Linux

Linuxは、ヘルシンキ大学の学生であったリーナス・トーバルズ(Linus B Torvalds)によって、Unix互換の独自のOSカーネルを開発したことが発端で、1990年代前半に誕生した実用的でフリーなオペレーティングシステムです。

以前、PC/AT互換機でWindows3.1やWindos95の時代に興味を持って、いろいろ挑戦したことがあります。Linux自体はフリーでしたが、当時はインターネットがまだまだ黎明期の時代で、Linuxを入手しようとするとCD-ROM等のパッケージを購入する必要がありました。

その当時、7000円ほどで購入したLinuxの最初期時代のバージョンです。CD-ROMが3枚入っていました。

その後、Linuxから離れていましたが、新型コロナ・ウイルスの影響で外出を控えるようになって、古いノートパソコンの活用として、久し振りにLinuxを古いパソコンにインストールしようと試みました。

十数年前の、WindowsXPのノートパソコンです。AMDの64bit CPUが搭載されていますが、メインメモリーは256MBです。軽量といわれるLinuxのディストリビューションのインストールを試みたのですが、どうもメモリー容量がネックとなってインストールに失敗します。

仕方がないので、メモリーを増設することにしました。古いタイプなので、現在流通しているノートパソコン用のメモリーが使えません。中古を扱っているハードオフに出向いたのですが、新型コロナウイルスで前日から休業していました。その後、立ち寄った電器店の片隅で、古いタイプのメモリーが置いていました。ほんとうは1GBのメモリーが欲しかったのですが、512MBのメモリーが税込み980円で、結構お買い得でしたので購入しました。

ノートパソコンの裏蓋を空けて・・・右上が増設メモリー用のスロットです。左下がHDD(ハードディスク)となります。

 購入したメモリーをスロットに刺し込みます。

メモリーを押し込んで、カチッと固定すればメモリー増設は完了です。BIOS画面を起動して確認すると、元の256MBに512MBが加わって、768MBの程度の値となっていたので増設メモリ-はちゃんと認識していました。

 超軽量LinuxとしてPuppy Linuxをインストールしました。日本語対応の少し古いバージョンですが、メモリー増設前は失敗したインストールが、なんとかデスクトップ環境も含めて動作することが出来ました。

ネット接続は諦めていたのですが、古いPCMCIAタイプの無線LANアダプター経由でWiFi接続も出来ました。

ディストリビューションによっては、日本語表示のための操作が煩雑だったり、日本語入力するための日本語IMEの導入や設定が大変なのですが・・・日本語表示も日本語入力も最初から対応していました。

インターネットのブラウザで、Web閲覧も出来ますし、ワープロや表計算ソフトも最初から入っています。何もしなくてもLinuxのデスクトップ環境が快適に使える状態です。

enlightnment(黎明)

旧約聖書の創世記の冒頭で,神が暗闇の世界で Let there be ligh(光あれ)との言葉で,光が顕れ,そして光と闇を分けたことで,晝(昼)と夜が生まれた・・・とあります.

And God said, Let there be light: and there was light.
And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness.
And God called the light Day, and the darkness he called Night. And the evening and the morning were the first day.
 KingJamesVersion Genesis 1:3-5

神 光あれと言たまひければ 光ありき
神 光を善と觀たまへり 神 光と暗を分ちたまへり
神 光を晝と名け 暗を夜と名けたまへり 夕あり朝ありき 是首の日なり
 文語訳聖書 1章3節ー5節

朝の出勤時間帯と夕方の帰宅時間帯が,ちょうど闇から光,光から闇の狭間の時間帯で,黄昏(誰彼)時や,或いはカワタレ(彼誰)時といわれる時間帯,薄暮(dusk)や黎明・夕闇とも言われています.

夜明けの兆しさえ見えない朝6時過ぎ,布引の滝から小野浜海へと流れる新・生田川の川面は,街灯の高圧ランプで輝いていました.

少し歩くと・・・南東の空の端がオレンジ色に染まって広大なグラデュエーションが広がっていました.

そして帰路,駅前からの,西の空の長めです.街灯が点灯して,上空は暗雲で覆われて,西の空が青から紫色へと移ろいでいました.

enlightenment

enlightenment ・・・ 本来は、光が降り注ぐこと、光に照らされて明るくなることを指し示すような意味を持った言葉ですが、実際にはenlightenmentという言葉は、光に照らされて明らかになるような状態を抽象的に概念化したよな、啓蒙や啓発と言う訳がつくような意味でもっぱら使われています。

 本来は、物理的な光の照明(しょうめい)の意味を持っている言葉ですが、実際には、真理の光が射し込み悟るような意味としての照明(しょうみょう)という意味を指し示す言葉になっています。そして本来の照明(しょうめい)は、lighting が使われています。

 1年でもっとも日の出の時刻が遅い時期です。通勤途中は、まだ夜明け前、東の空が、まさにenlightenment・・・暁光で彩られています。深紫の空に、色温度の低いオレンジ色が忍び寄るような感じです。

 東の空が低い雲で覆われている時は、雲が曙光が照らされて、夜明けの兆しを感じるようなenlightenmentの世界です。 

 最近、今まで水銀灯だった街中の街頭が、LED照明に急速に置き換わっています。LED照明の光り輝く白色の光は、演色性も良く、照明(lighting)としての物理的な性能は申し分ないです。でも・・・白熱灯の放射光や、水銀灯のアークの眩さのような慣れ親しんだ情景は、LED照明には感じることができず、無機質的に、ただただ明るいだけのように感じてしまいます。

 一昔前までは、屋外照明は青白い水銀灯やオレンジ色の高圧ナトリウム灯、そしてトンネル照明は更に色温度が低くて演色性の悪い低圧ナトリウム灯でした。ある意味、暗闇や夜を演出するような独特の雰囲気があったような気がします。それが高効率の蛍光灯が現われ、さらにLED照明がとってかわっています。昼間と同じような光景が、夜も・・・

 気になって、放電ランプを探すと、意外に少数派となって、なかなか見つけることが出来ませんでした。やっと見つけたのが、道路照明の高圧ナトリウム灯でした。背景に、六甲山系の上の深青のッ夜明け前の空の色とのコントラストも絶妙です。

 阪急電車の高架下に水銀灯が残っていました。目には青白く映る光が、デジカメには緑として映ります。輝線スペクトル・・・

 光が織成す夜明け前の、街の貌を観察しながら、今朝も職場に向かいました。

照明

 寝室に使っている2階の部屋の蛍光灯が暗くなって、年末に蛍光灯を取り替えようと、インバータ点灯の専用の細管タイプの34W/27Wのサークランを探すと、なかなか見つかりません。昼光色の蛍光灯を置いている店はありましたが電球色の蛍光灯はありませんでした。

 その後も気になって年明けにも、ホームセンターや電器店を巡ってチェックして気付いたことですが、そもそもインバーター点灯専用の細管の蛍光灯自体がかなり少なく、昔ながらの30Wのサークラインは品数も種類も豊富で値段も安いです。インバーター点灯専用の細管自体が、LED照明に移行してしまっているようです。

 結局、34W/27Wのサークランの蛍光灯を買うよりも、LEDタイプの照明器具を買った方が良いことに気付いて、ホームセンターで購入しました。6畳ですが12畳タイプのシーリングタイプです。光束が5500lm(ルーメン)で、明るさは10段階の階調でコントロールが出来ます。そして調色も可能で色温度(色合い)も五段階でコントロールが出来ます。

もっとも暖色系、色温度が2700K°で、もっとも明るさが低い状態・・・「リラックスモード」です。

 色温度を4100K°の「くつろきモード」です。

 そして色温度が6500K°の「アクティヴモード」です。

色温度が同じ6500K°で、明るさを最小から、数段階明るくすると、このような感じです。 

 部屋の雰囲気を照明で演出することが可能です。

 昨年末の2018年12月の照明学会誌の特集が「ロービジョンの照明・視覚環境の配慮」でした。

 自宅の照明に関しても「明るさ」だけではなくて、住環境としての照明の在り方を視覚環境に配慮することも視野に入れることの大切さを、照明器具の購入と実際に取り付けて、改めて考えさせられました。

真正な学び~市川伸一先生

大阪大学中之島センターで開催される、兵庫教育大学連合研究科主催の教育実践フォーラムに参加するために大阪に向かいました。

堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島に、かつて大阪大学のキャンパスがありました。1993年に医学部と付属病院が千里丘陵に移転して、中之島には現在キャンパスは現存せず、医学部跡地に中之島センターがあるのみです。田簔橋・筑前橋と堂島大橋・土佐堀橋の間辺りに、大阪帝国大学時代の医学部・工学部・理学部のキャンパスがあったようです。

 西梅田から、地下の「堂島地下センタ-・ドーチカ」を歩きました。かつてはおじ様御用達の店舗や飲み屋が並んでいましたが、現在は、その面影があまり感じられないぐらいにリニューアルされています。

ドーチカの南端を出て西の路地を入ると中央電気倶楽部があります。 

 古い建物が、そのまま残っています。照明学会で2度、お世話になりました。

 渡辺橋を渡って、河口に向かって、中之島の堂島川沿いを田簔橋辺りまで・・・快晴で汗ばみました。

明治6年に当時は第三大学区だった大阪に官立大阪師範学校が設立されたそうですが、財政難で廃止されたそうです。それとは別に明治7年に南御堂に大阪府立の教員伝習所が設立され、それが翌年には大阪府師範学校と改称し、明治10年に、ここ中之島に移転したそうです。この大阪府師範学校が、戦後に大阪学芸大学となって現在の大阪教育大学です。

 大阪大学医学部付属病院の跡地辺り、堂島川の右岸には「Red&Blue street」という遊歩道がありました。

 玉江橋から堂島川越しに中之島・・・手前が大阪大学中之島センター、その後ろのビルが関西電力です。

 中之島センターです。博士論文資格試験は此処で受けました。合格後に、すぐ博士論文の執筆にかかりました。

 5階の講義室、今日の講演者は、東京大学教育学研究科の市川伸一先生です。教育心理学部門の第一人者ですが、講演を聴くのは初めてです。
 

『「真正の学び」からの批判と「真正の学び」への批判』というタイトルで1時間半、「正統的周辺参加」と「Resercher-Like Activity(研究者の縮図的活動)」との対比が、大変興味深かったです。「正統的周辺参加」と、ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD・Zone of proximal development)との違いはなんだろうなあ~と思いながら「徒弟制」の功罪について考えさせられました。

 講演内容とはベクトルが異なりますが、専門を初期の段階で学ぶのと、教養をしっかりと修めてから学ぶのとでは、どちらが「真正」なのかなあ~と、ふと考えさせられました。

 大阪の地下街にある「八百富写真機店」、以前は、この奥まで全部が八百富でしたが、今は人通りの少ない方の片隅だけになっていました。

diploma mill

十年あまり前に、ディプロマミル(diploma mill)が問題になったことがありました。ディプロマミルというのは、金銭と引き換えに高等教育の「学位」を授与すると称する「自称大学」のことです。

 特に問題になったのが、ディプロマミルと疑われる博士号を取得して、その学位で大学教員として採用されるケースです。実際に文部科学省が徴した結果、数十人が、出所が疑わしい学位を元に採用されていた結果が得られていました。文部科学省は、各教員が有する「研究業績」および「取得学位」という教育情報の公表を各大学に要請していました。「取得学位」に関しては、学位の名称を使用する際に専攻分野のみならず、授与機関名をも併せて付記することになっています。

 そして今朝の毎日新聞の一面に「ハゲタカジャーナル」の記事が載っていました。「ディプロマミル」が「取得学位」に関する問題とすれば、「ハゲタカジャーナル」は「研究業績」に関する問題です。

 日本では「何処の学会、どの論文誌」に掲載されたかが論文の「質の担保」になるケースが多いですが、留学生が国内の大学の教員に、いわゆる「ハゲタカジャーナル」への投稿を希望することがあるそうです。

担保されない論文が「研究業績」となって得た「学位」は、ディプロマミルではなくて、どちらかと言えばディグリーミル(degree mill)になるのかもしれません。

 

BirthDay

8月25日、今日は信州大で学会発表、はじめての学会発表も信州大でしたが工学部キャンパスでした。今回は善光寺門前近隣の教育学部のキャンパスでした。

 オーラルセッションでの発表後に、質問が2つ、「言語能力」に関して、考えさせられました。ホテルから約5キロを自転車で・・・大学に着くと汗がとめどなく流れて、汗がひくのに時間が掛かりました。

 今日・8月25日は、世界初の即席麺・インスタントラーメンの元祖が誕生して60周年です。

 そして8月25日は、私のBirtayでもあります。旅先の長野のホテルで、「バースデイフード」としてカップ麺のチキンラーメンを美味しくいただきました。

 引き続き、Twitterで旅先から・・・

https://twitter.com/City_KOBE_