緊急と非常

無線通信の世界では、緊急通信と非常通信とは意味が異なります。

○緊急通信(Urgency Communications):「船舶又は航空機が重大かつ急迫の危機に陥るおそれがある場合その他緊急の事態が発生した場合に緊急信号を前置する方法その他総務省令で定める方法により行う無線通信をいう。」(電波法第52条第2号)

○非常通信(Emergency Traffic) :「地震、台風、洪水、津波、雪害、火災、暴動その他非常の事態が発生し、又は発生するおそれがある場合において、有線通信を使用することができないか又はこれを利用することが著しく困難であるときに人命の救助、災害の救援、交通通信の確保又は秩序の維持のために行われる無線通信をいう。」(電波法第52条第4号)

緊急通信は「重大かつ急迫の危機に陥るおそれがある場合」「緊急の事態が発生した場合」となっており、非常通信は「非常の事態が発生し、又は発生するおそれがある場合」という状況下での特例の通信のことです。

緊急と非常の違い、英語では緊急は「urgency」で、語源を辿ればラテン語の「urge」にルーツがあるようで、急き立てる、或いは駆りたてる、また急がせる、というような意味を持った言葉です。英語の「urgency」は名詞語尾「cy」が付いて「切迫、急迫、緊急」という意味になります。

それに対して英語の非常は「Emergency」で、語源を辿れば、こちらもラテン語にルーツがあってラテン語の「emergere」は、「e(外へ) + merge(沈む)」で、今まで見えなかったものが表に現れる、好ましくない事件や事態が発生する、というニュアンスの言葉です。英語の「emergency」は名詞語尾「cy」が付いて「非常時、有事」という意味になります。

同じような言葉ですが「urgency」は、単に急を要する場合(業務や切り傷などの軽い怪我、命に別状がない病気など)に使われるような言葉だそうで、「emergency」は、危険や深刻、重大な事態に追い込まれて急を要する場合(天災や命に関わる病気や怪我など)に使われる言葉です。

ただ、今回の新型コロナウイルスによる緊急事態宣言においては、英語での報道を見ると「state of emergency declaration」という表記がほとんどで、今回の新型コロナウイルスによる緊急事態は「state of emergency」で、無線通信の非常(emergency)に相当するようです。

もっとも無線通信の世界では、「緊急通信」より優先する「遭難通信」が電波法で定められています。

○遭難通信(Distress Communication):船舶又は航空機が重大かつ急迫の危険に陥った場合に遭難信号を前置する方法その他総務省令で定める方法により行う通信である(電波法第52条)

無線通信は、元々は有線通信が使えず、無線通信だけが頼りの船舶や航空機等がメインであったため、もっとも優先する通信が遭難通信になっています。ですので電波法での「緊急通信」は「遭難通信」に継いで優先されるという位置づけなので、ちょっと違うのかもしれません。

ただ、これだけ緊急事態が長引き、更に延長されそうな気配があり、「緊急」という緊張感が維持できるのか、心配です。月単位での長期に及ぶ場合は、むしろ「非常事態」ではないかとも思います。海外では中国が2ヶ月ほどで規制が緩和され、欧州でも同様に現在ピークを過ぎて規制の緩和に向かっているようです。「非常」と「緊急」の狭間のような感じです、ただ海外では「外出禁止」や「ロックアウト・都市封鎖」という強力な規制なのに対して、日本は外出自粛という緩やかな規制になっています。

パワーゲーム

社会学の講義で、政治はパワーゲームだと聞いたことがあります。

経済は、資本・お金を巡ってのマネーゲームであり、政治は権力を巡ってのパワーゲームというシンボリックな説明です。

もちろん普段は、公共や福祉、教育や医療等々、国民主権の旗を揚げて、政治がパワーゲームであることがあからさまになることはありませんが、今回の新型コロナ対策に関して、政治がパワーゲームであることが露わになる場面が少なくないように感じています。

 緊急事態宣言の発出に関して、布マスクの全戸配布に関して、国民一人に10万円給付について・・・パワーゲームのやりとりが、NHK総合テレビの7時のニュースの中で、時間を割いてつまびらかに報じたことに驚いています。今までは新聞記事でパワーゲームを取り上げたり、民放のワイドショーで、芸能人のゴシップと同じように面白おかしく取り上げることはあっても、NHKのニュースで報じるのに接したことは初めてのように思います。

 緊急事態宣言によって街のいとなみが鎮静化して、いろいろな自粛要請に従わない事象に対して非社会的、あるいは反社会的というレッテルが貼られるような様相を感じます。法の強制力がない要請に対して、社会的な圧力が、マスコミを含めて「世間の目」を気にするような状況にあるように思います。

実際に、おおらかな風潮があるといわれるイタリアやスペイン、フランス、そしてアメリカのニューヨークで新型コロナウイルスが大流行したのに対して、ドイツでは大流行に至っていないことも、このような社会的・文化的な風潮も一因ではないかと思わされます。

イースターの朝に・・・

春分の日の後の最初の満月の次の日曜日・・・復活祭(Easter)は年によって日付がかわる移動祝日で、東方教会(オーソドックス)と西方教会(カトリック、プロテスタント、アングリカン)では日付の計算方法が異なります。

イースターは、十字架にかけられて死んだイエスが、三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭です。キリスト教国では受難日(イエスが十字架に架けられて死んだ日)である聖金曜日と、イースターの翌日の月曜日が休日になることもあり、この4連休をイースター休暇と呼んでいます。

新型コロナウイルスが猛威をふるっている中での今年のイースターですが、いろいろな教会のサイトを閲覧すると、自宅でイースターを祝えるように、教会でのイースター礼拝をWeb配信しているケースが見受けられました。

東京カテドラル(カトリック東京大司教区の司教座聖堂)がある文京区の関口教会では、ミサをYoutubeでオープンな形でライブ配信をしました。地元のカトリック垂水教会でも、3月から教会施設を閉鎖してミサの中止が続いていますが、東京カテドラルでは4人の司祭と約20人のシスターが間隔を空けてイースターのミサを執り行ったそうです。
※ 写真は毎日新聞(2020年4月12日午前10時半、大西岳彦撮影)より


東京カテドラルは、以前、宮崎美子さんの司会でパンフルートのコンサートで入っただけで、大きな聖堂で、パンフルートの演奏が響いた記憶だけが残っています。

4月10日には奈良・東大寺において、僧侶が盧舎那仏に疫病退散を祈願する法要を生中継が行なわれています。

その東大寺は華厳宗の大本山であり、4月3日付けのtwitterにおいて、次のような呼びかけを行なっています。

「ウイルス禍に対して、もし皆さまの社寺・教会でも特別な「祈り」が行われているのであれば、時間(毎日正午から)を合わせて各地で一緒に行いませんか?時間だけの「密接」です。お互いの気持ちを「密集」させて、「密閉」されたような社会の雰囲気を吹き飛ばせたらと思います。」

この呼び掛けに吉野山の金峯山寺や全日本仏教青年会、カトリック芦屋教会などが賛同の返信があり。宗教や宗派を超えた祈りの輪が広がっているようです。

奈良時代の天平年間に天然痘の大流行が日本であったそうです。当時の日本の人口の4分の1から3分の1が、生命を落としたとも言われています。当時は災害や疫病などの大異変があると、その原因として為政者の資質と見なす風潮があったそうで、責任を感じた聖武天皇は仏教への帰依を深めたと言われています。盧舎那仏像(奈良の大仏)の建造を命じたのも、この疫病の大流行が遠因だそうです。

聖武天皇による「大仏造立の詔」には、

「誠に三宝の威霊に頼り、 乾坤相泰(あいやすら)かに万代の福業を修めて動植咸(ことごと)く栄えんことを欲 す。粤(ここ)に天平十五年歳(ほし)は癸未に次(やど)る十月十五日を以て菩薩の大願を発(おこ)して、盧舎那仏金銅像一躯を造り奉る」

聖武天皇が、天下 の安泰と、命あるものすべての繁栄を望み、世に蔓延する疫病や飢饉、国家の危機を乗り切ろうとして造立したのが奈良の大仏です。

海外では、宗教団体の集会や礼拝が新型コロナウイルスのクラスターとなっているようで、韓国では新興宗教の大規模な集会、マレーシアではイスラム教の集会、イスラエルではユダヤ教超正統派の礼拝・・・宗教団体の集会がクラスターとなった例が少なくないようです。

緊急事態宣言

昨日の新型インフルエンザ等緊急事態宣言から一日が経過して、神戸の街では、神戸阪急がデパ地下のもの営業で、大丸が休業と,繁華街のシンボルが自粛となっています。

「緊急事態宣言」と言う言葉から、教科書に出ている「戒厳令」という言葉が思い出されます。調べると、旧憲法下では戒厳令の規定はあるが、一度も発令されたことがないようです。関東大震災や二・二六事件は緊急勅令による行政戒厳だったようで、厳密には戒厳令は発令されていないようです。

類する言葉として「非常事態宣言」がありますが、これは太平洋戦争の開戦とともに発令されています。

現行法令下における「緊急事態宣言」は

・警察法に基づく緊急事態
・災害対策基本法に基づく災害緊急事態
・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく新型インフルエンザ等緊急事態

今回は3つ目ということになります。

仕事帰り、JR灘駅の改札口近くのモスバーガー・・・いつもはこの時間帯は満席に近いのですが、開店休業状態でした。

垂水の街では、学習支援ルームはシャッターが閉まり、緊急事態宣言の期限である5月6日までお休みとの貼り紙が貼られていました。

大衆的なブティック、営業時間を短縮して、もう閉店となっていました。

流行感冒

ここ一ヶ月ほどの間、ニュース番組では新型肺炎の関連が大半を占め、身近な生活においてもいろいろな影響が出ています。

志賀直哉の作品に「流行感冒」という短編があります。

千葉の我孫子に住んでいた頃に、流行感冒が流行って、志賀直哉の家の者が罹って、ひじょうに神経質になった自分自身のことを書き綴った作品です。

 志賀直哉自身は、流行感冒に対してひじょうに神経質になっているのに対して、周囲の者はそれほど神経質ではなくて、それに対して苛立つ自分自身のことを写実的に描いているのが面白い作品です。

 人混みの多い処に出掛けずに、とにかく他者との接触を避けるというのは。現在の新型肺炎にも通じるものがあるというか、基本中の基本かもしれません。

 大正中期頃の作品で。おそらく「スペイン風邪」のことだと思いますが、スペイン風邪の感染者は当時は約5億人以上と言われて、、死者も1億人近くになったようです。この当時の世界の人口が約20億人と推定されるので、全人類の約4分の1ぐらいの感染率だったようです。

 今の新型肺炎、まだまだ収束する気配はないようで、社会全体が自粛モードに入っているように思います。

啓蟄

 今日は啓蟄,冬籠りをしていた虫が這い出る頃で,厳しい寒さが緩んで,日の光で地面が温まり,冬眠していた虫たちが穴から出る時節です.

 今年は暖冬気味で,街中で氷が張ったり氷柱を目にした記憶がありません.柳が芽吹く時期が啓蟄ですが,もう街角の桜の蕾が膨らみかけています.

enlightnment(黎明)

旧約聖書の創世記の冒頭で,神が暗闇の世界で Let there be ligh(光あれ)との言葉で,光が顕れ,そして光と闇を分けたことで,晝(昼)と夜が生まれた・・・とあります.

And God said, Let there be light: and there was light.
And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness.
And God called the light Day, and the darkness he called Night. And the evening and the morning were the first day.
 KingJamesVersion Genesis 1:3-5

神 光あれと言たまひければ 光ありき
神 光を善と觀たまへり 神 光と暗を分ちたまへり
神 光を晝と名け 暗を夜と名けたまへり 夕あり朝ありき 是首の日なり
 文語訳聖書 1章3節ー5節

朝の出勤時間帯と夕方の帰宅時間帯が,ちょうど闇から光,光から闇の狭間の時間帯で,黄昏(誰彼)時や,或いはカワタレ(彼誰)時といわれる時間帯,薄暮(dusk)や黎明・夕闇とも言われています.

夜明けの兆しさえ見えない朝6時過ぎ,布引の滝から小野浜海へと流れる新・生田川の川面は,街灯の高圧ランプで輝いていました.

少し歩くと・・・南東の空の端がオレンジ色に染まって広大なグラデュエーションが広がっていました.

そして帰路,駅前からの,西の空の長めです.街灯が点灯して,上空は暗雲で覆われて,西の空が青から紫色へと移ろいでいました.

安保

今日は、ちょうど60年前の1960年(昭和35年)1月19日にワシントンで新安保が調印された日です。

安保・・・あまり最近は耳にすることがないフレーズですが、子どもの頃に、テレビのニュースで見掛けた記憶があります。

60年安保・・・サンフランシスコで1951年(昭和26年)に調印された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(Security Treaty Between the United States and Japan)」が、1960年(昭和35年)にワシントンで調印された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan)」の改訂に関しての反対運動ですが、残念ながら生まれる前の出来事です。樺美智子さんの死が象徴的に報道され、随分後になって学生時代に60年安保を題材にした小説を借りて読んだ記憶があります。調べると・・・奥浩平さんの「青春の墓標」でした。樺美智子さんに影響を受け、そして70年安保の大きな渦に巻き込まれた高野悦子さんに影響を与えたとされています。

 新安保締結から10年、10年間の期限での自動延長を阻止しようしたのが、いわゆる70年安保です。調べると昭和43年頃から昭和45年頃に安保闘争が続いていたようです。子どもの頃の記憶は、この70年安保になります。大学に進学すると学生運動に巻き込まれるのかなあ~と、子ども心に思っていた記憶があります。70年安保では、高野悦子さんの日記「二十歳の原点」が頭をよぎります。一本のカーネーションが描かれていますが、これは「青春の墓標」を著した奥浩平さんが睡眠薬を服用して自殺した時に、手に一輪のカーネーションが握りしめられていたことに由来するのかもしれません。

高野悦子さんの「二十歳の原点」を読んだのは、17~8歳の頃だったと記憶しています。今でも手放さずに手許に置いています。そして、「二十歳の原点ノート」と「二十歳の原点序章」も借りて読んだ記憶があります。

二十歳の原点は3年前にNHKで取り上げられて、久し振りに読んでいます。

二十歳の原点_2017年2月10日のblog