1年

昨年の5月1日に天皇の皇位継承があり、今上天皇が即位して今日4月30日で丸1年となります。そして元号が令和となって丸一年です。

江戸時代以前ならば、今年のように大きな新型コロナウィルス(疫病)が流行すると改元することになりますが、新天皇の即位時に限定して改元する「一世一元の制」となりましたので、「改元」ではなくて、科学の力や国民ひとりひとりの行動力で対処する必要があります。

明治、大正、昭和、平成、そして令和と、5つ目の元号となります。時代の移り変わり・・・

中原中也の詩に「サーカス」というタイトルの詩があります。

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

   中原中也 『山羊の歌』より

遡ると、20世紀から21世紀に時代が変わったのが19年前、
そして昭和から平成に時代が変わったのが31年前です。

緊急と非常

無線通信の世界では、緊急通信と非常通信とは意味が異なります。

○緊急通信(Urgency Communications):「船舶又は航空機が重大かつ急迫の危機に陥るおそれがある場合その他緊急の事態が発生した場合に緊急信号を前置する方法その他総務省令で定める方法により行う無線通信をいう。」(電波法第52条第2号)

○非常通信(Emergency Traffic) :「地震、台風、洪水、津波、雪害、火災、暴動その他非常の事態が発生し、又は発生するおそれがある場合において、有線通信を使用することができないか又はこれを利用することが著しく困難であるときに人命の救助、災害の救援、交通通信の確保又は秩序の維持のために行われる無線通信をいう。」(電波法第52条第4号)

緊急通信は「重大かつ急迫の危機に陥るおそれがある場合」「緊急の事態が発生した場合」となっており、非常通信は「非常の事態が発生し、又は発生するおそれがある場合」という状況下での特例の通信のことです。

緊急と非常の違い、英語では緊急は「urgency」で、語源を辿ればラテン語の「urge」にルーツがあるようで、急き立てる、或いは駆りたてる、また急がせる、というような意味を持った言葉です。英語の「urgency」は名詞語尾「cy」が付いて「切迫、急迫、緊急」という意味になります。

それに対して英語の非常は「Emergency」で、語源を辿れば、こちらもラテン語にルーツがあってラテン語の「emergere」は、「e(外へ) + merge(沈む)」で、今まで見えなかったものが表に現れる、好ましくない事件や事態が発生する、というニュアンスの言葉です。英語の「emergency」は名詞語尾「cy」が付いて「非常時、有事」という意味になります。

同じような言葉ですが「urgency」は、単に急を要する場合(業務や切り傷などの軽い怪我、命に別状がない病気など)に使われるような言葉だそうで、「emergency」は、危険や深刻、重大な事態に追い込まれて急を要する場合(天災や命に関わる病気や怪我など)に使われる言葉です。

ただ、今回の新型コロナウイルスによる緊急事態宣言においては、英語での報道を見ると「state of emergency declaration」という表記がほとんどで、今回の新型コロナウイルスによる緊急事態は「state of emergency」で、無線通信の非常(emergency)に相当するようです。

もっとも無線通信の世界では、「緊急通信」より優先する「遭難通信」が電波法で定められています。

○遭難通信(Distress Communication):船舶又は航空機が重大かつ急迫の危険に陥った場合に遭難信号を前置する方法その他総務省令で定める方法により行う通信である(電波法第52条)

無線通信は、元々は有線通信が使えず、無線通信だけが頼りの船舶や航空機等がメインであったため、もっとも優先する通信が遭難通信になっています。ですので電波法での「緊急通信」は「遭難通信」に継いで優先されるという位置づけなので、ちょっと違うのかもしれません。

ただ、これだけ緊急事態が長引き、更に延長されそうな気配があり、「緊急」という緊張感が維持できるのか、心配です。月単位での長期に及ぶ場合は、むしろ「非常事態」ではないかとも思います。海外では中国が2ヶ月ほどで規制が緩和され、欧州でも同様に現在ピークを過ぎて規制の緩和に向かっているようです。「非常」と「緊急」の狭間のような感じです、ただ海外では「外出禁止」や「ロックアウト・都市封鎖」という強力な規制なのに対して、日本は外出自粛という緩やかな規制になっています。

優先入店

近くのスーパーで、週末に買い物に訪れた時になかった貼り紙が増えていました。

大阪のイオン系列のスーパーでは、鉄道の優先座席のような条件での、早朝の「優先入店」の案内が書かれていました。

 明後日の祭日には早朝の混み合わない時間帯に訪れる予定でしたが、優先時間帯が設けられているので、明石の24時間営業のハローズまで足を伸ばそうかと思います。

 

ステイホーム週間

昨日から連休が終わるまではステイホーム週間ということで、これまで以上に外出の自粛が求められています。東京都知事が、休業や外出自粛をより一層取り組むために、企業などに連続休暇や在宅勤務を薦め、都民に対しては外出自粛を強く求めたのがステイホーム週間です。

 今日も出来るだけ外出は控えて、夕食の時にテレビでサザエさんを観ていると、ゴールデンウィークでサザエさん一家が出掛ける先を相談するような話で、実際には動物園に行くというような内容でした。

 観ていてちょっと違和感を感じました。ステイホーム週間になって、世間のムードと乖離したストーリー。ゴールデンウィークのお出掛けがテーマなので、外出自粛の風潮に逆行するアニメ・・・

翌日、ネットで「サザエさんが『炎上』」という書き込みがあちこちで報じられていました。まあ、この時期にあの内容は、ちょっとどうかなあ~とは思いましたが、 「不謹慎」、「のんきに家族で外出していいるのを見ると腹立つ」というような書込みがあったそうです。それに対して「行き過ぎた不謹慎狩り」という批判の書込みもあったそうです。

国民的なアニメとも言われているので、こんな話題になるのかもしれません。

パワーゲーム

社会学の講義で、政治はパワーゲームだと聞いたことがあります。

経済は、資本・お金を巡ってのマネーゲームであり、政治は権力を巡ってのパワーゲームというシンボリックな説明です。

もちろん普段は、公共や福祉、教育や医療等々、国民主権の旗を揚げて、政治がパワーゲームであることがあからさまになることはありませんが、今回の新型コロナ対策に関して、政治がパワーゲームであることが露わになる場面が少なくないように感じています。

 緊急事態宣言の発出に関して、布マスクの全戸配布に関して、国民一人に10万円給付について・・・パワーゲームのやりとりが、NHK総合テレビの7時のニュースの中で、時間を割いてつまびらかに報じたことに驚いています。今までは新聞記事でパワーゲームを取り上げたり、民放のワイドショーで、芸能人のゴシップと同じように面白おかしく取り上げることはあっても、NHKのニュースで報じるのに接したことは初めてのように思います。

 緊急事態宣言によって街のいとなみが鎮静化して、いろいろな自粛要請に従わない事象に対して非社会的、あるいは反社会的というレッテルが貼られるような様相を感じます。法の強制力がない要請に対して、社会的な圧力が、マスコミを含めて「世間の目」を気にするような状況にあるように思います。

実際に、おおらかな風潮があるといわれるイタリアやスペイン、フランス、そしてアメリカのニューヨークで新型コロナウイルスが大流行したのに対して、ドイツでは大流行に至っていないことも、このような社会的・文化的な風潮も一因ではないかと思わされます。

confuse(混沌・混乱・混雑)

 非常勤講師を勤めている県立大が、5月からの前期授業の再開に向けて、すぐには通常の授業が出来ない状況なので、オンライン授業を基本とするようです。今週1週間がオンライン授業のリハーサルだったのですが、初日の月曜の時点でネット回線の不具合で失敗して、結局リハーサルは見合わせることになりました。

 同じ日に東北大でもオンライン授業の試行初日で、アクセス集中でシステム障害が発生して、授業を受けることが出来なかった学生がいたそうです。3500人の受講に対して、一斉アクセスの対応がシステムとして出来なかったようです。

 昨日は、社会人となって最初に勤めた会社・シャープが、三重の工場の液晶パネルをつくるクリーンルームの一角でマスクの生産を開始していたのですが、ネットを通して昨日から販売を開始したのが・・・想定をはるかに越えるアクセスが集中して、結局、販売を停止しているようです。

テレワークや在宅勤務、それに休業・休校に加えて自宅待機と、街中や電車の混雑度は低下しているようですが、ネット上はアクセスが増大して、かなり混雑しているようです。今までテレワークをしていなかった中小企業等が在宅勤務の対応をしたり、もし休校が長引けば、大学・専門学校、小中高の学校の学生・生徒が一斉にオンライン授業の動画にアクセスして、回線の大混雑とともに、大学や学校のサーバーにシステム障害が起きる可能性も少なくないです。

入念に準備して、生徒全員にタブレットを配布して、お金と時間を掛けても、オンライン授業やICT教育が上手くいかないことが多いですが、今回は、何の準備もなく、オンライン授業やICT教育の為のサーバ等のシステムの増強も行なっていません。

生徒や学生も、パソコンで受講するとは限らず、タブレットや、小さなスマホ画面というケースも想定する必要があります。通信の容量制限がある場合には、経済的な負担も問題になるかもしれません。また資料等をプリントアウトする環境が家庭にない場合には、コンビニでお金を払ってプリントする必要があります。

 街中の混雑は低減されていますが、ネット回線上では、混雑や混乱が問題化して、混沌状態の様相を呈し始めているように思います。なんでもかんでもオンライン・・・とネットに押し付ける風潮を感じますが、キャパシティーを越えたニーズを捌ききれない状況に近づいているような気がします。

発出

最近、ニュース等で耳にすると引っかかるのが「発出」という言葉です。「 緊急事態宣言」に際して「発出」という、これまで耳にしたことがない言葉を使われています。

法治国家としての法令や省令、規則とは異なりますので、発布や公布という言葉を使うことが出来ないですし「発令」という言葉を使えば「戒厳令」のような緊迫感を伴うことを嫌って「発令」という言葉に辿り着いたのかなあ~と、勝手に想像しています。

ネットで検索すると・・・私と同じように「発出」という言葉に違和感を感じる方々が結構多いようで、「耳慣れない」や「耳障り」という表現まで検索されました。

書き言葉としての「発出」を目にすると「出発」を逆さまにした言葉で、意味としても「出発」に近いニュアンスを持っています。でも話し言葉としての「はっしゅつ」は滑舌が悪いと・・・確かに「耳障り」の悪い言葉ですし、言いにくい言葉です。

「発出」という言葉をニュースで耳にするたびに、何故、こんな言葉を敢えて使うのだろう?と単純に疑問を感じてしまいます。「お役所仕事」として無難な言葉なのかもしれませんが、センスが良い言葉とは、思えません。

舞台

教師の舞台は、教室での「授業」がメインストリームです。大学の教員の場合は、「研究」が授業と共にメインとなって研究成果や研究指導にウエイトが置かれて、教員の業績を考えると「学会」が舞台となるような傾向が強いです。

外出を控えるようになって・・・自宅でネットでのコンテンツを愉しむ機会が増えました。今までYoutubeは、それほど閲覧することがなかったのですが、昨年購入した4K液晶テレビはWiFi経由で、リモコン操作でYoutubeを大画面で鑑賞できるので、Youtubeをパソコンの液晶ではなくて、ソファーに座ってテレビ画面で鑑賞することが多くなりました。

生徒は、自己紹介の時に好きなYoutuber,お気に入りのYoutuberというのが、ひとつのコミュニケーションチャンネルのようで、テレビの視聴よりも、スマホ経由でYoutuberが発信する情報の影響の方が大きい傾向を感じます。Youtubeを舞台にして活躍しているYoutuber達が、彼らにとって大きな存在のようです。Youtuberも、自分のチャンネルで「街で声を掛けられるようになった」「この前も『いつも見てます、楽しみですと言われた』等々、身近なアイドルのような存在となっているようです。

新型コロナウイルスの関連で、小池都知事とYoutuberの ひかきん がYoutube上でコラボをしていました。Youtubeという「舞台」が一部のマニアのものではなくて、社会的に根付いて認知されているようです。

テレビの放送メディアが、いわゆる「芸能人」の「舞台」です。なかには劇場やコンサートホールを主軸に活躍している芸能人も少なくないですが、地上テレビがメインストリームで、振り返ると50年以上、「芸能界」という虚像の世界が、テレビ放送を「舞台」としている状態が続いているようです。

その前は・・・おそらく「映画」が「役者」の「舞台」だったように思います。テレビ放送の黎明期には、映画が格上で、テレビは格下という上下関係があったようです。浅草の六区や新開地に映画館が並んでいた時代・・・

落語家や講談師、漫才師などの話芸は「ラジオ」が「舞台」だったようで、ゴールデンタイムだった夜7時頃からは演芸番組がラジオの主役だったそうです。

更に遡ると、昭和初期から、更に大正期・明治期には、劇場や寄席の、まさに舞台が「役者」や「芸人」にとっての「舞台」だったようです。それぞれが「舞台」を持っていた時代。噺家は「寄席」、役者は「舞台」、力士は「土俵」・・・

Youtubeを愉しみながら、バラエティーのジャンルでは

・芸人・・・舞台
・芸人・・・映画
・芸能人・・・テレビ
・Youtuber・・・Youtube

変遷というか、時代を感じました。

Youtuber達も、自分のチャンネルで、「~~さんは・・・」と、他のYoutuberの話題を振ることが少なくないように感じます。テレビを舞台とした芸能界とは違った、Youtubeを舞台とした世界が芽生えているような気配を感じます。