合理的配慮の意味です。

 「合理的配慮(reasonable accommodation)」と似て非なるものとしての「不合理的な配慮(unreasonable modification)」とは、合理性がない感情論または責任回避として、一方的に特別扱いをすること、そもそものルールを無理矢理に修正或いは拡大解釈して手加減をすることです。

 あくまでも「合理的配慮」は「契約」であり「権利」であり、必要性と適切性を合理的に説明できる責任(accountability)の上で双方の合意・契約の下で行われる融通や助け(help)であって、一方的な特別扱いでは決してないということです。

「授業の評価」に関して検討する中で、滋慶医療大学院大学の岡耕平先生の「工業系高校における合理的配慮」の講演(平成28年日本工業技術教育学会近畿支部研究大会、Dec10,2016)の趣旨が思い出されます。岡先生は、進路多様校で実際にフィードワークされる中で、ごく普通の無気力な生徒に対する「合理的配慮(reasonable accommodation)」を装う「不合理的な配慮(unreasonable modification)」が横行していることを経験されたようです。ノート点、出席点の名の下で嵩上げされた成績、観点別評価を隠れ蓑にして、教室に座っているだけ、ただただ黒板をノートに書き写すだけの「作業」、プリント類の提出するだけで、主観的に「興味や関心がある」、「学ぶ姿勢が見られた」と加点を重ねることによって、ほんとうの生徒の「わかる」とは乖離したハリボテの成績が一人歩きして単位修得・卒業の根拠となってしまう・・・。ほんとうの生徒の実力を測っていない成績は、生徒の学力の尺度として不適切とも言えます。

 基礎学力を考える時に、「不合理的な配慮(unreasonable modification)」が『学びの場』を破壊しているのかもしれません。