理性からの逃走

夏目漱石は、小説「草枕」の冒頭で次のように書いています。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 小説のタイトル「草枕」を”The Grass Pillow”と訳さずに”The Three-Cornerd Word”と訳したのがAlan Turneyです。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」から「三角のうちに住む」・・・三角の世間・・・The Three-Cornerd Wordを英訳「草枕」のタイトルにしています。

“An artist is a person who lives in the triangle which remains after the angle which we may call common sense has been removed from this four-cornered world.”

そのAlan Turneyが冒頭の「智に働けば角が立つ。」を

Approach everything rationally, and you become harsh.

と訳しています。”rationally”は、一般に「合理的」と訳されますが、Alan Turneyは「智」の訳語として”rationally”という単語を充てています。一般に「智」の訳語としては”wisdom”や”intellect”, “intelligence”という単語が充てられ、他の「草枕」の英訳では、

Relying on your intellect makes you harsh and rigid.

「知性に頼ることで、頑固で厳しくなる」(私訳)というようなニュアンスなのですが、Alan Turneyの訳だと「ものごとを合理的に捉えようとすると、頑なになる」(私訳)というようなニュアンスとなって、小説の冒頭の有名なフレーズの捉え方が異なってしまうように思います。

 漱石が草枕の冒頭で「智に働けば角が立つ。」というフレーズに込めた思いは、その後の「~詩が生れて、画が出来る。」につながることを考えると、”intellect”(知恵、知性)よりも、”rationally”(合理的、理性)という単語の方が、コンテキストを考えると、より「漱石の智」に近いニュアンスのように感じます。

「智」の対極として「情」ではなくて「芸術」(詩や画」が、この後の草枕の中ではスポットライトがあたることを考えると、合理的な考え方や理性的な捉え方から脱して、詩画の世界(Three-Cornerd Word)を目指すのが、小説「草枕」のテーマとも言えます。まさに小説の冒頭の「智に働けば角が立つ。」は、『理性からの逃走』の序章です。

“Escape from Reason”

 漱石の小説「草枕」テーマそのものをタイトルとした本があります。邦訳は「理性からの逃走」です。Francis A. Schaeffer というアメリカの牧師であり神学者の著作です。

F.A.Schaefferは、近代的な神学(いわゆるリベラル主義)に対抗して、伝統的な信仰(いわゆる福音主義)への回帰の立場をとっています。

リベラル主義とは、伝統的な宗教・信仰を、個々の信仰者の理性の光で照らして、歴史的で保守的な教理体系から自由になることです。「信仰よりも理性」を優先するような立場です。

F.A.Schaefferは、その理性から逃げ出して、伝統的な信仰への復興を目指して、それを著作「理性からの逃走」で言い表しています。

 漱石は、理性から逃走して、詩画の世界へ・・・

 F.A.Schaefferは、理性から逃走して、伝統的な信仰への回帰を・・・

 漱石とF.A.Schaefferの、近代的で合理的な捉え方の窮屈さを脱したいという思いに、アナロジーを感じました。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」、常識で縛られた合理主義を脱するのは、芸術家だけではなくて、信仰者も同じかもしれません。

1・17 阪神・淡路大震災から23年

ここ何年か、1月17日の午前5時46分の震災の時刻を、神戸・三ノ宮の東遊園地での「阪神淡路大震災1.17のつどい」で、多くの方々と黙祷の時を持っていました。今朝は天気予報では雨だったので、23年前の地震に遭った同じ部屋で黙祷をするつもりでした。

 夜半からの雨が降り続いていましたが、気温は低くなく、ずっと1月17日の朝は東遊園地に出向いていたので、遅ればせながら東遊園地に向かうことにしました。

 午前5時46分の「時」はJR垂水駅のホーム、静かに眼を閉じました。

 三ノ宮駅からさんちかの地下街を歩いて、市役所の前を通って東遊園地へ、6時20分ぐらいで、雨降る東遊園地から駅に向かうたくさんの人とすれ違いながら到着しました。下はぬかるんで、一面、傘・傘・傘・・・

 いつもは、すべての竹灯籠が明々と輝いているのですが、雨で消えている竹灯籠が多かったです。新たに竹灯籠を灯そうとする人がいると、待ち構えたようにテレビカメラやレポータが寄ってきて、カメラマンはレンズを向けて、レポーターはマイクを向けます。雨で足早に帰った人が多く、朝のニュースの時間帯に、生放送向けのマスコミ関係者が多い感じです。

 おびただしい数の竹灯籠、午前5時46分の前後は、もっと火が灯っていたのかもしれません。

 東日本大震災で大きな被害があった福島から運ばれた雪でつくられた雪ダルマが、雨に遭っていました。

 東遊園地を後にして、三宮の牛丼屋さん「なか卯」で朝定食を食べて、職場に向かいました。

“人間の業”の肯定

故・立川談志は、「落語とは”人間の業”の肯定」という主張をしていました。あるがまま、眠たくなったら寝て、呑みたくなったら酒を呑む、時によっては、「これだけはしてはいけない」ということをやってしまうという”人間の業”をも肯定するのが落語・・・と談志は言っています。

 ”人間の業”そのものの噺家が、古今亭志ん生だったのかもしれません。酒を呑んで高座に上がって、呂律が回らなかったり、高座で眠ってしまったり・・・

 その志ん生が、”人間の業”を肯定する噺「黄金餅」を演じると、まさに落語の、ある意味での真骨頂なのかもしれません。悪いことをして、それが成功して、そして幸せになりました。という正義とは無関係な噺です。それを「芸」として演じるのが落語・・・

 松本清張原作の映画「疑惑」は、まさに桃井かおりが演じる”人間の業”そのものの悪女の話です。冤罪で殺人罪の被疑者・被告となって、反省するでもなく法廷で悪女ぶりを発揮して、でも最終的には無罪となる話。

 悪女を一環として通して、無罪後も反省することなく、無罪を勝ち取った岩下志麻演じる弁護士の白いスーツに、赤ワインをかける桃井かおり・・・

 被告の桃井かおりを同情して弁護したわけではなくて、あくまでも弁護士として、真相を究明して職務をまっとうしただけだと応酬して、桃井かおりの顔面にワイングラスのワインをかける岩下志麻・・・

 最後に、舞台となった富山を去るシーンで、裁判の報道で一躍有名になった桃井かおりをホームから奇異の目で見る人々に対して、薄笑いを浮かべて煙草をくゆらすシーンで映画は終わります。

 桃井かおりと岩下志麻という、みずからの生き方を貫く女性2人にコントラストも見ものですが、1シーンしか出番がない真野響子の演技も、岩下志麻役の弁護士のありようを浮き彫りにしてくれます。

 真野響子の朗読は、舌足らずで、なんでこんな人が朗読するんだろうと十代の頃は感じていましたが、この映画でも・・・舌足らずでした。でもそれが活かされた役回りで、岩下志麻との「差異と相似の複雑な関係」が面白かったです。 

 真野響子は、ちゅらんさんでの少しおどけた母親役の印象が強くなってしまっていますが、御宿かわせみ、更に遡れば、大河ドラマ「風と雲と虹と」と、この頃の真野響子は、まだコミカルな役回りではなかった頃です。

 悪い人間が、でも悪いことしなくても、真っ先に犯人と思われ断定されていく過程。そして好き嫌いを別として、事実と照らし合わせて客観的にバイアスを取り除いて真実を浮き彫りにする切り口。主観と客観ということを考えさせられる映画でもありました。

疑惑

夏目漱石の小説「こころ」の中で、「先生」と「私」の間で財産や親戚の話題になったときに、「先生」が「私」に言った言葉が、「こころ」の中で私にとって印象的な箇所です。

「・・・悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型いかたに入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。・・・」

   夏目漱石「こころ」二十八より

 漱石の「悪人は世の中にあるはずがない」の対局として、悪女を扱った邦画「疑惑」があります。桃井かおり演じる悪女が、犯人と疑われる中で、岩下志麻演じる女性弁護士が「悪女だけど、悪いことはしていない」、つまり犯罪を犯しておらず無罪であることを導くストーリーです。映画館に観に行った記憶もあり、その後テレビの放映を見た記憶もありますが、随分観ていません。

 正月休みに、映画「疑惑」のことを思い出して、急に観たくなって、アマゾンで中古を買いました。

「悪人は世の中にあるはずがない」という漱石に対して、映画・疑惑では、桃井かおり演じる「恐喝・傷害などで前科四犯の悪名高い女」が被疑者となった事件において、疑われても仕方がない状態で状況証拠が揃っている中で「実際には悪いことはしていない」というコントラストが印象に残っています。

この週末に、ゆっくり観たいと思っています。

western wall

 ヘロデ大王は,紀元前37年にローマ帝国の元老院から評価されてローマ軍を貸与されて,エルサレム攻囲戦で勝利を収めました.そしてエルサレムを占拠して,ローマの従属するユダヤ人の王として君臨して在位が30年を超えています.

 ヘロデ大王の業績として離宮としても使ったマサダ要塞の建設があります.西暦66年に勃発したユダヤ戦争において,エルサレム陥落後にマサダ要塞に立て籠もった最後の砦です.西暦73年にローマ軍によって陥落したことによってユダヤ戦争は終結して,その後ユダヤ人はディアスポラ(離散)の民族集団となった経緯があります.離散したユダヤ人がエルサレムに戻るのは・・・第二次世界大戦後の1948年のイスラエル建国であり,その間1900年近い歳月が流れたことになります.

 ヘロデ大王のもう一つの業績が,第二神殿とも言われている紀元前20年のエルサレム神殿の大拡張が挙げられます.この神殿は,西暦70年のユダヤ戦争によって破壊されましたが,神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分は残されました.それが神殿の西壁 (western wall)であり,一般に嘆きの壁(Wailing Wall )と呼ばれています.

 三日前の5月22日に現職のアメリカ大統領として初めてトランプ氏が「嘆きの壁」を訪問したニュースに接しました.ユダヤ教徒の丸い帽子をかぶり、壁に手をついて祈りを捧げる姿が配信されています.


AP配信


CNN配信


AFP配信

 このニュースに触れて初めて知ったのですが,トランプ氏の娘のイヴァンカ氏はユダヤ人の夫との結婚前にプレスビテリアンのクリスチャンからユダヤ教に改宗したユダヤ人だそうです.トランプ氏に同行したイヴァンカ氏が嘆きの壁の女性区域で祈りを捧げる写真も配信されています.


AFP配信

Victory in Europe

授業の導入で「今日は何の日」を問い掛けることがあります.今日の授業で「今日は何の日」を問い掛けると・・・レスポンスがありませんでした.

 黒板に大きく「Victory in Europe」と書いて「日本語では?」と訊くと「ヨーロッパの勝利」と返ってきました.「日本だと8月15日」とヒントを与えると,やっと「第二次世界大戦」と答えが返ってきました.

 今日はヨーロッパ戦勝記念日で,第二次世界大戦で連合国がドイツを降伏させた日・ヨーロッパにおける勝利を記念する日です.1945年5月8日です.

 その40年後の1985年5月8日に当時の西ドイツにおいて,連邦議会でのヴァイツゼッカー大統領の演説が「荒野の40年」と言われる名演説です。有名なフレーズ・・・

・・・問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。』非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。・・・

 ヴァイツゼッカー大統領の「荒野の40年」に関しては2年前のヴァイツゼッカーの国葬の時に書き綴っています.

荒れ野の40年
http://web.citykobe.jp/2015/02/12/

 モーセが率いるイスラエルの民が,シナイ野で40年彷徨った記録が旧約聖書において「出エジプト」から「ヨルダン渡河」までに記されています.約束の地に入ることのできなかったモーセの言葉が申命記の最後に記されています.

 そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
        申命記34章4節~5節

 今日5月8日は,Beatlesの最後のアルバム「Let it Be」の発売日でもあります.1970年・・・47年前です.

 そして5月8日は語呂から「ゴーヤの日」でもあります.

一つの決心

三好達治の詩に「百舌(もず)」という作品があります.

槻(つき)の梢に 
ひとつ時默つてゐた
分別顏な春の百舌

曇り空を高だかと
やがて斜めに川を越えた

紺屋の前の榛(はん)の木へ・・・

ああその

今の私に欲しいのは
小鳥の愛らしい 一つの決心

三好達治,『閒花集』1934年

 記憶の奥底に忘れかけていた達治の詩が,ふと思い出されました.忘れかけていた思い,大切なもの,初心・・・

John3:16

世界的なスポーツの競技場のテレビ映像を見ていると,観客席を写した映像に時々「John3:16」と書かれたプラカードを見ることがあります.

For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.
 John 3:16 New International Version (NIV)

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
  ヨハネによる福音書3章16節 新改訳聖書

今日は旧暦の3月21日です.春分の日(3月20日)が旧暦の2月23日で,春分の日の後の満月が4月11日(旧暦の3月15日)で,今日は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」となり・・・今日はEaster,復活祭です.

 今年は西方教会(カトリック,プロテスタント)と東方教会(正教会)が同じ日にイースターを祝うことになります.

 十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念するのがイースターです.新約聖書の十字架の「贖い(goel)」は旧約聖書では,また違った意味を持ちます.

 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」
  ルツ記2章20節 新改訳聖書

 ここで「買い戻しの権利のある私たちの親類のひとり」が「贖い(goel)」です.goel(ゴエル)とはガーアル(gaal=買い戻す、近親者として買い戻しや復讐の務めを果たす)という動詞から来た名詞で,代価を払って買い戻す行為のことです.

 さらに旧約聖書をさかのぼると・・・

 あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。
  出エジプト記15章13節 新改訳聖書

 エジプトで奴隷状態となったイスラエルの民を,神が大きな代価を払って救われた「贖い」を言い表しています.

 旧約聖書から新約聖書を貫く「贖い(goel)」を今日のイースターの日に心に留めたいと思います.