今朝はJR神戸線・神戸駅で降りて、これまで元町商店街(旧・西国街道)、栄町通り~旧居留地、ハーバーランド~メリケンパーク、JR高架沿い、山手幹線、回教寺院通り・・・と、いろいろなルートを歩いたので、今日は、トアロード経由で、北野異人館通りを歩きました。
山手幹線を、中山手通り3丁目の交差点まで歩いて、そこから山手に向かうトアロードの坂道を歩きました。

明治12年にオリーブの苗木を植えたことに始まる国立の神戸阿利襪園(オリーブ園)跡(現在は北野ホテル)を通ると、坂もかなり急になります。車だと坂の勾配をなかなか実感できませんが、昨年自転車で、此処で息が上がりました。

現在は、神戸外国倶楽部がありますが、此処にかつてトアホテル(Tor Hotel)がありました。

北野異人館通りは東向きの一方通行の細い道です。歩道と車道の境のポールの上部に、このような模様が・・・

真っ白い建物の壁面に「関西ユダヤ教団」というプレートがありました。

この建物は、ユダヤ教のシナゴーグ(synagogue・会堂)でした。東京にシナゴーグがあるのを耳にしたことはありましたが、神戸にシナゴーグがあるのを、この建物の前に立つまで、知りませんでした。
元々ユダヤ教では、終戦40年の、当時の西独のワイツゼッカー大統領の記念演説「荒れ野の40年」にもあるように、幕屋(ミシュカーン・mishkan)と呼ばれた移動式テント神殿を持っていました。幕屋はモーセの指示によって、ベツァレルがつくったことになっています。
モーセによってエジプトを出て、シナイ半島の荒れ野を40年間彷徨った後、ヨルダン川を渡った後はヨシュアが指導者となりますが、ヨシュアの後は、士師(Judge)がイスラエルの民の指導者として、預言者サムエルまで続き、そしてイスラエルの民は国王をいただくようになります。
ダビデ王の子・ソロモンによって紀元前10世紀に神殿(ソロモン神殿)が建設され、その後、バビロン捕囚からの解放後の紀元前6世紀にゼルバベルによって再建された第二神殿、そしてヘロデ大王によって大拡張されたヘロデ神殿・・・ユダヤ教は神殿を中心とする宗教となった経緯があります。
紀元70年、ユダヤ戦争においてローマ帝国軍とアグリッパ2世によって神殿を破壊され、現在残っているのは、神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分だけで、これが「嘆きの壁」と呼ばれています。これによってユダヤ教は、神殿を中心とする信仰生活を奪われたことになります。
ディアスポラ(Diaspora)・・・神殿を失ったイスラエルの民は、各地に散らばって、シナゴーグと呼ばれる会堂で、聖書(モーセ五書等の所謂旧約聖書)の朗読と解説を中心とするコミュニティーの信仰へと変遷して現在に至っています。
神戸のシナゴーグの前に佇んで、荒れ野の40年における幕屋、イスラエル王国の樹立と壮大な神殿、そして嘆きの壁とディアスポラ・・・走馬灯のように歴史が頭の中で駆け巡りました。

異人館が立ち並ぶ、観光化された北野異人館通りを歩いて・・・

かなり大回りをしたので、加納町3丁目の交差点から、三ノ宮駅に向かって、一駅電車に乗りました。
万歩計では
・歩数 17908歩
・歩行距離 13.2km
・階段 720歩
・早歩き 10895歩
・活動エネルギー 918kcal
・総カロリー 2579kcal
・燃焼脂肪量 49.4g
今日の活動量計は、
・脂肪燃焼 1時間38分
・有酸素運動 5分
・無酸素運動 0分
・活動カロリー 762kcal
・総カロリー 2483kcal
・歩数 17078歩
