朝の通勤路

この数日、朝はJR神戸線の元町駅で降りて、2駅分を歩くようにしています。40分あまりで、早足で歩くので、この時期汗ばむ程度です。

 今朝は、どんよりと低い雲が垂れ下がっていました。

 元町駅、路地越しに眺めたJRの高架・・・ちょうど貨物列車が通り過ぎていました。

 三宮センター街の南側に三宮本通商店街があります。朝は人影もなく各店舗の前にはゴミが置かれています。

 阪急三宮駅の北側には、居酒屋が並ぶサンキタ通りがあります。さすがに朝は人影も疎らです。

 阪急の高架沿い歩いて・・・長い阪急電車の普通が通り過ぎていきました。

 JRの複々線と阪急の複線が並行する高架、高架の横幅が広いです。 

 帰宅してシャワー後に体脂肪計で測ると、
・体重 63.8kg
・体脂肪 14.5%

 この3週間ほどで、体重は2キロあまり減って、体脂肪率は3%ほど減りました。

今日の活動量計
・脂肪燃焼 2時間19分
・有酸素運動 7分
・無酸素運動 1分
・歩数 14817歩
・活動カロリー 986kcal
・総カロリー 2838kcal
万歩計では
・歩数 17059歩
・歩行距離 12.6km
・階段 710歩
・早歩き 10409歩
活動エネルギー 1102kcal
総カロリー  2763kcal
燃焼脂肪量 56.3.g

半分、青い

今朝はJR神戸線、元町駅で降りて2駅分を歩きました。早朝の高架下商店街・・・

 高架下商店街の東の端を出ると、エアーポートバスの乗り場です。関西空港行きと、伊丹空港行きが、ほぼ交互に此処から出発しています。

 新生田川添いの桜並木・・・若葉の陰に、サクランボの小さな実が成って、朝日を浴びて赤く輝いていました。

 毎朝、朝ドラを録画して夜に見ていますが、仕事から帰って、今朝の録画分を見ようとしたら・・・先週の土曜日放送分を未だ見ていなかったことに気付きました。

「半分、青い。」というタイトル、放送が始まって2週間が経ってもタイトルの意味がわかりませんでしたが、先週土曜日の放送分で「半分、青い。」というタイトルとなったような、空半分が白い雲で、残りの半分が青空の光景・・・

 この光景を目にして、ヒロイン・楡野鈴愛の子役時代を演じる矢崎由紗が、空を見上げて「半分、青い。」と口にしていました。鈴愛は左耳をムンプス難聴で失聴して、回復しないと診断され、それを本人が知って、葛藤しながらも気持ちを切り替え、同級生の律や、家族に支えられながら、難聴独特の感覚を愉しもうとして歩み始める・・・という設定、それが「半分、青い。」というタイトルとして顕われていることが、やっとわかりました。

先週で子役は終わって、今朝放送分からは、永野芽郁が演じているようですが、観るのは明日です。

今日の活動量計
・脂肪燃焼 2時間43分
・有酸素運動 9分
・無酸素運動 1分
・歩数 13372歩
・活動カロリー 968kcal
・総カロリー 2805kcal
万歩計では
・歩数 17419歩
・歩行距離 12.9km
・階段 620歩
・早歩き 9562歩
活動エネルギー 1196kcal
総カロリー  2857kcal
燃焼脂肪量 63.8g

星陵台から望む海

 昔の垂水郷は、東は福田川、西は山田川、北は高丸陸(たかまるくが)、南は海岸でした。高丸陸とは、垂水の北側に広がる丘陵地帯です。現在は高丸、星陵台と呼ばれています。

 星陵台の西南の海を見下ろす高台には愛徳学園があり、そこから歌敷山、霞ヶ丘、五色山を見下ろす光景は、私のお気に入りです。

 大阪湾を行き交う船影、そして大阪湾越しに友ヶ島の島影も望めます。

入浴

 今朝、神戸の西隣の町・稲美町へ・・・

「稲が美しい」という町名のように田畑とため池が広がっています。この時期、稲美町の大麦畑は、実り始めた大麦が青々として綺麗です。梅雨が近づくと、麦畑が黄金色に輝く麦秋の光景が稲美町に広がります。稲美町は西日本の六条大麦の一大産地だそうです。

 垂水温泉「太平の湯」へ、1時間あまり、朝湯を楽しみました。今朝は活動量計を腕につけたまま入浴しました。防水型なので入浴時もOKなのですが、普段は入浴時やシャワー時に充電することが多かったので、入浴時の心拍数を測るの初めてです。

 入浴時は心拍数が小さく、安静状態だと思っていたのですが、結構、入浴の間の心拍数は高い数値でした。特にサウナに入った時や、いろいろな湯船を移動する時に高い数値となりました。心拍数が130台になることも多く、最も高くなったのは150を超えていました。入浴していたのは、8時過ぎから9時半頃までです。最後の方にサウナに入って、熱い湯に入っていました。

 ネットで調べると、熱いお湯に入ると、心拍数が上がって心身を覚醒させるそうです。逆に37度程度のぬるま湯に入ると、心拍数の上昇が少なく、おだやかな状態で入浴できるそうです。ぬるま湯だと、休息・リラックスの神経である副交感神経が優位となって筋肉が緩んで心身ともにリラックスできるようです。太平の湯では、炭酸に湯が比較的ぬるま湯で、それ以外は40度、42度と、熱めの湯船が多いです。

 お湯の出入りの時に、活動量計が表示する心拍数の数値が大きく変化するのを目にして、多分血圧の変動も大きいのだろうなあ~と感じました。

夕暮れ時

 仕事帰りに見上げた夕暮れ時の西の空が、綺麗だったので、立ち止まってカバンからデジカメを取り出してレンズを向けました。

 住宅地の中の、丘の上の木立を見上げると、まだ芽吹いていない枝々の間から西の空が透けて見えて、一服の絵を見ているようでした。

今日の活動量計
・脂肪燃焼 1時間53分
・有酸素運動 7分
・無酸素運動 2分
・歩数 14679歩
・活動カロリー 1004kcal
・総カロリー 2826kcal
万歩計では
・歩数 17642歩
・歩行距離 13.0km
・階段 880歩
・早歩き 11313歩
活動エネルギー 1202kcal
総カロリー  2863kcal
燃焼脂肪量 63.0g

春はあけぼの

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
   ~~ 清少納言の書いた枕草子の冒頭

 今朝は曇りがちの空模様、東の空の微妙な光景がきれいでした。

 加古川流域で発生した霧や霞の影響で電車に遅れが生じていました。そのおかげで、数分前の快速電車に乗ることができました。

 オレンジ色の曙光が垂水駅のホームに差し込んで、早朝にもかかわらず、遅れた電車を待つ列ができていました。

 元町駅で降りて、2駅分を歩きました。新生田川添いの、地元の自治会が手入れをしている花壇、ペットボトルに色水を入れて・・・きれいです。

 仕事帰りのイオン、明日から、此処でミシンのバーゲンがあるようです。

 ミシン、タイプライター、昔、家庭にあった機械仕掛けの製品がほとんど見掛けなくなりました。今のミシンは、かなりエレクトロニクス化されているようです。

 はじめて目にする、ドリンクタイプのヨーグルトに思わず手が伸びました。

今日の活動量計
・脂肪燃焼 2時間05分
・有酸素運動 4分
・無酸素運動 0分
・歩数 16323歩
・活動カロリー 985kcal
・総カロリー 2768kcal
万歩計では
・歩数 118967歩
・歩行距離 14.1km
・階段 830歩
・早歩き 11887歩
活動エネルギー 1202kcal
総カロリー  2863kcal
燃焼脂肪量 59.4g

葉桜

3月末に、ほぼ満開になっていた今年の桜は、桜の木の下に散った桜の花びらの鮮やかさが消えゆき・・・

 そして花に替わって青々とした若葉が眩しく感じるようになりました。

 花冷えの数日間も過ぎて、今朝は、元町駅から2駅分歩くと、ちょっと汗ばみました。

今日の活動量計
・脂肪燃焼 2時間23分
・有酸素運動 10分
・無酸素運動 0分
・歩数 115654歩
・活動カロリー 1100kcal
・総カロリー 2887kcal
万歩計では
・歩数 18044歩
・歩行距離 13.3km
・階段 970歩
・早歩き 11155歩
活動エネルギー 1196kcal
総カロリー  2857kcal
燃焼脂肪量 60.9g

神戸の街、港と鉄道

 神戸の街は、平安時代から国内航路で栄えていた兵庫津という古い港を擁する「兵庫町」に隣接する位置にあって、幕末に諸外国から開港を迫られたときに、本来は「兵庫港」の開港のはずでしたが、当時の幕府が国内航路の主要港であった兵庫港を貿易港とすることを渋って「神戸」に開港した経緯があります。

 幕末に、網屋吉兵衛が兵庫港の近くの西国街道沿いの寒村に過ぎなかった「神戸村」の浜に、船のメンテナンスをする「船たで場」を私財を投じて竣工し、その施設を利用して、勝海舟が「海軍操練所」を設立をさせていました。兵庫港を貿易港とすることを嫌った幕府は、神戸村の浜にあった海軍操練所の施設を元にして港をつくって、当初は「兵庫港」として開港した経緯があります。旧暦の慶応3年のことで、現在の暦では1868年になります。

「兵庫港」ではなくて次第に港のある村名から「神戸港」の名が使われるようになり、神戸・KOBEの地名が、航路での「日本の入り口」として有名になったようです。ただ公的には1892年(明治25年)の勅令第77号ではじめて「神戸港」の名前が正式に出てくるそうです。

 幕末には、幕府領だったこともあって、明治4年の廃藩置県に先立って、慶応4年には 兵庫鎮台、そして兵庫裁判所に改められ、同年には兵庫県が誕生しています。まだ、この時には「神戸村」は、大きな兵庫町の東に位置する寒村でしかなかったわけです。慶応4年の「県」が誕生した時には、兵庫の名が使われたのは、至極当然だったことと思います。

 一方、神戸は・・・幕末までは、西国街道沿いの寒村だった「神戸村」は、貿易港開港の時に、西国街道沿いの 八部郡神戸村と二ツ茶屋村そして走水村(はしうどむら)が合併して「神戸町」となっています。概ね現在の神戸駅の東側から、三宮駅の西側辺りの浜側一帯になります。

 明治5年には、西国街道の山側の生田宮村、中宮村、花熊村、北野村、宇治野村を「神戸町」が吸収しています。明治12年には、 郡区町村編制法によって、神戸町と兵庫町、そして坂本村が合わさって「神戸区」が誕生しています。明治12年の時点では、「兵庫」と「神戸」の地名としての地位が入れ替わったようです。その後、明治22年の市制で「神戸市」となって、「兵庫」県の中に「神戸」市が存在する構図となったわけです。これは「神奈川」と「横浜」との関係に似ています。

 このように「神戸」の町は、港を中心に栄えた歴史があります。そして居留地や雑居地が町の形成に大きく関わっています。ただ現在の神戸のもっとも賑やかな繁華街である「三ノ宮」は、違った経緯で繁華街が形成されたようです。

 それまで阪神電車と阪急電車が、当時の市境だった現在の「中央区と灘区の区界」となる雲井町や脇浜町が終点で、そこからは市電に乗り換えて神戸市に入っていました。神戸の市街まで乗り入れるようになったのは、阪神電車が昭和8年に現在の三宮駅を神戸駅として開業、そして阪急電車は昭和11年に現在の、三宮駅を、これも神戸駅として開業しています。

 当時の省線は、元々は三ノ宮神社の三ノ宮駅があったのを、昭和6年に現在地に三ノ宮駅を移設した経緯がありあす。旧生田川を埋め立てた、当時は「滝道」と呼ばれていた場所に百貨店のそごうがオープンして、阪神電車と阪急電車の駅もオープンするのに合せたようです。

 三ノ宮の街は、昭和6年から昭和11年に相次いで駅が開業して、そして百貨店のそごう神戸店のオープンがスタートになっています。三ノ宮の浜側が、昔の神戸村に相当します。

 三ノ宮の生田神社の東側にある「東門街」は、昭和初期に遡る三ノ宮の歴史とは異なる経緯があるようです。元々「東門街」のカーブを描くような商店街は、明治初期にあった居留地に住む外国人向けの「競馬場」がルーツだったようです。明治元年のクリスマスには、競馬が開催されていたようです。東門街を西の端として、加納町3丁目の交差点(旧生田川)辺りまでの山手幹線の南側一帯が競馬場だったようです。ただ横浜と違って、神戸の競馬場は明治9年頃には終焉したようです。

 そして競馬場の跡地に店舗が立ち並ぶようになったのが東門街のルーツのようです。実際には、三ノ宮がターミナルとなった以降に、神戸の歓楽街のひとつになったようです。