海を、はるか沖へ

海を、遙か沖へ出てみますと、海の水は、およそ美しい矢車草の花びらのように青くて、あくまで透き通ったガラスのように、澄みきっています。  
   「人魚姫」アンデルセン 楠山正雄訳 青空文庫より(一部改訳)

 今日は海の日です。15年前から7月の第3月曜日となったので3連休、3日とも猛暑が続きました。

 海・・・第2外国語が、ドイツ語とフランス語だったので、ドイツ語だと「der See」で男性名詞、フランス語だと「La Mer」で女性名詞、この印象が強いです。

 朝、オープンと同時に、垂水の海岸沿いにある「太平の湯」へ、1時間余り入浴して、1300mlの汗をかきました。途中水分補給して、持参した1500mlの麦茶を飲み干して、湯上がりに500mlのペットボトルの飲料を買って飲み干すと、その後も汗が止めどなく流れて・・・

 11時半頃から、自転車で、海岸沿いを西に向かいました。大蔵海岸では「明石・時感動アクアスロン大会」で、ランニング競技の横を自転車で走り抜けました。

 

 明石川の河口、ウミドリがテトラポットの上で間近に・・・

 今日も、松崎海岸の海水浴場は賑わっていました。

 今日は、瀬戸川、酒蔵「来楽」まで20kmあまりの地点でUターン、昨日・一昨日で約190kmを走ったので、ゆっくりとしたペースで走りました。

 昔は、海岸近くに松林が多かったようですが、今では、舞子公園と、此処・明石川右岸に松林が残っている程度になっています。

 舞子海岸まで戻ってきました。南西方向を望むと、淡路島の西に広がる播磨灘が、真夏のおびただしい光の渦を受けて、海面一面が煌めいて、いつまでも見ていても飽きない光景です。

 この、真夏の輝く静かな海の光景を目にすると・・・海は女性なのかなあ~と、ふと思いました。

 自転車のサイクロメータでは、

走行距離 43.31km
走行時間 2時間19分
平均時速 18.6km/h
総走行距離 1920km

 活動量計のワークアウトでは、

時間 3時間44分
脂肪燃焼 2時間32分
有酸素運動 25分
無酸素運動 2分
平均脈拍数 118rpm
最高脈拍数 155rpm
運動消費カロリー 906kcal

今日の活動量計は、

・脂肪燃焼 3時間15分
・有酸素運動 31分
・無酸素運動 8分
・活動カロリー 1347kcal
・総カロリー 2622kcal
・歩数    3632歩

俳優

 俳優、この言葉を耳にして思い浮かぶ俳優は・・・加藤剛です。私にとって、もっとも俳優らしい俳優は加藤剛です。

 加藤剛と言えばテレビドラマの「大岡越前」が有名のようですが、私にとっては、古い大河ドラマ「風と雲と虹と」において、平小次郎将門を演じた加藤剛が印象的です。そして灯台守の映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」の加藤剛・・・

 手元には、朗読のLPレコードがあります。高村光太郎の「智恵子抄」の朗読です。おそらく学生時代に買ったモノで、幾度かの引っ越しで手放したレコードが多い中、手元に残っています。ただ、レコードプレーヤがないので、随分聴いていません。

 神戸に越してから購入した新潮カセット文庫の、同じく高村光太郎の「智恵子抄」の朗読テープです。 

 今日、加藤剛が先月の6月18日に亡くなったとの訃報を耳にしました。

 久し振りに、加藤剛の朗読を聴きました。

嵐の七夕

今日は7月7日、七夕(たなばた)です。

平安時代の神道資料である「古語拾遺」にある、天照大御神が天岩戸から誘い出すために、神衣和衣を織ったとされている女神が「天棚機姫神(あめたなばたひめ)」で、これが「棚機津女(たなばたつめ)」の伝説の起源のようです。何故「七夕」と表記されるようになったのか・・・ネットで検索しても、国語辞典でもわかりませんでした。

今日の七夕は、台風が過ぎ去った後の梅雨前線の停滞によって、3日連続で大雨警報が続いて、時折、嵐のような叩きつけるような激しい雨でした。

 嵐のような強い雨が降ると,川端康成の小説「山の音」をいつも思い出します。この小説の中で、嵐の夜に中、大音量で音楽を掛けて興奮気味になっている息子の嫁の描写があります。それが印象に残って、そのシーンを思い浮かべて・・・嵐のような雨が降ると、大音量で音楽を聴くようになってしまいました。

 今日は、モーツァルトの交響曲40番ト短調を聴きました。

潜伏キリシタン

一昨日の6月30日にバーレーンで開催中の第42回世界遺産委員会において、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されることが決定されました。

世界文化遺産となったのは、長崎・外海の3ヶ所、島原と天草がそれぞれ1ヶ所、対馬の4ヶ所、平戸の2ヶ所、佐世保・黒島の1ヶ所です。

6年前の2012年8月に長崎・平戸・島原を訪れています。

 世界遺産となった長崎市内の大浦天主堂は、禁教下の幕末に日仏修好通商条約に基づき、フランス人の礼拝堂として建設されたもので、最古の天主堂です。

 元治2年2月12日(新暦の1865年3月17日)に、天主堂を参観にきた浦上山里村の杉本ユリら潜伏キリシタン15人がプチジャン神父に、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」(私たちもあなたと同じ信仰をもっています)「サンタマリアの御像はどこ?」とプティジャン神父に訊ねたそうです。禁教・迫害の長い歴史の中で250年以上の間、密かに信仰が受け継がれてきたことがカトリック教会に明らかになった「信徒発見」の奇跡です。

出津の海を見下ろす高台の上に「沈黙の碑」があります。作家・遠藤周作の代表作である小説「沈黙」の舞台となったトモギ村は外海町が舞台となっています。

石碑には、次の言葉が刻まれています。

 「人間が
    こんなに
  哀しいのに
    主よ
  海があまりに
    碧いのです。」

    遠藤周作

 キリスト教の禁教が解禁されてフランス出身のド・ロ神父が外海に赴任したのは明治12年(1879年)で、私費を投じて出津の天主堂を建設して、併せてマカロニやそうめんを生産する作業場・出津救助院をつくり、貧しい出津の集落に新たな産業をもたらすことになったそうです。

出津の北側にある大野の集落を見下ろす高台の上に大野教会があります。大野教会は、大野の集落に在住していた信者の中に、所属していた4キロ北の出津教会まで出向くのが困難な方々が居たことから、当時の神浦と大野の信者26戸のために明治26年(1893年)にド・ロ神父によって建てられた教会です。 

6年前には平戸に3泊して、平戸の潜伏キリシタン関連の遺産とともに、橋でつながっている生月島も訪れました。

キリシタン遺跡のひとつの「ダンジク様」は、潜伏キリシタンの聖地のひとつで、断崖の上を走る道路からはダンジク(暖竹)が生茂る林の中を潜って、ダンジクが生茂る狭い海岸の一角に「ダンジク様」が祀っています。

 キリスト教が禁教となって、弥市兵衛と妻のマリヤ、そして息子のジュアンの3人が取り締まりの緩いと言われていた五島へ渡るために、生月島南端の断崖が続く海岸沿いのダンジクの茂みの中に隠れていたとき、息子のジュアンが海岸に出て遊ぶ姿を船で捜しに来た役人に見つかり、全員が処刑されたそうです。この3人を祀る祠が「だんじく様」と呼ばれています。

 

傷跡_地震の翌朝

地震から一夜明けて・・・、今朝もJR神戸線の元町駅で降りて、煉瓦敷きの元町商店街をモップを掛けする光景を目にすると、昨日の地震が、遠い昔のことのように感じます。

 でも、昨日の爪痕・・・元町商店街から、三宮センター街を歩いていると、昨日の地震のために臨時休業を知らせる張り紙が、そのまま残っている店舗を見掛けました。

 昨日は早めに閉店する店もありましたが、朝から休業した店も多かったようです。

 昨日の地震の傷跡を物語っているのが今朝の朝刊です。

 全国紙の毎日新聞は「大阪直下M6.1」と、もっとも大きな活字で報じていました。

 同じく全国紙の朝日新聞は「京阪神 交通混乱」という見出しで報じていました。

 地元紙の神戸新聞は「大阪 1500人避難」という見出し、第一報が昨日の夕刊で大きく報じたことを受けて「震度6弱」という見出しは控えめでした。

 英字新聞のthe japan timesは、「Osaka rush hour quake kill three, injures 300」という被害状況を見出しとしていました。

 日本経済新聞は立て組みで「大阪北部で震度6弱」という見出しよりも大きく「インフラ寸断 広範に」と経済紙らしく経済活動を切り口にインフラを取り上げていました。

 業界紙の日刊工業新聞では「大阪地震 創業停止相次ぐ」という見出しで、企業活動の中で、生産への影響を取り上げていました。

 見出しの扱いから、その新聞の特徴が滲み出ているように感じました。また地震を「震度」で表現するケースと「マグニチュード」で表現するケースに分かれていました。

壁画

今日の仕事帰り、JR神戸線の垂水駅を降りると雨が降っていました。駅前のイオンに立ち寄っている間に雨は上がって・・・通り雨だったようです。雨で濡れたアスファルトに水銀灯や門灯に光が反射して綺麗でした。

夕焼けの赤が消えて、夜になる前の西の空、少し前に通り雨があったとは思えない光景です。 

 ネットニュースを見ていると、東京大学の本郷キャンパスの地下にある中央食堂がリニューアルされたのこと。リニューアルに伴って食堂の壁画がなくなったようで、壁画の行方に関してネットで炎上しているようです。2年前に東京大学を訪れた際に撮影した写真を見ると・・・たしかに壁画が写っていました。

この壁画は画家・宇佐美圭司の作品とのこと、1977年から飾られていたそうです。壁画の行方は・・・処分されたそうで、文化的な遺産が容易く処分されることに批判の声が多く集まっているようです。2年前に撮った写真とほぼ同じアングルの写真をネットで見つけました。今現在は、吸音の壁になって、壁の意匠も大きく変わっていました。


=デイリースポーツ 4/27(金) 19:05配信の写真を引用=

 

理性からの逃走

夏目漱石は、小説「草枕」の冒頭で次のように書いています。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 小説のタイトル「草枕」を”The Grass Pillow”と訳さずに”The Three-Cornerd Word”と訳したのがAlan Turneyです。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」から「三角のうちに住む」・・・三角の世間・・・The Three-Cornerd Wordを英訳「草枕」のタイトルにしています。

“An artist is a person who lives in the triangle which remains after the angle which we may call common sense has been removed from this four-cornered world.”

そのAlan Turneyが冒頭の「智に働けば角が立つ。」を

Approach everything rationally, and you become harsh.

と訳しています。”rationally”は、一般に「合理的」と訳されますが、Alan Turneyは「智」の訳語として”rationally”という単語を充てています。一般に「智」の訳語としては”wisdom”や”intellect”, “intelligence”という単語が充てられ、他の「草枕」の英訳では、

Relying on your intellect makes you harsh and rigid.

「知性に頼ることで、頑固で厳しくなる」(私訳)というようなニュアンスなのですが、Alan Turneyの訳だと「ものごとを合理的に捉えようとすると、頑なになる」(私訳)というようなニュアンスとなって、小説の冒頭の有名なフレーズの捉え方が異なってしまうように思います。

 漱石が草枕の冒頭で「智に働けば角が立つ。」というフレーズに込めた思いは、その後の「~詩が生れて、画が出来る。」につながることを考えると、”intellect”(知恵、知性)よりも、”rationally”(合理的、理性)という単語の方が、コンテキストを考えると、より「漱石の智」に近いニュアンスのように感じます。

「智」の対極として「情」ではなくて「芸術」(詩や画」が、この後の草枕の中ではスポットライトがあたることを考えると、合理的な考え方や理性的な捉え方から脱して、詩画の世界(Three-Cornerd Word)を目指すのが、小説「草枕」のテーマとも言えます。まさに小説の冒頭の「智に働けば角が立つ。」は、『理性からの逃走』の序章です。

“Escape from Reason”

 漱石の小説「草枕」テーマそのものをタイトルとした本があります。邦訳は「理性からの逃走」です。Francis A. Schaeffer というアメリカの牧師であり神学者の著作です。

F.A.Schaefferは、近代的な神学(いわゆるリベラル主義)に対抗して、伝統的な信仰(いわゆる福音主義)への回帰の立場をとっています。

リベラル主義とは、伝統的な宗教・信仰を、個々の信仰者の理性の光で照らして、歴史的で保守的な教理体系から自由になることです。「信仰よりも理性」を優先するような立場です。

F.A.Schaefferは、その理性から逃げ出して、伝統的な信仰への復興を目指して、それを著作「理性からの逃走」で言い表しています。

 漱石は、理性から逃走して、詩画の世界へ・・・

 F.A.Schaefferは、理性から逃走して、伝統的な信仰への回帰を・・・

 漱石とF.A.Schaefferの、近代的で合理的な捉え方の窮屈さを脱したいという思いに、アナロジーを感じました。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」、常識で縛られた合理主義を脱するのは、芸術家だけではなくて、信仰者も同じかもしれません。

1・17 阪神・淡路大震災から23年

ここ何年か、1月17日の午前5時46分の震災の時刻を、神戸・三ノ宮の東遊園地での「阪神淡路大震災1.17のつどい」で、多くの方々と黙祷の時を持っていました。今朝は天気予報では雨だったので、23年前の地震に遭った同じ部屋で黙祷をするつもりでした。

 夜半からの雨が降り続いていましたが、気温は低くなく、ずっと1月17日の朝は東遊園地に出向いていたので、遅ればせながら東遊園地に向かうことにしました。

 午前5時46分の「時」はJR垂水駅のホーム、静かに眼を閉じました。

 三ノ宮駅からさんちかの地下街を歩いて、市役所の前を通って東遊園地へ、6時20分ぐらいで、雨降る東遊園地から駅に向かうたくさんの人とすれ違いながら到着しました。下はぬかるんで、一面、傘・傘・傘・・・

 いつもは、すべての竹灯籠が明々と輝いているのですが、雨で消えている竹灯籠が多かったです。新たに竹灯籠を灯そうとする人がいると、待ち構えたようにテレビカメラやレポータが寄ってきて、カメラマンはレンズを向けて、レポーターはマイクを向けます。雨で足早に帰った人が多く、朝のニュースの時間帯に、生放送向けのマスコミ関係者が多い感じです。

 おびただしい数の竹灯籠、午前5時46分の前後は、もっと火が灯っていたのかもしれません。

 東日本大震災で大きな被害があった福島から運ばれた雪でつくられた雪ダルマが、雨に遭っていました。

 東遊園地を後にして、三宮の牛丼屋さん「なか卯」で朝定食を食べて、職場に向かいました。